No35 北の大地 編(八雲町〜豊浦町)

翌日、旅館を出て八雲町の中心市街地を行くと、しっかりした計画に基づいて街づくりがなされていることに気付く。
道路に面する建物は、ブラウン系の色彩を基調に落ち着いた雰囲気に統一されていた。
個人の建物を、このように統一したデザインで建て替えるには費用の負担が問題になる。
どのような手法でそれを解決したのだろうか、と気になった。

さらに、歩道、街灯、店の看板にも全体コンセプトに基づくデザインが取り入れられている。
電柱までも歩道と同じ色と材質感になっている。
既成市街地を、ここまで造りかえるのは容易ではない。
関係者の並々ならぬ情熱と労苦に拍手を送りたい。
今多くのまちで、中心市街地の骨格をなしていた道路と別にバイパス道路が建設されている。
そしてそのバイパス道路沿いに全国展開している様々なチエン店が張りつき、新しい市街地を形成している。
そのため、多くの旧中心市街地の通りがシャター通りとなっている。
八雲町もその例外ではないが、ここの旧市街地はまだまだ頑張っているとうれしくなった。


八雲町の中心市街地を抜けて、大沼国道と呼ばれる国道5号線に入る。
よく北海道を旅した人から、北海道の道路は広くてどこまでも真直ぐに伸びていると聞いた。
まさに今日の道でそのことを実感する。
この道は噴火湾と函館本線に沿っているが、海はあまり見られず果てしない原野を行く気持になる。
途中に霧も出てきて単調な気分に拍車がかかる。

ドライブインを名乗る店が、全国の国道沿いに続々とうまれたのはいつ頃だっただろうか。
昭和の経済が高度成長した頃だろうか。
そのドライブインの多くが、いまは廃業に追い込まれ無残な姿をさらしている。
その中で、懸命に存在を主張している店を何軒か見かけた。
いじらしくて思わず頑張れよと声をかけたくなる。

今日の宿は、JR長万部駅近くにあった。
宿に着いて、歩いて旅をしていると話したら、女将さんが2日前に稚内から沖縄まで歩いて行くという30歳の女性がここに泊ったという。
そう云われれば、どこかの駅近くで反対側の歩道を大きなバッグを背負って歩く若い女性を見かけた記憶があった。
その時は、一般の旅行者としか気に留めなかった。
この話をきっかけに、女将さんは何故か初対面の旅人に長万部の歴史とともに浮沈の大きかった半生を語るのでした。
そして歳をとって、いまは宿泊客の食事の面倒が見られず素泊まりの宿になってしまったことを残念がっていた。

夕食は、近くの駅弁屋でカニメシ弁当を買ってきて宿の部屋で食べた。


次の日は、長万部町から豊浦町の礼文華まで30km近い旅になった。
日本一周徒歩の旅の計画を練った時、ある区間だけはどうしても一日徒歩距離35kmを超えてしまう所があった。
それは長万部町から豊浦町の区間で、どうしても40kmを超すところしか宿が見つからなかった。
徒歩旅行の原則として、海を渡る時に船に乗る他は、乗り物を利用しないことに決めていた。
その原則を諦めなければならないかと一時思った。
いろいろ調べて、この礼文華に1軒だけ旅館が見つかり、ようやく徒歩旅行実施の決心がつけられた。

長万部の朝は雨だった。
しかし、強い雨でなかったので出発することにした。
まさか、日本一周徒歩の旅で最大の苦難が待っているとも知らずに。

朝、近くのコンビニで朝食用に巻き寿司、牛乳、ヨーグルトと昼食用におにぎりとお茶を買った。
長万部の市街地ではそれほどでもなかった雨が、海岸沿いになると強い横風を伴った。
いくつもの峠道になるとさらに強い向かい風になったりで、折りたたみ傘の骨はポキポキに折れた。
見かねたドライバーが車に乗れと誘ってくれたが、丁重に断わり歩き続けた。
雨の中、休むのに雨宿りするところが見つからない。
やっと見つけた廃屋では、ガラスの破片でバックの防水カバーを切り裂いてしまう始末だ。
昼時になっても、バックのおにぎりを取り出して食べられる場所が見つからない。
廃業したドライブインの前に電話ボックスが見つかり、勇んでボックスのドアーを開けた。
ところが、先にバイクのドライバーが寒さに震えながら座り込んでいた。
ようやく別の電話ボックスがひとつ見つかり、その中で立ちながらおにぎりを食べた。
後で分かったことだが、この静狩国道は北海道でも有数の難所だそうだ。
その静狩国道から宿のある室蘭本線礼文駅前に向かう交差点を通り過ぎてしまった。
雨中だったことと、交差点の案内標識に礼文駅名がなかったための判断ミスだった。
2km近く行ってなんだかおかしいと気づき戻って近くの民家で尋ねたら、やはりその交差点が正しかった。
この強い雨と風の峠道を往復で4km程もオーバーするミスは、身にこたえた。
ミスもあって30kmを超す道程だったけれど、ほとんど休む時間をとらなかったので宿には16時過ぎに着いた。

そんな想いでやっと宿に辿り着いたのに、宿の女将さんはこの雨では来ないと思ったというのである。
それで、夕食の準備をしていないので、インスタントラーメンとご飯だけにしてという。
仕方なく娘さんが用意してくれた具もないラーメンとご飯を口に運んだが、冷えた身体には温かいラーメンはそれなりに食べられた。
それから風呂に入りたいというと、大きな浴槽だから一人では勿体ないのでシャワーだけにしてという。
疲れた身体を癒すため、どうしても風呂に入りたいというと、宿泊料金を1000円アップする条件でお湯を沸かしてくれた。
ところが浴槽の湯は、何度も沸かし直しているようで湯垢がいっぱい浮かんでいて足を突っ込むと先がヌルヌルする。
とても湯に浸かることができなくてシャワーだけにした。

この話を、この先々の宿で同宿の人たちに話すとみんな信じられないと言って憤慨する。
私もその時は同じ気持だった。
食事の時に、女将さんが去年泊った若者が宿代がないと言って払わないので大騒ぎになった話をした。
今の若者は、親切にしてやっても恩を仇で返すと嘆いたりもした。
その時は女将さんの話に相槌を打ったものだ。
しかし宿を出るときには、若者も私と同じ様な経験をして憤慨し、宿代を払う気持ちにならなかったのではないかと内心思った。

一方でこんなこともあった。
雨でずぶぬれになって着いた私を見て、女将さんはすぐにストーブ近くに呼んでくれた。
そして濡れた衣類は急いで洗濯してくれた。
ところが衣類の中にティシュペイパーが入っていたために、洗濯槽や洗濯物に紙屑がいっぱいこびり付いてしまった。
女将さんはそのことをとがめることもなく、ひとつひとつ紙屑を取り除いてくれた。

以上の二つのことから、わたしは次第に次のように思うようになった。
女将さんはお客を粗末にする意識はなく、自分なりに親切にしているつもりなのだ。
豊と云えない生活をしてきた女将さんと、宿はこうあるべきとする一般人の生活感覚とがずれているだけなのだ。
1億人以上もいる日本でこれ位の違いがあってもおかしくないのではないか。
ましてや私にとっては、この宿のお陰で徒歩旅行が続けられるのだと。
上記の同宿舎との会話で、最後に私がこういうと、「さすが歩いて長い旅をしていると云うことが違う」と大笑いになってその場が盛り上がるのだった。



Back

Top

Next