No58 北の大地 編(音威子府村〜中頓別町)

連泊した次の日は、台風7号の影響で北海道地方も夕方から雨の予報だ。
今日も宿でおにぎり弁当を用意してもらい、気を引き締めて出発する。

音威子府から浜頓別町に至る道は、国道275号線になる。
この道は、さらに交通量がぐーんと減った。
まったくの山道で、周りの景色を楽しむということもなく黙々と歩く。
おおむね4kmごとに休むというピッチで歩く。
車がときどき通る程度の交通量なので、休みたい時はどこでも道端にシートを敷いて休憩する。

この道にも天北峠というところがあって、音威子府村と中頓別町の境界になっていた。
天北峠を過ぎてしばらく行くと、「小頓別」と云う地名の小さなPAがあり、そこで昼食にする。
昼食後も黙々と歩いて行くと、「砂金のまち」と書いたサイロの形した建物が眼に入る。
ざるで砂金をすくう絵もあって、いよいよ北海道の奥深くに着たものだと実感する。


ところがそんな気持ちを払いのけるような、現代的な白い建物に出会う。
近ずくと、どうやら小学校の様だ。
北海道を歩いていて感じるのは、どこも地域の学校にかける想いの強さだ。
どんなに財政的に弱そうに見える地域でも、学校建築には思い切りお金をつぎ込むように見える。
そうしたことから見れば、ここにこうした立派な建物があるのに不思議はない。
だが、そこからは活気が伝わってこなかった。
後で調べると、その敏音知(ピンネシリ)小学校はやはり廃校になった。
その建物を活用して、平成20年4月に「そうや自然学校」が開設されている。

敏音知小学校を過ぎるとすぐに、道の駅「ピンネシリ」があった。

道の駅と道を挟んで反対側に、今日の宿「望岳荘」もあった。
望岳荘は、中頓別町が建設し運営を民間に委託された公共の宿だ。
部屋には、どういう訳か「テルテル坊主」がつり下げられていた。
望岳荘は、ピンネシリ温泉ともいわれる施設で地元の人が大勢湯に浸かりにやってくる。
温泉は鉱泉だけれど、肌がすべすべして身体が温まる。
ふと、音威子府でなくここに連泊したかったと残念に思った。


次の日の朝は雨だった。
台風7号は東にそれて直撃は避けられたが、今日はその影響で全道が雨の予報になった。
テルテル坊主の願いよりも、わたしの「ここに連泊したい」の密かな下心が勝ったのだ。
歩けないほどの雨ではなさそうで、ずいぶん迷ったけれど「無理をしなくて済む時は無理をしない」の原則を想い出し連泊することにする。
一日中雨で外出できないけれど、温泉に浸かり風呂場のマッサージ機で身体をほぐす等して過ごす。


連泊した次の朝は、台風も去り雨が上がって曇りとなった。
気温も17℃程と歩きやすそうだ。
宿を発つ前、フロントの受付係が可愛らしくカメラを向けたら微笑んでくれた。
今日は、中頓別町の中心市街地まで14kmの短い旅だ。
連泊し休養十分になって、元気に出発する。

望岳荘の名前の通り、宿の目の前にある敏音知岳(703m)は半分雲に隠れたままだ。
天気が良ければ、敏音知岳の頂上からは東のオホーツク海と西の日本海の両方が眺められるそうだ。
沿道は、相変わらずの山道で、ときおり乳牛の牧場に出くわすぐらいだ。
松音知と云うところには、きれいなバス待合室があり、そこで休憩する。
ここも、旧国鉄天北線の駅跡なのかもしれない。


今日もおおむね4km毎に休みをとり、昼時に中頓別のまちに着いた。
折よく食事処もあって中に入る。
コーヒー付きと云うのでとんかつ定食にした。
とんかつはカリッと揚がっておいしかったが、コーヒーはインスタントコーヒーで自分で淹れるということだった。
コーヒーを飲んでいると、ハーレーの排気音を響かせて格好よく二輪車ライダーが二人して入ってきた。
ヘルメットを脱ぐとどちらもかなりのオッサンでおかしかった。
そして、自分もオッサンなんだと気づいて心の中で苦笑する。
今日の宿は、旧天北線中頓別駅の近くだった。
中頓別駅の跡は、メモリアルパークとして整備され、駅舎跡はバス待合所になっている。
駅前市街地は、廃屋もあって寂れた感じで悲しい。
駅前通りに、ナショナル、三菱、日立とメーカー毎の系列電気店がまだ揃っていて驚く。
これは、全盛時には全国どこでも見られた昭和の風景だ。

宿には14時前に着いた。
部屋でしばらく休んだ後、まちをぶらついてみることにする。
中頓別町郷土資料館があり入ってみる。
受付で入館料150円を払うと、係員が急いで館内の電気を点けてくれたのが、何かおかしかった。




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