No11 ひたち・みちのく編(大洗町〜北茨城市)

大洗町は、関東随一の清流といわれる那珂川の河口南にある。
その那珂川がそそぐ近海は、黒潮と親潮がぶつかり合う好漁場になっている。 それで豊かな海産物に恵まれ、最近は冬の名物「あんこう鍋」で有名である。
民謡「磯節」発祥の地としても名高い。
左記の写真は、連泊した「かんぽの宿大洗」の部屋から撮った雨の那珂川である。
川に架かる橋は「海門橋」という。その対岸はひたちなか市で、那珂湊港がみえる。
また、大洗港(現茨城港)からは北海道苫小牧港へのフェリーが運航している。

翌日、「海門橋」を渡ってひたちなか市に入る。
そこから国道245号を一路北に向かって歩く。
途中の東海村は、原子力発電所やその関連施設が目についた。

やがてまた、大きな川に出会う。
日本有数のアユの釣り場として知られる久慈川である。
関東平野は、この川が北端である。

久慈大橋を渡ると、国道245号はぐーと海に近付き海沿いを北上する。
東側の太平洋と西側の多賀山地の間の狭い可住地に発展したのが、日立市である。
日立製作所を中心とする典型的な企業城下町である。
ながく県都水戸市に次ぐ人口を擁して県下第2の都市であった。
全国的に産業の空洞化がいわれて久しいが、ここ日立市においても例外ではない。
産業が衰退し人口の減少が続いている。
いまや県下第2の都市の地位は、つくば市に移っている。
市の中心大通り「平和通り」のさくら並木が、今が盛りとばかりに咲いていた。
しかし、心なしさびしげにみえた。

日立市の中心部から国道6号となった。
陸前浜街道の名のごとく、海岸沿いの道で美しい浜辺が顔を出す。

茨城県の最北端にある北茨城市磯原というところで、見事な構えの民家が目に飛び込んできた。
左記の写真がそれで、「野口雨情の生家、資料館」とある。
「そうか、野口雨情はここの生まれか」とつぶやきながら、家の中を見学することにした。
雨情が作詞した童謡は、「十五夜お月さん」、「七つの子」、「赤い靴」、「雨降りお月さん」、「こがね虫」、 「あの町この町」等と数多くある。
どれも昭和世代以前の日本人なら大抵は知っているだろう。
さらに歌謡曲の名曲「波浮の港」や「船頭小唄」も彼の作詞である。

 磯の鵜の鳥や日暮れにや帰る
 波浮の港にや夕焼け小焼け
 明日の日和はヤレホンニサなぎるやら
       野口雨情作詞「波浮の港」より

「波浮の港」は、伊豆大島の波浮の港をうたった詩である。
しかし、雨情はそこへは一度も行かずに作詞したといわれる。
むしろ、うたわれている情景は、ここ磯原に似ているという。
雨情は15歳までこの地で育った。
きっと、この生家や周辺の海が、幼い詩人の心を育んだのだ。

野口雨情の生家から少し行くと、美しい浜辺沿いに護岸遊歩道が整備されていた。
国道を離れその道を大津港まで歩いた。
そこから右に海側を行くと、大小の入り江と美しい松林に彩られた五浦海岸がある。
この景勝地は、近代日本画の父、岡倉天心のもと横山大観や菱田春草等が新しい日本画の創造に励んだ地でもある。
しかし、道を急ぎたい気分が勝って、左の道をとり国道6号に戻った。
そこから福島県境にある平潟港まではすぐで、その日の宿はその港の岸壁近くにあった。

いつの間にか桜前線を追い越して、足のマメが痛んで歩くのを停止すると天気がよいのに寒くなった。
宿の部屋には、炬燵が用意されていた。


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