日本一周てくてく紀行

No.1 モノローグ

旅には適齢期というものがあるのかもしれない。
いくつになっても旅はできる。しかし、旅にはその年齢にふさわしい旅というものがあるのかもしれない。
――ー沢木耕太郎著 「旅する力」より

5年たって振り返ると、「歩いて日本一周する旅」は60歳で定年退職した私にふさわしい旅だったと思う。
この旅には、時間、お金、体力そして家族の理解と協力が揃わなければならない。 おそらくこれら全部が揃う幸運な時期は、生涯で60歳前後の数年しかないように思う。

時間はあっても経済力のない若い時は、歩いて日本一周するには野宿を覚悟しなければならなかっただろう。 そしてそんな苦しい貧乏旅行をするなら、海外旅行の方を選んだかもしれない。 多少経済力はある中年の頃は、仕事が忙しくこんな長期の休暇は許されなかっただろう。 体力が衰える高齢者になっては、身の危険さえ覚悟しなければならないだろう。 日本一周の旅をしたいなら、自転車やバイクあるいは乗用車による旅を選んだことだろう。

60歳で定年退職を迎える頃になると、これまでの人生を振り返って見ることが多くなった。 自分では思ってもみなかった多くのまちづくりプロジェクトに参画し苦しくとも楽しい仕事ができた。 家族もみな健康で、子供たちも順調に自立してくれた。 これ以上、不足があろうかと思った。
しかしすこし時が経つと、本当に充実した人生だったか等の疑念もわいてきた。

終戦の前年に生まれた私は、戦後の貧しい時代から高度成長期を経て「世界第2位の経済大国」といわれる 現代までを体験してきた。
現代は経済大国といわれながら、その豊かさを実感できない社会とも言われている。 共に還暦を迎えた戦後日本や私は、「本当のところどうなのか」と考えるようになった。
この気持ちの整理がつかないと、第二の人生をどう過ごすのかも定まらないと思った。

定年退職の日が迫ったある日のこと、報道カメラマンの石川文洋さんが「日本縦断徒歩の旅」をした新聞記事が目にとまった。 まさにこれだと思った。
歩いて旅をすれば、日本国土の大きさやひとびとのくらしを実感できるのではないか。
孤独な旅の中で今までの自分を振り返ってみれば何か得るものがあるに違いない。
とそう思った。
まっさきに妻に話すと、驚きで何も答えられないのか無言のままだった。
駄目かなと思っていたら、しばらくたって「わたしもその話にのった」と賛同してくれた。

こうして、私の延べ日数410日、総徒歩距離8436kmの旅が実現した。
この旅で、家族や友人に携帯電話から簡単な旅便りをメールした。 それに旅先で撮った写真を付けたものを、「日本一周徒歩の旅 旅便り」としてこのホームページに記載している。 しかしこれは、疲れた身体に鞭打って慣れぬ携帯電話からしたメールである。 何を見て、どんな体験をし、何を考えたか等を十分に語っているとは言い難い。

旅のただ中にあるときには、本当の旅の姿は見えてこない気がする。
旅を終え5年経った今、ようやくおぼろげではあるが見え始めたように思う。

「日本一周てくてく紀行」は、旅先で撮った一万枚を超える写真を見ながら地図を追ってそれを形にしてみようとするものである。
最後までご同行いただければ、こんなうれしいことはありません。