No111 山 陰 編(山口県萩市須佐〜萩市上五間町)

ここ萩市須佐から萩市中心街までは40km弱の距離。
無理すれば一日で行けない距離ではない。
しかし、無理しないで手前の越ヶ浜辺りで今日の宿を探すことにした。
前日の様に一人旅は敬遠されることが多いので、昨日、萩市観光案内所に電話してみた。
電話に出た女性に事情を話すと、やはり越ヶ浜辺りも観光地で一人客は敬遠されがちだそうだ。
しかし、こちらの宿泊条件を聞いたうえ、折り返し電話をしてくれるという。
しばらくして、宿泊料金が1万円でもよければ、サービスして泊めてくれるホテルが見つかった、と知らせてくれた。
原則1日の旅予算は1万円以内なので、ギリギリだけれど、そこに決めることにした。

夜中の強い雨は、朝方には止んだ。
真夜中のハプニングで寝不足が心配だ。
しかも今日は30kmを超える長旅になる。
宿を出て、夜中に飛び込んだ公衆トイレを横目にし、気を引き締めて歩きだす。
昨日来た道を戻って国道191号に出る。
途中、道横の崖に昨夜の雨をイッパイ含んだ山藤が、滝の様に垂れ下がって咲き誇っていた。

寝不足は心配したほどでなく、強い風がフォローに吹いて飛ぶように歩く。
長いトンネルを幾つか抜けて、宇田郷と云う集落についた。
入口のところに「宇田郷地区の状況」と記した白い看板が立っている。
それによると、人口931人、世帯数350世帯(平成12年2月現在)だという。
集落を見通す旧街道筋に眼をやると、思わず「限界集落」の言葉が浮かぶ。
「限界集落」は、人口の50%以上がが65歳以上で、共同体としての機能が急速に衰えてしまうと予測されている。
旧国土庁の1999年調査では、全国で2000集落以上あるとされる。
複雑な想いで街道に立っていると、2歳位の女の子の手をひいた若い家族連れが歩いてきた。
ホッとする様なうれしい気持ちで、その光景を写真におさめて出発する。

やがて、鉄錆び色した角ばった岩肌が目立つ海岸になる。
今まで見たこともない風景で、写真を撮りながら進む。
すると間もなく、山陰本線の小さな駅「木与駅」前に着く。
「木与駅前」バス停もあり、道路沿いは赤瓦屋根の家並みになっている。
昼時で、どこかに食事処がないか、と探す。
バス停のところに飲み物の自動販売機がひとつあるだけで、ガッカリして先へ進む。
約1時間ほど行くと道の駅阿武町があり、ここで遅い昼食をとる。
道の駅では昼食の後、観光パンフを収集したりして、1時間以上ブラブラする。
それでも、一日中吹いた強い追い風に乗って、越ヶ浜には午後5時頃に着いた。
今日の宿は、想像していた以上に大きなホテルで、屋上の看板ですぐに見つけられた。
マリーナの前に立つ8階建てのホテルで、「国際観光旅館」の文字がまばゆい。
チェックインすると、案内までロビーでお待ち下さいという。
さすらいの旅姿には似合わない華やいだロビーで腰を下ろしてしばし待つ。
すると、和服姿の仲居さんが静々とやって来て、お抹茶のサービスとなった。
飲み終わるのを待って、案内された部屋は4階の10畳もある和室だ。
部屋付きのトイレを確認すると、昨夜のこともあって思わず口元がゆるむ。
部屋の窓からは、豪華なレジャーボートが並ぶマリーナと日本海に落ちる夕陽も眺められる。
天然温泉の大浴場と露天風呂に浸りながら、このホテルに格安料金で泊れたのも幸運だったと思う。



次の朝、目覚めると上々の天気だ。
起きて直ぐに温泉に浸かる。
朝食はホテルのレストランでバイキングだった。
久し振りにパン等の洋食系の品を選ぶ。

今日は楽しみな萩の城下町まで、わずか5kmの旅。
宿も萩市観光案内所で探してもらって予約済み。
それで、早く宿へ行って荷物を預け、市内散策するつもりだ。

幕末の長州藩は、吉田松陰の「松下村塾」で学ぶ若者たちが、藩を動かし徳川幕府を倒す原動力になった。
そうして、近代国家「日本」を築く上でも、伊藤博文他の多くの人材を輩出した。
萩はその長州藩の城下町だった。
そんなまちには、どんな空気が流れているのだろうか。

道の駅阿武町で収集した観光パンフを片手にのんびり気分で歩く。
途中にある長州藩が鉄造りのため建設した「萩反射炉」を見学する。
これも興味深いが、耐火煉瓦造りの大きな構造物を写真におさめただけで先へ。
今日は見学したいモノが山ほどあるのだから。

松本川に架かる雁島橋を渡って市街地に入ると、はやくも白壁土蔵の建物が目に付く。
さらに街なかに進み、細い道に入ると「コズカさんですか?」と名前を呼ばれてビックリ。
今日の宿の女将さんだった。
観光案内所から歩いて旅をしている私のことを聞いていて、旅姿からそれと分かったそうだ。
宿は町屋の旅館で、まだ午前10時前だけれど、女将さんは直ぐに部屋へ案内してくれた。
ほぼ満室状態で、予約の時は今日の夕食はなく、明日の朝食だけと云うことだった。
部屋に荷物を置いて散策に出かける時、女将さんが夕食を追加してくれると云ってくれた。

先ずは、「萩城城下町」と国指定史跡になっているところへ行く。
木戸孝允、高杉晋作の旧宅、それに重要文化財になっている「菊屋家住宅」を観覧する。
そこから、まちの西端にある萩城跡に向かって行く。
すぐに、長屋門や長い土壁が目立つ区域になる。
旧家屋敷が多く残る伝統的建造物群保存地区だそうだ。
ちょっぴりタイムスリップした感覚になる。
萩城跡は、水堀と石垣だけが残って、本丸跡は指月公園になっていた。
三方を海と橋本川に囲まれた指月山(143m)の麓に築かれた城だ。
36万石の城にしては、意外と小さくしかもほとんど平地の城。
長州人は戦いの時、守るよりも打って出ることを好んだのだろうか。
石垣の上に立って、辺りを見回しながら、そんなことを想う。
和服姿の女性が大勢行き交うので何だろうと思っていたら、ここで「萩大茶会」が開催中とのこと。

この後、一旦旅館に戻りひと休みすることに。
途中、アーケードの「田町商店街」を通る。
こうした商店街の多くは、活気を失いつつあるが、ここはまだ健在の様子。
宿でひと休みして、今度はまちの東の外れにある松陰神社、松下村塾へ歩いて行く。
萩のまちは落ち着いた雰囲気があって、のんびりした気分で歩ける。
松下村塾は、今から見ると質素な建物だ。
あれほどの英才が多数、ここから巣立ったことはウソのよう。
大勢の観光客が熱心に建物内を覗き込むようにして見学していた。

町屋の宿は、少しガタピシするけど女将さんの心配りが行き届いた感じのよい旅館だ。
この旅館もそうだが、萩のまち全体にどこか端正さが感じられる。
質実で品格を尊ぶサムライ精神の強い影響が残っているからなのか。

宿泊客は若い人で満室状態のよう。
3階の宿泊客は夜12時頃帰り、朝5時頃発って行った。
釣り客の様だったけれど、元気なものだと感心する。



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