No10 ひたち・みちのく編(銚子市〜大洗町)

2005年4月8日(金)、満を持して北日本一周徒歩の旅に出発した。 出発地となるJR銚子駅前までは妻に車で送ってもらった。 途中、香取神宮によって、前回の房総半島一周の旅を無事に完遂出来たことの報告とお礼の参拝をした。
時は春。まさに境内はさくらが美しく咲き誇っていた。

銚子駅から歩き始めるとすぐに坂東太郎の異名を持つ利根川に出会う。
長さは全長322kmで信濃川に次ぐ日本第2位、流域は関東平野全体におよぶ日本最大の大河である。
この川に架かる銚子大橋は、もともとは有料の自動車道路の橋として作られたので歩道がない。 橋の長さ1450m、幅員は7mしかない。
上記の写真のとおり、橋の欄干と車線との間はわずかで、ダンプが脇を通る時は風圧で河の中に飛ばされそうになる。
旅の出鼻に、いきなり恐怖の洗礼を受けた。

この橋を渡ると千葉県から茨城県に変わる。ここから大洗町までは、鹿島灘と呼ばれる太平洋沿いを歩く。
波崎町・神栖町(現在は合併して神栖市)・鹿嶋市と続くこの地域は、かつては茨城県の中でも貧しい農村地域であったそうである。
1960年代に、「農工両全」をスローガンに鹿島臨海工業開発が始まった。
県の東にある鹿島開発と時を同じくして、西で「筑波研究学園都市開発」もスタートした。
どちらも、国家プロジェクトとしての大規模開発であった。
筑波開発に携わっていたわたしは、鹿島開発に関心を持ちながらこの地を訪れることはなかった。
地域を縦断する国道124号沿いは、全国展開するさまざまな店が立ち並び、新興地域の景観を示していた。 この地域の経済的な発展に驚くとともに、廃業した大きなパチンコ店の姿が開発で荒んだ負の一面を象徴しているように感じた。
また、日本を代表するプロサッカーチーム「鹿島アントラーズ」がこの地にあることに想いを寄せた。 鹿島神宮の境内を抜けるとすぐにカシマサッカースタジアムがある。その前で、よくぞこの地にこんな凄いチームが誕生したものだと思う。
「鹿島アントラーズ」誕生の秘話は、マスコミでも取り上げられて有名である。 そもそもチームの母体となった住友金属工業という会社が、鹿島開発によりこの地に移転してこなかったら 決してその誕生はなかったと思う。

どんな開発にも、プラスとマイナスの両面がある。
日本の高度成長期に全国で展開した他の多くの大規模開発は、今どのようになっているか気になるところである。

平安のむかし、神宮と呼ばれたのは、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3神宮だけであったそうである。 常陸国の一宮でもある、その鹿島神宮に立ち寄り参拝した。
左記の写真は本殿で、意外と質素なたたずまいだけれど、悠久の歴史を感ずる雰囲気があった。 旅の安全と目的達成の祈願をした。そのお守り袋は、歩いて日本一周する旅の間、ずーとわたしを守り続けてくれた。

心配した足のマメは、早くも2日目にできて、3日目から激しい痛みとなった。 おまけに大洗町に入ったころから雨足が強まり、雨具を着ていてもずぶ濡れになってしまった。
気温も低く身体が冷えてくるので、どこか食事処を見つけてそこで着替えをしようと思った。 しかし、そんな店がなかなか見つからなかった。
大洗の市街地をさまよって、ようやく大貫という所で「さくらい食堂」の看板を見つけた。 店のご主人は、私の姿をみるとストーブをつけて暖をとるよう勧めてくれた。 さいわい客は私一人だったので、上半身全部を着替えてホッとすることができた。 この時の、温かい天ぷらそばのおいしさは、身体じゅうに浸透した。

この日の体験で、強い風と雨のときはどんなに雨具を着て傘を差しても、ずぶ濡れになってしまうことを知った。
それは、気温の低いこの時期は急速に身体を凍えさせ危険であることも教えてくれた。
5日目の朝、天気予報はまさにそれを予告するもので、出発をあきらめて同じ宿に連泊することになった。

Back

Top

Next