No191 エピローグ

長い旅に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
てくてく紀行は日本一周徒歩の旅を終えた約3年後、2010年2月15日に連載をスタート。
最終ゴール地の東京日本橋に到着したのは、2014年3月4日でした。
自分でもこんなに長くなるとは思ってもいなかった。
旅で撮った写真や日記等でじっくり振り返り、もういちど旅をしている気分で書く。
そんな気持ちもあって、ゆっくりした連載ペースになった。

連載の初めに書いた様に、旅の目的は、戦後60年で共に還暦を迎えた「日本」と「自己」を見つめてみようと云うものでした。
てくてく紀行を書き続けることによって、あらためて二つの課題を見つめ直すことができる。
旅で見たこと、知ったこと、感じたこと等をできるだけ正確にそして正直に書く。
そのことによって、戦後60年の日本とわたしが浮彫りになるのではないか。
連載はそんな期待でのスタートでした。

ところが、思いもよらない二つの出来事で連載ペースが大きく乱れてしまった。
連載を始めた年の4月6日に、妻が癌の病でこの世を旅立ってしまう。
40年にわたる人生の同伴者、そしてこの旅の最大の理解者で協力者だった妻を喪う。
次いで翌年の2011年3月11日に東日本大震災が発生。
幸い自宅は大きな被害を受けなかったけど、旅した東北の惨状には胸が痛むばかり。
どの出来事も、連載どころの話ではなかった。

この二つの出来事は、その都度、連載を続ける気力を奪った。
やっと連載を再開する気持ちになっても、ひとつの戸惑いが生じた。
例え過去にタイムトリップできたとしても、過去を変えてはいけない。
同じ様に、二つの出来事が紀行の内容に影響してはならない。
なぜなら、てくてく紀行は戦後60年時点の日本と私を描くことだから。
紀行のひたち・みちのく編は東日本大震災が発生する前に連載を終えていた。
それで大震災が紀行文に影響することはなかった。
それでも、この非常時にノンビリした旅を書き続ける戸惑いが絶えずあった。
もう一方の妻の死は、あちこちでその影響を心配する場面があった。
釧路に娘と孫を連れて励ましにきてくれた時。
妻から届く後方支援や新婚旅行した土地での想いで等。
旅をしている時以上に、感情移入しない様心がけたつもりです。

前段が長くなってしまいました。
では、その旅を終えた結果はどうだったか。
これも、旅を終えた直後と、てくてく紀行の連載を終えた今の二つがあります。

戦後60年の日本は、世界第二の経済大国と云われるが本当に豊かなのか。
これが、この旅の第一テーマでした。
「寒村」という言葉が生きていた時代を知る私は、もはや日本のどこを歩いてもそれがないことに驚きでした。
少なくとも歩いた範囲では、外観上はどこも「貧」の文字は浮かびません。
かつては辺境と思われた小さな集落も、見た目には大都市の近郊地と大差ない感じです。
むしろ自然環境の良さを加えれば、こちらの方が豊かな気がしたこともあります。
もちろん外観よりも生活の内実の方が大事です。
しかし、生活の苦楽は外観にも現れると思うのです。

特別な幸運や才能に恵まれた訳でもない平凡な男が、定年後、こんなゼイタクな旅ができる。
このこと自体が、戦後60年の日本と自分の人生の豊かさを示すものではないか。
旅をしていて、何度も思ったことでした。

むしろ気付かされたのは、「少子高齢社会」の影が、すでに地方に行くほど色濃くなっていたことです。
多くの街や集落で、子供の声はもちろん人気のない静寂感がただよっていました。
ずーとにぎやかな首都圏で生活していた私は、大変なショックでした。
廃校になった、あるいは近々なる小・中学校の多さにも絶句です。
経済よりも、この問題の方がはるかに深刻化していたのです。

もうひとつの旅のテーマ、還暦を迎えた自己の方はどうだったか。
歩く旅は、自己を見つめるのに十分すぎる時間を与えてくれます。
それに、旅と人生は、互いにたとえられる似た関係にあります。
そのどちらにも、苦しいことも楽しいこともある。
そして苦楽の割合は、ほぼ半々です。
楽しいことが少し上回れば幸せに思う。
あるいはそう思える人が幸せになれる。
歩く旅をして、つくづく思ったことです。

何をしていても、どんなに辛くても、すべてのことが”ありがたい、幸せ”と素直に感動・感謝できる。
四国で出会った娘遍路の言葉です。
歩いて旅をしたわたしの実感でもあります。

以上が旅の途中や終えた頃の私の感想です。
そして、旅を終えて約7年後の現在は、この旅に新しい意義を感じています。

家事の一切は妻まかせだったわたしが、ひとり妻に先立たれる。
この夢想だにしなかったことにどうにか耐えられたのは、この長い一人旅をしたお陰だった。
知らず知らずの間に、孤独に耐え自己管理する力が養われていたようです。
「天」は妻に先立たれる夫を気遣い、長い自立の旅に出させてくれた、と今は思えてきます。

東日本大震災発生の1年後に、車で被災地を廻った。
歩く旅でお世話になった宿がどうなったか気懸りだった。
原発事故の影響や交通規制で、関係者以外は立ち入り禁止になっているところもあった。
やっとたどり着いても、地域まるごと跡形もない。
そんな状況で、さらに尋ね回ることも。
確認出来たところだけでも、3軒の宿が津波に流されて跡形もなかった。
テレビの映像等である程度は想像できても、現地に立つと身震いするほどの衝撃を受ける。
打ちのめされた気持ちで東北から帰ってしばらくして、思いもよらない感想メールが届く。
No17章で、JR気仙沼線陸前港駅のプラットホームに立つ青年の写真を載せた。
てくてく紀行でその写真を観たと云う女性からだった。
その写真で背景に写った民家が、彼女の実家だと云う。
この実家を含め全てを津波で失った今、唯一残ったのはこの写真だけだと云う。
「写真を残してもらいありがとうございます」の言葉に、胸が詰まった。
東日本大震災の前に東北を旅したわたしのささやかな記録が、こんな大きな意味を持つことになった。

この他にも、多くの思いがけないお礼や励ましの感想メールを頂いた。
ご自宅への招待や高校生への講演依頼といったものもある。
この旅は、わたしの思いもよらなかった方向で新たな意義が生れました。
それはわたしのこれからの人生で、大きな支えとなるものです。

戦後の日本経済は、1986年〜1991年に絶頂期を迎えた。
それがバブルとしてはじけて今日まで、20年以上も経済の低迷が続いている。
旅を終えた4年後、名目GDPで中国に抜かれて世界第2の経済大国の地位を追われる。
その翌年2011年には、日本の総人口は減少に転じた。
さらに同年に起きた東日本大震災と福島第一原発事故。
少子高齢社会、経済力低下そして震災復興の課題をどう解決するか。
私にはもちろん、こんな大きな課題に立ち向かうチカラはない。
しかし、この重い課題を背負わされたこれからの人達に、自分ができることは何か?
この旅は、これからもずーとわたしに問い続けることと思う。


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