No73 津軽・出羽 編(函館市港〜青森市三内丸山)

今日は、北海道一周の旅を終えて本土に戻る。
青函フェリーで青森港に渡り、JR青森駅に近いホテルまでが、今日の旅だ。
函館の宿はフェリー乗り場に近く、朝からのんびりした気分に。

それでも、フェリーの出航時間9時40分より50分前にフェリー乗り場に着く。
フェリーの名は「ばにあ号」で、5110トンの船だ。
乗船客は、数十人程度と少ない。
天気も良く、フェリーは定刻通りに出航する。
フェリーの出航風景を、あちこちデッキを動き廻って写真におさめる。
それから2号船室に戻って、しばし横になる。
再び展望甲板に出ると、待合室で見かけた若者が話しかけてきた。

いろいろ話しているうちに、彼は16歳の少年で、小学校3年の時に母を亡くした、という身の上話になった。
さらに今度は、脳腫瘍で3年間の闘病生活を送っていた父親まで亡くしたそうだ。
施設に入れられそうになったので、東京にいる82歳のお祖母ちゃんのところへ自転車で行くところだという。
寝袋や雨具の用意もなく、どのくらいで東京に着けるかの具体的な計画もなさそうだ。
学校は、海上自衛隊江田島学校それに高専と普通高校の三つを受験し、それぞれ合格したそうだ。
中学の先生のすすめで高専の建築学科に進んだけれど退学したとも話す。
まだ少女のようなあどけなさが残る少年が、初対面のわたしに淡々と話すことに驚く。
これからの生活の不安や東京まで自転車で行くことの心配があるのだろう。
誰にも話せない孤独感を、同じ匂いのする旅人に話すことで癒されるかのようだ。
3時間以上の船旅は、デッキでの彼との話であっという間に過ぎる。
わたしが、「お父さんは最後に君に何と云ったの?」と尋ねてみた。
すると、すかさず「ごめんね」だったという。

船が青森港に着いても別れがたく、一緒に昼食をとろうかと云うとうなずく。
ところがなかなか適当な食事処が見つからない。
結局、彼は自転車を引きながら、わたしと青森の中心市街地まで1時間近くも歩くことになった。
ようやく見つけた食事処で、彼が焼肉定食がイイと云うので、同じものを食べる。
昼食後も、どこまでも付いてきたそうな彼に、励ましと少しばかり旅費のカンパをして別れる。

今日の宿は、彼と別れて直ぐのところにあった。
夕方、夕食を兼ねて市街地の散策にでかける。


昨夜の天気予報では、今日は大雨、雷、洪水注意報だった。
しかし朝、目覚めると晴れている。
今日の予定は、三内丸山遺跡まで6km程の旅なので、急いで雨の降る前に出発することにする。

朝食抜きでの出発なのに、フロントで画像データを記録したCDR等を自宅に送る手続きで手間取り、7時20分にホテルを発つ。
途中のコンビニで、朝食用におにぎり3個を買う。
遺跡まで2kmのところに青森県総合運動公園があった。
雨はいっこうに降りそうもないので、この公園内の芝生地で朝食のおにぎりを頬張る。

三内丸山遺跡には、丁度、開場時間9時に着いた。
荷物を受付で預けていたら、9時15分からボランティアのガイドがあると云うので申し込む。
最初、申込者は2人だったけれど、すぐに観光バスの団体客が付いて、ガイドさんは大ハリキリになった。
今年でガイド歴1000回を超えたというベテランで、慣れた要領で面白く案内してくれる。
そのガイドさんがある時、縄文人は黒潮の流れに乗って遠い地と交流をしていた話をしたそうだ。
そうしたら、観光客から「潮の流れに乗って来て、帰る時はどうしたか」と聞かれて答えに詰まったという。
その時、漁師だと云う一人の観光客が「黒潮が岬に当たると逆流して本流に戻るので、その逆流を使えば良い」と教えてくれたそうだ。
この話に、わたしは思わず手をたたいた。
わたしも前から同じ疑問を持っていた。
また、北海道を旅してた時、黒潮の流れと逆方向の流れが見え、わたしの錯覚かと思ったことがある。
ガイドさんの話で、そうした疑問が氷解した。
この話はわたしにとって、遺跡見学以上の大きな収穫だった。

三内丸山遺跡では、9時から13時まで、雨に降られることもなく、たっぷりと見学できた。
遺跡の受付で、予約した今日の宿を尋ねると、ここから5分位のところだと教えてくれた。
宿は1階がラーメン店になっている旅館だった。
午後の天気は曇りのままだけれど、建物は新しく設備も整っており、部屋で休養をとることにする。
そして、家族、友人、写真仲間にいつもより長いメールを送る。

実はこの旅の最終目的地は、妻以外、誰にもまだ話していない。
旅の目的地は石川県のJR金沢駅前で、千葉県の銚子から北に向かって日本を半周するものだ。
日本を歩いて一周するは勿論のこと、この半周の旅さえ計画を立てたものの達成できるか半信半疑だった。
そんな気持ちが、この旅の目的は日本を半周することである、と云うことためらわせていた。
歩く旅を一月ほど続けられれば、それなりに体力が付いて少しは楽な旅になるのではと期待をした。
その期待は裏切られ続け、4か月過ぎた今でもいっこうに楽にならない。
それでも、北海道一周までできた今は、何とかこのまま行けそうな気持になった。
それに、これからの日本海沿いの旅は、北前船航路で栄えた土地を巡る。
歴史とロマンに満ちた土地は、きっと旅人に元気を与えてくれるに違いない。

メールは、この旅の最終目的地とそんな想いを綴ったものになった。




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