No42 北の大地 編(浦河町〜えりも町)

今日は晴れてはいたけれど、雲が多く日射しは強くない日だった。

この日は、浦河町東町から様似町本町まで14kmの旅だ。
少し足が重い感じがするけれど、のんびりした気分で歩き始める。
JR日高本線に沿っての道で、鉄道と海が旅の友だ。
まっすぐ延びて行く線路は、いつ見ても旅情をそそられて思わずシャッターを切ってしまう。

JR日高幌別駅前を過ぎると、国道沿いに「優駿の門」というのがあった。
門をくぐると、浦河町郷土資料館と馬事資料館の二つの建物があった。
どちらも入場無料なので入ってみることにした。
町の縄文時代からの歴史資料が陳列されていて、結構、興味深い。
開拓時代の藁普請の家には、良くこれで冬の寒さをしのげたものだと驚く。
農具や漁具の変遷も展示されていて、どれも開拓の苦労を偲ばすものばかりだ。

資料館を出て歩きだすと、しばらくして右腰がギクッときて腰痛が再発した。
何かの拍子で、違ったチカラが加わると起きるようだ。
それ以上、チカラを加えないでソロソロ歩いたら治まった。

そんな少しへばった状態で歩いて行くと、きれいに整備された公園の様な所に出た。
親子岩ふれ愛ビーチキャンプ場と云う所だった。
親子岩と呼ばれる二つの大きな岩を眺める展望所で休んでいると、自転車でツーリングしているカップルがやってきた。
互いに記念写真を撮り合ってから、話をすることができた。
女性は在日韓国人で、今は韓国に住んでいるという。
韓国の男性と小樽からツーリングを始めて10日目になる。
キャンプしながら40日の予定で北海道を廻る予定だそうだ。
わたしも歩いて銚子から来て北海道を一周すると話したら驚いて興味を持ってくれた。
私の名刺を渡して、名前を尋ねると、女性は中岡さん、男性はビヨン ジュヨルさんと云った。
明るく元気な二人からチカラをもらい、手を振って去っていく背に旅の幸運を祈る。

そこから歩き始めると、すぐに市街地になってその道沿いに今日の宿があった。
まだ13時で、玄関で声をかけても返事がなく人の気配すらない。
昼食はまだだったので、周辺に食事処がないか探したがなかった。
仕方なく自動販売機で缶コーヒーを買い、近くの様似漁港へ行った。
そこで夢民村で知り合った喜多さんが差し入れてくれたパンの残りを食べた。
食べ終わってから、周辺を撮影して廻った。
その時、漁港の岸壁や宿の向かい側にある住吉神社の石段に大きな亀裂があることに気づいた。
そう云えば、2年前の十勝沖地震の記憶がよみがえる。
この地方は、たびたび大地震にみまわれる地震帯なのだ。

宿の周辺を撮影して戻っても、宿には相変わらず人の気配がない。
電話をしても、誰も出ない。
それで、親子岩のビーチに戻ったり、様似漁港の背後に立つ観音山山頂に向かう222段の階段を上って写真を撮った。
その時に撮った左記の写真は、高さ70mのエンルム岬で、そこから望む太平洋に落ち込む断崖の眺めは素晴らしいという。

このように宿のある様似町の本町周辺を撮影したり、住吉神社の石段で待つこと3時間が過ぎた。
ようやく女将さんが宿に来て部屋には入れたのは午後4時だった。


翌日、海岸には濃い霧が発生していた。
歩き始めの時は、ちょうどその霧が徐々に海に引いて行く時だった。
霧が引くにつれて、海岸の人家や背後の山が姿を現す様は、まるで舞台の幕が引かれるようで圧巻だった。

そんな霧の幕間を抜けると、JR様似駅前に着いた。
函館から、函館本線、室蘭本線そして日高本線と並行しながら旅を続けてきた。
その鉄道は、ここ様似駅が終着駅になる。
いつも一緒だった鉄道とここで別れるとなるとちょと寂しい。
駅のホームに入って撮影する。

落ち葉の舞い散る 停車場は
悲しい女の吹きだまり
だから今日もひとり 明日もひとり
涙を捨てにくる

1971年に奥村チヨが歌って大ヒットした「終着駅」の歌詞だ。
様似駅は、こんな歌のイメージにピッタリだった。
もしかして、この歌が流行っていた頃、本当に何人もの女性がこのホームに降り立ったのではと思ったほどだ。

様似町の市街地を過ぎると、道路も少し狭くなって交通量が一段と少なくなった。
そして、海からは絶えず霧が押し寄せてくる。
山側も急斜面が多く、がけ崩れ防止のトンネルが多い。
様似町から先へ鉄道を通すには、トンネルばかりとなり莫大な費用を要し実現が叶わなかったに違いない。
いやこの国道建設でも、膨大な費用と労力を費やしたことだろう。
海側は列柱になっているトンネルの柱の間で休息をとって、そんなことを考えたりした。

こうした辺境の地でもたくましく生きる人達がいる。
胸まで海に浸かりながら昆布を採る人。
とった昆布を、ひとつひとつ浜辺や道路にひろげて干す人。
そういう人たちを写真におさめて元気をもらった。

様似町からえりも町の市街地に入るまで、コンビニ、ドライブイン、食事処のたぐいはなかった。
えりも町のコンビニで野菜サンドと牛乳の昼食にありついたのは、午後3時半である。
お腹がすくと体力が落ちるものだ。
この間は、様似町のコンビニで買った黒砂糖飴が救いだった。
また、昨日のように腰痛が出ないか心配だったが、それがなかったのは何よりだった。



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