No166 山 陽 編(岡山市駅元町〜兵庫県赤穂市加里屋駅前町)

JR岡山駅西口に近い宿を、定例の午前8時に出発する。
JR岡山駅は、JR吉備線、山陽本線、山陽新幹線の三つの駅が一体になっている。
宿周辺はJR岡山駅のすぐ近くなのに、昭和を想わせる木造の民家が結構残っている。
JR岡山駅の西口正面は、JR吉備線のちょっとレトロぽい駅舎だ。
東口のデッカイばかりで味気ない新幹線駅舎と対照的。
その東口に出て、駅前の路面電車が走る大通りを行く。
広い歩道には、昔話「桃太郎」に因む桃太郎や猿等の銅像が設置されている。
その大通りの先端に美しい岡山城が見える。
銀色の瓦屋根に金の鯱鉾を載せ、壁は黒色。
それに破風と窓枠の白が絶妙に組み合わさって、実に美しい。
黒い外観から別名烏(からす)城と呼ばれるそうだ。
その岡山城跡から川の対岸にある岡山後楽園を通って行こうかと思った。
しかし、今日は備前市西片上まで30km近いロングな旅。
岡山城跡の手前で北に向かう城下筋と呼ばれる道に進む。

城下筋の先端で右折し旭川を渡る。
岡山中央署や中区役所前を通って行くと、国道2号(現国道250号)に出る。
さすが岡山市街地は大都会の賑わいが続く。
その賑わいが薄れ田園風景になると、稲穂の刈り入れが始まっていた。
それを眺めながら進むと、全国で見られる大規模ショピングセンターが現われる。
平成の時代の規制緩和で、こうした施設が都市の郊外地で多く見られるようになった。
車社会に対応した広い駐車場を持ち、ここだけで多くのもが揃う。
それに比較的安い価格で最新のモノが得られやすい等、消費者のメリットは多い。
しかし、この出現で、これまであった小売り店や商業地の衰退が加速している。
それは、地域の中心だった「まち」を失うことにつながる。
この歩く旅で眼にする非情な現実。
「何かを得れば、何かを失う」、そんな気がしてならない。

ふたたび黄金色した稲穂の海原を山陽新幹線が疾走する風景になる。
民家の庭先では、柿が色づいてたわわに実っている。
やがて道は、もうひとつの国道2号(岡山バイパス)と一体になる。
その先で食事処が見つかり、昼食をとることにする。
コーヒー付き生姜焼き定食(800円)を選ぶ。
昼食後しばらく行くと、吉井川に架かる備前大橋を渡る。
吉井川と並行して北上した道が大きく右に曲がると、山陽新幹線とJR赤穂線に挟まれた道になる。
国道の道幅は狭まり、歩道もなくなる。
脇を大型トラックが疾走し、気が抜けない。
お遍路も通るノンビリした四国の道が恋しい。

突然、大きな池の上に新幹線の橋脚が並び、長い列車が走って行く。
東西に長い池を縦断する様に新幹線が通り、背景の山と新幹線が池面に映える。
その風景をカメラに収め少し行くと、JR赤穂線伊部駅の前になった。
そこで、本日最後の休憩をとる。

JR伊部駅前の先でトンネルを抜ける。
すると、前方右下に市街地がひろがっている。
国道に立体横断歩道橋があり、その上から市街地を遠望する。
備前市西片上のまちだ。
予約した旅館で教わった通り、その先にJR赤穂線を跨ぎ、国道から市街地へ下りる橋も見える。
宿はもうすぐとわかり、元気に市街地の中へ。
入り組んだ細い路地を進み、アーケードのある商店通りに入る。
すると直ぐに、目指す宿名の看板が目に入る。
しかし、旅館の本体はこの街路に面してなく、細い通路を入った先にあった。
旅館の全体像が分からないまま、玄関から長い廊下をきしませて一番奥の部屋に通された。
床、柱、引き戸等が備前焼の様に渋く黒光りしている。
聞けば旧山陽道の備前片上港の旅籠として、今年でちょうど創業150年になるそうだ。
夕食は部屋でと、お膳にのせて料理が運ばれる。
カニ、刺身、かぶと煮、茶碗蒸し、カキフライ等と品よくならぶ。
それではとばかり、いつものビールに代わって熱燗一本を、と声をかける。
お膳を運ぶ女将さんに、歩いて旅をしていると話す。
すると、先日も同様の人が泊り、テレビ局が取材に来たと話してくれた。

夜、物音ひとつ聞こえてこない部屋でタイムスリップしたかの感覚になる。
こんなうれしい旅館だけど、トイレが部屋から遠いのがちょっと難点。



次の日の朝、庭の置き物等の写真を撮る。
すると、女将さんが来て旅館の歴史をいろいろ話してくれた。
旅館としては創業150年だけど、その前は米問屋だったそうだ。
旧山陽道に面した間口は狭いけど、奥行きはかつて港だったところまであった。
だから敷地は広く、建物も江戸中期から明治、大正、昭和に建てられたもの。
そのうち、旅館として使われているのは、明治の建物だそうだ。
庭の平らな大きな石は、土佐藩士が船から降りて乗って来た駕籠を置く駕籠石。
そんな話等して、つぎは建物の中へ案内される。
この部屋は、昭和43年、44年に司馬遼太郎さんが滞在された。
こちらは魯山人やバーナード・リーチさんが泊られた、と云う部屋は、私が泊った隣の部屋。
ここは、明治18年8月7日に明治天皇が昼食をとられた部屋と話は続く。
さらに驚くのは、「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助が討ち入りの翌日に書いたと云う書面だ。
朝食をとった部屋の壁に額装されて掲げられている。
長方形の細長い額縁で、金箔の台紙の上に貼られている。
紙は赤黒く変色しているが、墨で書かれた文字はよく分かる。
「奉申上事」の頭書きで、末尾は元禄十五年十二月十五日、大石内蔵助良雄謹言上、となっている。

テレビの人気番組「お宝鑑定団」のスタッフも来て、旅館ごと鑑定に出すことを勧められた。
女将さんは考えたすえ、断ることにした。
するとスタッフも、「その方がよいかも、税金問題や大勢の人が押し寄せ大変だから、そっと大事に維持して下さい」と賛成してくれたと云う。
今は割烹料理の客や知る人ぞ知る宿泊客が中心で、経営が成り立っているそうだ。

これほどの歴史のある旅館は、高級料理旅館や記念館になっていることが多い。
そんな由緒ある旅館とはつゆ知らず、予約の電話をした時、予想した宿代よりかなり高くちょっと躊躇した。
電話口でそれを察した女将さんが、「ビジネス客ならお安くできます」と云ってくれた。
いま思うと、まことに赤面のいたり。

思いがけなく歴史ある旅館に泊れた幸運に感謝して宿を出る。
女将さんの話で、いつもより1時間ほど遅い出発。
昨日入った旧山陽道側でなく奥の反対側から宿を出ると、すぐに国道250号に出る。
そして、海がすぐ近くまで来ていることに気付く。
その海に突き出て並ぶ家々が目にとまる。
近ずくと、その家並みが海面に映えて美しく、思わずカメラのシャターを切る。

昨夜は比較的よく眠れた。
身体は軽いはずなのに、何故か途中から重くなる。
国道250号は海沿いの道で、所々でこれが国道かと思うほど狭くなる。
足に靴ズレができ化膿したのかなかなか治らない。
歩き出しの時が特に痛む。

日生港の誰もいない定期船乗り場で休憩をとる。
岸壁でのんびり釣り糸を垂れる人を、ちょっぴり羨ましくカメラを向ける。

JR赤穂線寒河駅近くで食事処を見つけ昼食にする。
和定食(840円)をオーダーする。

予約した今日の宿はJR赤穂駅の近くだと云う。
まずはその赤穂駅に着き、観光案内所へ行く。
観光パンフをもらい、宿の場所をたずねる。
さいわい宿は駅から直ぐのところだった。
宿に着くと、女将さんがすぐに部屋へ案内してくれる。
想像していたよりきれいな部屋だ。
水廻りの設備等も新しく、有料(200円)の洗濯機と乾燥機もあり助かる。


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