No28 ひたち・みちのく編(洋野町〜青森県三沢市)

種市町(現洋野町)で迎えた朝の天気は、またくもりだった。
歩き始めるとなんだか身体が重い感じだ。
ふつう約1時間間隔で休憩するところ、40分ほどで休むことが多かった。
途中、100m毎に仙台からの距離を表示する道路標識が立っていたので、それを利用して歩行測定をしてみた。
130歩/100m、1km/11分という結果だった。

青森県境を過ぎて階上(はしかみ)町に入ると、ヘヤーサロン、喫茶店、ラブホテルといった都会的な建物が眼に付く様になった。

ラーメン店があり、昼食には少し早いが入ることにした。
次にいつ食事処が見つかるか分からない心配や疲れが溜まっていたためだ。
その店を出てしばらくすると、「道の駅はしかみ」があった。
ここで昼食と休息をとるべきだったと、少し悔やまれた。
この道の駅も、三陸のとは違ってちょっと都会的な雰囲気だった。
特に驚いたのは、そのトイレである。
写真のように、清潔で都会的センスあふれる雰囲気に花で美しく飾られていた。

八戸市の市街地に入って新井田川の橋を渡るとき、前方の中心市街地を眺めて驚いた。
自分が想像していた以上に大都会である。
八戸市は数万人規模の都市と思っていたら、なんと二十四万五千人の人口を擁するという。
八戸港を大規模な工業港、漁港、商業港として整備することにより、全国屈指の水産都市であり、北東北随一の工業都市に発展したそうだ。
どおりで、八戸都市圏に入る階上町から急にまちなみが都市的雰囲気になったわけである。

八戸の宿は、場所の確認が曖昧だったため迷って30分ほどロスして着いた。
ただ心配した妻からの第二次後方支援物資は無事にホテルに着いていた。
妻は頼んでいたものとは別に湿布とビタミン入りの飴を同封してくれた。
今のところ、湿布は必要でないけれど気配りが嬉しかった。


翌日は夜中から朝方にかけて、暴風警報から強風注意報に変わった。
かなり強い風で、何度もここに連泊して休もうかと思った。
結局、出発することにした。
すごい強風で、特に馬淵大橋を渡るときは吹き飛ばされそうで、身を屈めて一歩一歩進むのがやっとの状態だった。
そこを過ぎれば、こんどは猛烈な砂埃で先が見えないほどであった。

百石町の市街地で昼時になり、おりよく小さな食堂店があった。
店には感じのよいおばさんが一人だけいて、野菜炒め定食を頼んだ。
お盆に載せて運ばれてきた野菜炒めは、豚肉にもやし、ピーマン、きゃべつ、玉ねぎ、なす、ニラと野菜がたっぷりだった。
それに丼ぶりご飯に、しめじ、豆腐、青菜?入りの味噌汁。
そして、山芋のせん切り(刻んだ味付け海苔付き)、つけもの(白菜他3種)である。
驚いたのは、さらにところてんが付いていた。
どの一品も、おろそかにしない感じがあっておいしくいただいた。
おまけに、ところてんは懐かしい味でうれしかった。
これで600円だった。

中下田交差点で、国道45号から離れて三沢市街地に向かった。
しばらく行くと、「豆仙人名水  青い森の自然と資源を大切に」の看板が立つ自湧水場に出会った。
お年寄り夫婦がペットボトルに一生懸命に水を汲んでいた。
わたしも、残り少ないポカリスエットをすてて名水をいっぱいに汲んだ。


風は少しづつ弱まって、広々とした平地を吹き抜けていった。
この地方は、むかし盛岡南部藩最大の牧場「木崎牧」があって馬産地だったという。
やがてそんな南部藩の気風を感じさせるような豪壮な二階建て民家が目立つ所に至った。
近くに気比神社という社があって、ここでしばし休憩した。
ここから、今日の宿に電話して道順をたずねた。
宿の女将さんは、車で来ると思ったのか、すぐ近くのように話したけれどかなり先だった。

宿はビジネス民宿となっていて、部屋は1Kのアパート風の造りだった。
広いベット、トイレ、バス、炊事場付きである。
写真のように机もあって、モノを書くのに便利だった。
長期にひとりで生活できる設備が整っているのだ。
食事は別室の食堂でとる。
特別豪華とはいかないが手作りの家庭料理といった感じでほど良いものだった。
ビールなどの飲み物は、食堂にある自販機で購入できる。
さらに、コインランドリーも用意されていて、わたしのような旅人にはありがたい宿だった。




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