No176 紀 伊 編(新宮市橋本〜三重県尾鷲市賀田町)


昨夜の入浴剤入りの風呂が効いたのか、今朝はだいぶ疲れがとれた感じ。
ホテルを出て、新宮市の市街地を通って行く。
通学時間帯で、歩道は大勢の高校生達で溢れんばかり。
まもなく熊野速玉大社前になり、寄ってみることに。
朝の明るい日射しを受けて、神官が掃き清める道を歩む。
まだ参拝者はなく、一人ザクザク足音たてて歩くのは気持ちいいものだ。
熊野速玉大社は、他の大社と比較して特に大きいと云うこともない。
それでも、厳かで美しい。
白壁に朱色の柱と桟、それに扉等の縁を彩る黒や格子の緑といった組み合わせが絶妙。
それに、1700年の歴史の重みが加わる。
静かで厳粛な雰囲気を一人占めした気分で、大社を後にする。

大社の参道から国道42号に出ると、すぐに悠久の熊野川を渡る。
渡った先はインターチエンジになっていて、どうやらバイパス道路の方に来てしまったらしい。
海沿いを行く国道42号に進もうとして、違う道に出てしまった。
ちょうど犬の散歩をしているご婦人が通りかかり、道を尋ねる。
すると、国道まで案内してくれると云うので、後についてゆく。
途中、家によって手にいっぱいミカンを抱えてきて、持って行きなさいと云う。
持ちきれないので、一緒にミカンを食べながら話をする。
わたしの旅に興味を持ち、以前、熊野川の川辺で野宿する学生2人を泊めた話等をしてくれる。
熊野川を見下ろす日当たりのよい階段の道で、のんびりご婦人と会話を交わす。
それは、なにか映画のシーンのような感覚。
別れ際に写真を撮らせてもらい、後日に送る約束をする。

熊野川を渡ると三重県になる。
三重と聞くと、名古屋生まれのわたしは隣町に来た感じになる。
ここからは、熊野古道伊勢路と重なったり離れたりの道になる。
熊野古道伊勢路は、伊勢大神宮と熊野三山を結ぶ巡礼の道。
2004年に世界遺産登録された熊野古道伊勢路の峠道と街道は17ヶ所ある。

熊野川の河口沿いから熊野灘の海沿いになると、日本一長い砂礫海岸になる。
「七里御浜」と呼ばれ、浜沿いの道は、南端(約14km)と北端(約12km)が世界遺産登録されている。
そんな浜街道には、道の駅「紀宝町ウミガメ公園」がありそこで休憩する。
そこから5km程行くと、今度は道の駅「パーク七里御浜」があった。
ここでやや遅めの昼食にし、まぐろ丼(1050円)を食べる。

浜街道は、昔は志原川や市木川の河口で波にさらわれる人もあったと云う。
今では整備された平坦な道で、久し振りに快調な歩だ。

ソテツの植え込みの先に、奇妙な岩が見えた。
近ずくと、獅子が牙をむいた様に見える。
近くの名前板をみるまでもなく「獅子岩」だ。
これほど名前とピッタリの奇岩は見たことがない。
国の天然記念物だそうだが、それだけのことはある。

獅子岩から熊野市の市街地になって、国道42号からJR熊野市駅に向かう。
駅の観光案内所で予約した宿を尋ねると、少し戻った市街地の中にあった。



次の日は曇りのち雨の天気予報。
今日の旅は、尾鷲市賀田町まで30km程の行程。
出発を取りやめ、ここに連泊するか迷う。
雨は強くはない予報で、観光案内所でもらったパンフをみると、三つの熊野古道を行けばかなりのショートカットになりそうだ。
それで出発することにしたが、この判断は甘かったことを思い知る。

宿を発って国道42号に出ると、浜辺沿いの道になる。
防潮堤の扉が開いていて、そこから浜辺をのぞく。
黒っぽい砂利の浜辺に、何かを干すためのネットが幾つも張られていた。
その光景を写真に収めて国道に戻ると、まもなく上り坂になってトンネルに向かう。
鬼ヶ城トンネルで、その手前で振り返ると、北端から南にのびる「七里御浜」が見渡せた。
波の穏やかな時はまだしも、荒い時にこの浜辺を行く昔の旅人の心境は・・・・・・?。
トンネルを抜けて道を下ると、大泊海岸に出る。
そこで道は二手に分かれる。
国道42号は内陸に向かい、もうひとつはリアス式の海岸沿いを行く国道311号。
国道311号に進むと、曲がりくねったアップダウンを繰り返す道になる。

予定した最初の熊野古道「大吹峠越えコース」でショートカットを試みる。
しかし、その登り口を探す内に反対の下り口のところになってしまった。
この大吹峠波田須口で、川添さんという若い男性と出会う。
賀田から熊野古道を歩いて新宮まで行くと云う。
例によって、写真を撮らせてもらい、後日に写真を送る約束をする。

そこから波田須の里に下りると、なんとここは「徐福伝説の里」だという。
海沿いの崖の上に徐福の宮が建ち、徐福の墓もあると云う。
また、中国の秦時代に流通した半両銭や徐福一行が伝えたと云う焼き物の破片も出土しているそうだ。
前の旅で寄った丹後半島の徐福伝説地を懐かしく思い出す。
ちょっと集落の中へ寄り道してみる。
すると、霧がかかって来て、里は幻想的な雰囲気に包まれた。

さらに国道とは思えない淋しい道を行くと、新鹿海岸に出る。
ここは海水浴場になっていてるが、時期外れの今は人影はない。
集落の中にひっそりとした食事処があり入る。
さいわい開店しているようで、やきそば定食(650円)の昼食をとる。
カメラの電池切れに気付き、店で充電させてもらう。

昼食後、二番目に予定した熊野古道「逢神坂峠〜二木島峠コース」は、入口が見つかりそちらに進む。
段々畑の畦道や時には農家の庭先かと思う様な道を行く。
やがて、杉や桧の山林が生茂る山道になる。
苔むした石畳が続いたかと思うと、ゴロゴロした岩道になる。
悪いことに雨が降り出し、足が滑りやすくなる。
登り口付近に置いてあった金剛杖が役に立った。
しかし、こんな峠道を重い荷物を背負って越えるのは、無謀と思い知らされる。

ようやく峠越えをし、二木島峠口に着き心底ホッとする。
再び国道311号を行くと、素晴らしい二木島湾の眺望に出会う。
雨の中、峠越えした旅人をねぎらう様なちょっと幻想的な素晴らしい眺め。
そんな慰めも束の間、三番目に予定した熊野古道「曽根次郎坂・太郎坂コース」はもはや無理とする現実が待っている。
熊野古道を断念して、海沿いの国道を行けば、まだ14km程の行程が残っている。
時間も14時半頃で、宿に着くのは暗くなると道を急ぐ。
山影の道は暗くなるのが早い。
必死に歩くが、このままでは明るい内に宿に着けそうもない。
この旅一番のピンチ。
ついに甫母漁港の所で、宿に電話して車で来てもらう決断をする。
車で迎えに来た宿のご主人は、荷物だけ預けて歩いてゆく私に怪訝な顔をする。
歩く旅をしている事情を話しすと納得の顔。
そこからまだ道は6km程もあり、身軽になって急いで歩く。
ついに、淋しい国道は真っ暗になった。
どこを歩いているか分からない心細さ。
ようやく、賀田の街の灯が見えった時はうれしかった。

「熊野古道の宿」と書いた提灯が下がる宿に着いたのは、午後6時少し前だった。



次の日は、ここ「熊野古道の宿」に連泊することにした。
神戸で連泊して以来、16日振りの休養日。
この宿の風呂は、「麦飯石」入りの湯だそうで、温泉の様に身体が芯まで温まる。
それに料理も美味しく、連泊し休養するに持って来いの宿。

昨日、宿のご主人の車に荷物を預けて身軽になったウオークは、結果的には身体をほぐす役割をしてくれたのか。
あるいは、「麦飯石の湯」が効いたのか。
ともかく、今朝は身体が軽く楽になった。

休養日はいつもの通り、朝風呂に入り朝食をとり、それから洗濯して昼まで眠る。

眼が覚めてから、昼食も兼ねて散策に出かける。
JR紀勢本線賀田駅近くで、小さな食堂を見つけ入る。
オバサン一人で切り盛りする、昔懐かしい昭和の食堂の雰囲気。
こんな食堂では、おふくろはあんかけうどん、子供のわたしはラーメンが定番だった。
それを思い出し、ラーメン定食を注文する。
昼食後、賀田駅周辺を歩き宿に戻る。
それから、メールをしたり、明日以降の行程を考え宿の予約をしたりすると、もう夕食となる。

今夜は、県が企画した「熊野古道伊勢路踏破リレーウオーク」の関係者10人近くが宿泊すると云う。
ところが、午後6時半になっても誰も到着しない。
それで宿のご夫婦は、しきりに心配する。
わたしも昨日の経験から、午後5時以降の道は暗く危険なので気になった。
ようやく午後7時になって全員が到着した。
宿のご夫婦は勿論、わたしもホッと胸をなで下ろす。


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