No108 山 陰 編(出雲市湖陵町〜太田市温泉津町)


今日は心配した雨も降らずくもりで、歩くのには丁度よい天気。
この旅も旅立ってひと月が過ぎ、少し疲れ気味だけれど元気だけはある。
しかし、時々、腰痛が起き休憩の時にストレッチ体操をする。
これがけっこう効果があるので、腰痛が出た時は無理せず休んでこの体操をすることに。
湖陵町の国民宿舎を発って1時間半程のところに、道の駅「キララ多伎」があった。
この道の駅も、オレンジ色の南欧風の豪華な建物だ。
建物の裏側は海に面した展望デッキが整備されている。
そこのベンチに腰を下ろし、今日最初の休憩をとる。
道の駅からJR田儀駅前の間は、海沿いの高台の道となった。
田儀駅の前には、手引ヶ丘公園案内所の建物があり、そこの木製ベンチで休憩する。
そこを発つと山間の単調な道になり、昼食はコンビニのおにぎり弁当で済ます。

今日は太田市の中心市街地の宿まで、約27kmと長めの行程だ。
太田市には有名な石見銀山があり、そこのまちなみは国の「重要伝統的建造物群保存地区」になっている。
徒歩ルートから大きく外れているけど、できれば見学したいと思っている。
JR大田市駅に着き、近くのバス案内所で予約してある宿の場所と銀山行きのバス便を尋ねる。
すると、今日の宿「大田市農林福祉会館」はここから1km程先にある。
そして、宿に荷物を預けて近くの本町バス停に行けば、丁度よいバス便があると云う。
急いで宿に向かうが、分かりにくく何度も人に尋ねてたどり着く。
宿に到着した時刻は、午後3時30分だった。
部屋に荷物を置いて直ぐに本町バス停に向かうが、これも分かりにくく迷う。
それでも、なんとか銀山行きのバスに乗る。

大田市の市街地から石見銀山の代官所跡地前までは、バスで時間20分、料金520円だった。
代官所跡地は、「石見銀山資料館」になっている。
時間の余裕がなく、ざっと観て廻る。
現在、石見銀山跡地とこの街並みを、世界遺産に登録する活動がなされている。
たしかに、鉱山町としてこれだけ古い街並みが残っているのは珍しい。
ただ、単に伝統的建造物群が残る街並みとして観るならば、日本の他と比べて規模が小さく観光面での魅力不足を感じる。

16世紀に世界で流通した銀のおおよそ三分の一が日本の銀で、そのほとんどが石見銀山で産出されたと云われる。
この歴史的に重みのある石見銀山の意味付けと結びついた街並みの魅力を、もっともっと創出するとよいのでは、と思った。

それでも、この古い街並みを歩くのは楽しい。
時間が遅く、観光客もほとんどいなくなったまちを一人ぶらぶら歩く。
昭和も前半を想わせる雰囲気で、心が落ち着く。
まだ余り観光地化されていなく、まちなみに変な手が加えられていないのがよい。
なかでも興味を引いたのは、建物入口の障子引き戸だ。
ひとつひとつに個性があり、侘び寂に通じるような美しさがある。
夢中になって写真を撮っていると、あっという間に時間が過ぎる。
帰りのバスの時刻が迫って、まちなみの途中から急いで引き返すハメに。

公共的な宿では、国民宿舎、かんぽの宿、国民休暇村がある。
これらには、当然に宿としての雰囲気がある。
今日の純粋?な公共の宿は、その雰囲気が希薄で少し落ち着かない。
福祉会館だけに、宿泊施設はあるけれど必ずしもそれが重点になっていないせいか。
とはいえ、宿泊者一人なのに、入浴、食事等の面倒を厭わず迎え入れられ感謝だった。



次の日は晴れの天気。
昨日は少し強行軍で、疲れや腰痛が出ないか心配だったが、元気に出発。
出発の時、宿の受付の女性が親切に玄関を出て、国道9号への近道を教えてくれた。
国道9号に出ると、ここでも郊外型大規模商業施設が建ち並んでいた。
それも束の間、やがて山間の道になり峠越えや数えきれない程のトンネルを抜ける。
今日も昼食はコンビニを見つけて幕の内弁当にする。

山間の単調な旅で、午後は少し疲れと腰痛が出てきた。
そんな時、赤瓦屋根と白壁が目立つ小さな駅舎が見えた。
JR湯里駅で格好の休憩場所とばかりかけよる。
勿論、無人駅で「乗車駅証明書発行機」と書かれたオレンジ色のボックスがある。
説明も書かれてあり、「ボタンを押して証明書をとり、乗車後に係員にお申し出のうえ、運賃をお支払いください」とある。
さらにもうひとつ、「きっぷ・運賃箱」と書かれたステンレス製の箱もある。
これには、「ご使用済みのきっぷあるいは運賃をこの箱にお入れ下さい」とある。
なんともオウヨウな駅ではないか、とほほえむ。
小さいとはいえ、こんな品格のある駅舎を建てた湯里のひとは、間違っても不法乗車することはないのだ。

今日の宿は、電話予約した時、JR温泉津駅の近くと教えられた。
その温泉津駅の案内で尋ねると、駅から200m位のところだった。
厳島神社の横にある旅館で、部屋からその鳥居と参道が見える。
窓に近ずくと、屋根の上の三毛猫と眼があった。
おもわず「ホームズ」とわが家の飼い猫の名を呼んでしまう。
ホームズは、昨年、第2次日本一周徒歩の旅に出発する前の月に20年の生涯を終えた。
家族全員でその死を見守り、ねこの生涯としては大往生だった。

宿に早く着いたので、夕食前に洗濯機を借りて洗濯を済ます。




Back

Top

Next