No60 北の大地 編(猿払村〜稚内市潮見)

今日は、猿払村から稚内市宗谷岬までの旅だ。
いよいよ宗谷岬に達するのだと思うと心躍る。
この第2次日本一周徒歩の旅の最終目的地は、石川県のJR金沢駅前だ。
しかし、内心はどこまで行けるのか自信がなかった。
それで、密かに中間目標を立てていた。
第1目標は本州最北端の大間崎、第2目標が日本最北端の宗谷岬、 第3目標を北海道一周までの三つである。

朝、出発するときは、登山でいえば幾つものベースキャンプを経て、いよいよ山頂を目指す気分だ。

朝からそうした私の気合が宿の女将さんに届いたのか、頼んでおいたおにぎりは超特大だった。
気合を入れて出発したものの、昨日のロング行程の疲れが残ったのか身体がカタかった。
東浦という集落で、昼少し前だけれど昼食をとることにした。
小学校の玄関の土間でおにぎり弁当をひろげた。
さすがにこの超特大おにぎり3個は、食べきれず1個残した。
東浦では、飲料水を補給するつもりでいた。
しかし、自販機を見つけられないままに集落の端まで来てしまった。
この先は無人の荒野が続きそうだ。
思い切って、道端にある民家の窓から中に声をかける。
主婦らしいひとが顔を出したので、カラのペットボトルを差し出して頼んでみた。
そのひとは、気持ち良くペットボトルを受け取ると、冷たい水をイッパイにして返してくれた。

東浦で飲料水を補給できたことがどれだけ幸運だったか、その後身にしみて分かる。
東浦からは、アップダウンを繰り返す無人の荒野道が続いた。
強い陽射しで、暑さを避けて休憩したくても日陰がない。
やっと見つけたのが、細い電柱の日影だった。
この細い日影と東浦で得た飲み水のお陰で、やっと歩く力を保つことができた。
函館から大沼公園へ行く道でもこんなことがあったと想い出す。

汗だくの身体で宿に着き、部屋に荷物を置くと、急いで宗谷岬に行く。
岬は、宿から歩いて5分位のところだった。
夕方の6時前で、まだ大勢の観光客が「日本最北端」のモニュメント周辺で記念写真を撮ったりしている。
ついに宗谷岬にやってきたのだ。
千葉県のJR銚子駅前を発ってから、歩いて115日の道のりで。
良くここまで来れたと、我ながら感動がこみ上げてくる。

宿で記帳するとき女将さんに、銚子から歩いてきたと話したら、前にも似た人が泊ったという。
田崎さんだった。
田崎さんが泊ったのは7日ぐらい前だともいう。
わたしは興部町から内陸に大きく迂回したので、海沿いを直進した田崎さんとは 大分差がついてしまったのだ。


次の日の朝食時に、女将さんは美しい笑顔でいろんな旅人の話をしてくれた。
石川文洋さんや田崎さん、それに6月に泊った人の話。
その人は、ロンドン在住で定年になり、たまたま石川文洋さんのことを知って歩く旅を始めたそうである。
わたしの様に石川さんに影響を受けて、歩く旅を始めたひとがいる。
きっと、まだ他にもいるに違いない、世の中は広いものだと思う。

宿を出て宗谷岬あたりは、濃い霧だった。
それでも、早くも大勢の観光客やライダー達でにぎわっていた。
樺太探検で名高い間宮林蔵の銅像をながめてさらに先へ進む。
今日から、海は日本海になった。
徐々に霧が薄れてきて、その中から次々と自転車でやって来る若者に出会う。
その中の一人の若者と話をする。
東海大学2年のU君で、自転車でここから2カ月かけて沖縄まで行くという。
写真を撮らせてもらい、お互いに旅を終えたらその報告をしようと約束をして別れる。

後日旅を終え、この時の写真を添えて手紙を出したが、残念ながら彼から返事がなかった。
それにしても、この自転車で宗谷岬目指してやって来る若者の多さに驚く。
オホーツク側の道ではめったに出会わなかったのに。

今日の宿がある稚内市潮見の手前3km程のところで、最後の休憩をとる。
民家のコンクリートのタタキで休んでいると、近くの工場の様な建物から一人の男性が出てきて話しかけてきた。
すぐに建物に戻って、こんどはコーヒーカップを二つ持ってやってきた。
それから、二人でコーヒーを飲みながら思いがけない長話になった。
男性は佐藤さんと云って、わたしの故郷名古屋の大学で学び、その時に知り合った岐阜の女性が奥さんだという。
わたしも、遠い北国の住民にご縁を感じて話がはずんだ。
佐藤さんが出てきた建物はほたて工場で、彼はそこの経営者だった。
別れ際に、そこの商品「ほたて貝ひも」一袋を渡してくれた。

後日、この時に撮った佐藤さんの写真を添えてお礼の手紙を出した。
すると丁重な返事と共にホタテの名産品を沢山送っていただいた。
佐藤さん、旅の時もその後も大変お世話になりありがとうございます。



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