No39 北の大地 編(苫小牧市〜鵡川町)

この日は、朝から小雨だった。
ここ苫小牧駅前から鵡川町までは35km前後の行程である。
無理すれば一日で行ける距離だ。
しかし天気も悪そうなので、中間の勇払町で一泊することにした。
ところが、その町の宿に電話すると、どこも満室だという。
近くの出光石油の工場で大きな工事があって、その関係者の宿泊で一杯だという。
やむなく手前の苫小牧市沼ノ端にある旅館に電話して予約がとれた。

そんな訳で、今日の行程は僅か10kmである。
雨宿りを何度もしながらも、沼ノ端駅入り口交差点に着いたのはまだ11時だった。
今日の宿は、この交差点から500m位を勇払町寄りに行ったところだという。
いくらなんでも、昼前にチェックインする訳にはいかない。
しかし雨では、余り動き回ることができず、どうしたものかとあたりを見回した。
すると交差点角に生鮮館と云うスーパーがあって中に喫茶店があった。
そこで、コーヒーを飲んだり、ランチメニューのオムレツカレーを食べたりして13時前までねばることになった。

宿には丁度13時に着いたが、すぐに部屋に案内してくれた。
外観は旅館の造りだが、部屋はビジネスホテル並みの洋室だった。
トイレと洗面台は部屋付きで、浴室は共用の光明石温泉の浴場にサウナ付だ。
また、高速RAN等のインターネット利用の環境も整えられている。
ビジネス旅館として現在考えられる最先端の宿ではないかと思った。
浴室は24時間利用可能だというので、さっそく温泉で疲れをとり、洗濯したり日記を書いたりと思いがけずゆったりした午後になった。
夕食時に食堂に行くと、多くの宿泊客がいてこの宿も満室に近いように見えた。
この温泉は腰痛に効くということもあって、この宿に泊れたのは、いろんな意味でラッキーだった。


次の日は、天気がさらに悪くなって一日雨だった。
苫小牧市沼ノ端から鵡川町に行くには、浦河国道といわれる235号線とJR日高本線に沿う地方道の二つの道がある。
雨の中、地方道をたどることにした。

宿を発って一時間もたたないうちに勇払駅前に着いた。
苫小牧の賑やかな市街地から来ると、勇払駅はうらさびしい雰囲気だった。
待合室に一人で雨宿りしていると、哀愁のある懐かしい気分になってきた。
そんな気持ちから、誰もいない待合室や無人のホームに着いた列車の写真を撮った。
雨のせいか人出もなくさびしい勇払の市街地を抜けると、荒涼たる原野が続いた。
時折りすれ違うダンプトラックは、犬が身震いしてするように水滴を周辺に撒き散らしていく。
それを全身に浴びながら歩く。
雨宿りするところもなくひたすら歩く。
勇払のまちから日高本線に沿って東に進み、いったんその線路を渡り直ぐに丁字路を右に曲がるのが、地図で予想した行程だ。
ところがそこの道路標識は「真直ぐ浦河へ」というものしかない。
右へ行く道は、行き止まりの道かもと迷った。
この辺りは、1960年代に大規模工業団地開発計画として開発が進められた「苫小牧東部地区」である。
計画は挫折して、ところどころ道路だけが造られただけで、他は荒れ地のまま放置された状態だ。
尋ねる人家もなく、やっと来たダンプの運転手に聞いても、雨の中聴き取りにくく要領を得ない。
結局、真直ぐ進んだり戻ったりウロウロして、ようやく国道235号にでた。
勇払駅の待合室で休憩してから約3時間歩き続けて、浜厚真野原公園のコンビニで助六寿司とお茶の昼食をとりやっと一息ついた。

雨にぬれた身体が冷えてきて、鵡川駅前に着いた時はホッとした。
そこから今日の予約した宿に電話して道順を尋ねた。
宿は駅前通りを真直ぐ東に1kmほど云ったところにあった。
なかなか風格のある外観の宿だ。
女将さんは玄関前で待っていて、私が脱いだ濡れた靴に新聞紙を差し込むと、すぐに2階の部屋に案内してくれた。
建物の内部も、歴史を感じさせるものがいっぱいで、一目で気に入ってしまった。
部屋には豆ストーブがあって、女将さんは薪を燃やして部屋を暖めてくれた。
よく乾燥された薪はきれいに燃え尽きて灰になるのにはちょっと驚きだった。
さらに女将さんは、急いでお風呂の用意もしてくれた。
ながながと浴槽に身体を沈めながら、つらいことの後にはこんないいことがあるのだとしみじみ思った。

夕食は、女将さんが部屋までお膳にのせて運んでくれた。
わたしが歩いて旅をしている話をしたら、女将さんは笑いながら、この宿はそういうお客さんが多いという。
毎年、夏には自転車や徒歩で北海道一周するという旅人がやってくる。
6月中旬の現在、わたしがそうした今年最初の旅人だと嬉しそうに話してくれた。


次の日は、朝から強い雨だった。
小雨程度であれば出発する予定だったが、この雨ではどんなに雨装備をしてもずぶ濡れになって身体が冷えてしまう危険がある。
それで出発を諦めることにした。
女将さんに連泊の了解を得て、昨日予約した次の宿である門別町の民宿に宿泊延期の電話を入れた。
民宿の予約をしたときに、雨の時は一日延期の電話をすることにしていたので、こちらもスンナリ了承を得た。

連泊が決まり午前中は、洗濯をしたり、自転車で地球の半周分(2万キロ)を走行したという人の本を読んだ。
この本は、樋口 正著「我がサイクリング人生・夫婦坂の巻」で、この宿に泊った著者が女将さんに贈呈したものだ。

昼頃に雨がやんだので昼食も兼ねてカメラを持って散歩に出た。
鵡川町の中心通りも、歩道や街灯それに公衆トイレがきれいに整備されていた。
特に左記の写真のように街灯は、北海道のまちごとに個性的にデザインされていておもしろい。

昼食は何となく「野菜炒め」が食べたいとおもいながら街をブラブラ歩いた。
たまたま入った食事処にそれがあり注文した。
店内は小ぎれいでマスターはちょっと味な風格があった。
そのマスターがいかにも書きそうな「おいらの信条」というパンフが置いてある。
そのパンフによると新鮮な食材を使ったていねいな料理作りが信条だという。
たしかに「野菜炒め」はおいしかった。
店の中は結構混んでいて、話し声が耳に入るけれど特に訛りというものもなく、関東のどこかの店にいるような雰囲気だった。

宿に戻り女将さんの了解を得て、宿の内部を撮影させてもらった。
この宿の創建は明治で、時代々に古いものを大切にしながら改修を重ねてきたそうだ。
むかしは、2階からまち全体と太平洋まで見渡せたそうだ。
階段、トイレ、電話室、豆ストーブ、ガラス障子等は、そうした歴史を感じさせてくれる。
外国人のリピーターも多く、特に知床の生態系を研究しているカナダ人夫婦は、ここの座敷に座って膳で食事するのが大好きだそうだ。
女将さんのそうしたいろんな宿泊客の話が面白く、ぜひ本にされたらどうかと勧めてみた。
女将さんは微笑んだままだったけれど、いつか実現してほしいと願っている。


翌朝、出発するときには、女将さん姉妹が揃って見送ってくれた。
このホームページ記載の別シリーズ「日本の宿、No15 感動の宿」でも紹介した通り、日本一周徒歩の旅で最も記憶に残った宿だ。
いつか必ず妻と一緒に再訪したいと願っていた。
しかし、昨年届いた年賀状に「昨年(平成21年)5月に看板を降ろしました」の一文が添えられていた。
またひとつ、歴史のある宿がなくなったかと残念な気持ちだ。




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