No27 ひたち・みちのく編(野田村〜洋野町)

野田村の宿に連泊した翌日も雨だった。
朝の天気予報では、全国的に晴れで北海道と東北の一部は雨だという。
その一部に大当たりとは、と嘆いてみても仕方がない。
気持ちを切りかえ、雨対策をフル装備にして出発した。
気温は、道路の電光掲示板に6℃の表示だ。
出発してはじめは、休憩したくとも雨宿りできるところもなく歩き続けるしかなかった。

1時間半ほど歩いて、「道の駅のだ」が見えた時はうれしかった。
この道の駅は、三陸鉄道北リアス線の「陸中野田駅」と一体になっていた。
うれしいことに、その待合室にはストーブがあって暖かった。
待合室のいすに座って濡れた身体を温めていると、行き交う東北訛りの言葉が耳に心地よい。
また、1時間に1本あるかないかの列車も着て、急いでそこを飛び出して写真を撮ることもできた。
体も心も十分に温まったところで、また雨の中を歩き始めた。

雨の中どのくらい歩いただろうか、林が続く道でレストラン風の建物が目についた。
ウナギも食べられる和食の店だけれど、洋風のちょっとしゃれた構えだった。
ちょうど昼時で休憩も兼ねられてラッキーとばかり店に入ることにした。
生姜焼き定食を注文したら、豚肉、もやし、キャベツが熱い鉄板にのせられてジュウ、ジュウと音をたてて運ばれてきた。
お椀に入ったご飯に、トマトとコーン入りの野菜サラダ、味噌汁、漬物も添えられていた。
まさに洋風仕立ての和食料理といった感じである。
ずーと日本の原風景のような三陸の地で、ここは現代的というか都会的というか、そういう空気が入り込んできたかのようだ。

もちろん生姜焼き定食はおいしかった。
食事の満足感と窓の外に見える雨にぬれた美しい林が、つらい雨中の旅をしばし忘れさせてくれた。

今日の宿は、JR八戸線の久慈駅に近いホテルだった。
ぐっしょり濡れた身体でフロントの前に立つのは気が引けた。
しかし受付嬢は、そんなこと気にもしないようで部屋に通してくれた。
その部屋は、ソフアーもあるゆったりとした落ち着いた感じの部屋だった。
左記の写真は、部屋の窓からみたJRと三陸鉄道の久慈駅が隣りあう駅前風景である。

手持ちの金が少なくなって、郵便局へ行こうと市街地をぶらぶら歩いた。
市街地は、現代風に整備されてきれいではあるが、まちの個性が感じられず残念な気持ちだった。


翌日はくもりだった。
夜中に時々目が覚めて眠りが浅かった。
そのためか、気分がスッキリしない出発となった。
今日の行程は、種市町(現洋野町)まで30kmを超える今までで一番長い旅になるので少し心配だった。

有家という小さな集落に簡易郵便局があった。
おりしも、郵政の民営化論議が白熱していて、こうした簡易郵便局はどのようになるのかと、ふと考えさせられた。
郵便局の全国に張り廻られたネットワークは、大事に有効に活用されるべきだと思うのだが。

今日は山間の道が続く。
有家からずーと上りの道が続いた。
少し休んで、先の方を見ると大きく曲線を描く上りの道が天まで続いているようでうんざりだった。
それでも雨降りではないので、腰を下ろす所さえあれば休憩できるのがありがたかった。


やがて海が見え、そしてJR八戸線も見えてきた。
そこから海や鉄道と並行する道となった。
沿道には、ところどころ芝桜やチュウリップなどの花々がさいていて、忘れていた春を思い出させてくれた。
また、夕陽に照らされた赤く錆びた鉄橋が、濃紺の海と白波をバックにおおいに旅情をそそった。
無人駅のJR玉川駅では、陽が落ちかかったプラットホームにひとり立って周りを見回していると、なんとも言いようのない旅心が満ちてきたこともあった。

今日の種市町の宿を確保するのにひと苦労した。
予定した宿は休みで、他の民宿も電話が通じなかった。
やっと「たねいちスパステラマリン」という名の宿泊施設と連絡がとれた。
しかし今日は満室だという。あきらめかけると、「カラオケルームの部屋でよければ」という。
よく聞けば、カラオケルームの部屋に畳を敷いて布団を用意する臨時の部屋だそうだ。
どんなタイプの宿泊施設なのかわからないまま、この際ぜいたくは言えず渡りに船の心境で予約した。

宿に着いてみたら、宿泊施設のある温泉センターといったものだった。
浴室は、浴槽から太平洋が眺められ、薬湯、サウナ付だ。
部屋はカラオケルームだけれど、その他の設備も食事もすべてよかった。
そのカラオケルームも案外悪くもなかった。
布団に入って仰向けになると、暗闇の中でちょうどルームライトが真上で妖しく光ってどんな夢が見られるかと、ちょっぴり胸がおどった。

久慈市のホテルを出て種市町の宿に着くまで、万歩計は44340歩を記録した。
この旅で最高の数字だった。




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