宿の盛衰

歩いて日本一周する旅を続けていると、「まち」の盛衰を目の当たりにして考えさせられることが度々ある。

かつては陸の孤島となっていた寒村に鉄道が敷かれ、鉄道駅を中心に「まち」が形成される。 そしてそこに、旅宿が誕生する。
何十年かして、鉄道ルートに並行して国道等の広域道路が整備され、道沿いにも街並みができる。 しばらくは、鉄道と道路の相乗効果で「まち」は活況を呈する。 宿はそうした「まち」のひとつの顔として隆盛する。
やがて、車交通が鉄道のそれを上回るにつれて、「まち」の繁栄は道路沿いに移っていく。 さらに別ルートにバイパス道路や高速道路が建設されると中小のまちは人やモノの流れから取り残されていく。 それ加えて、日本社会共通の少子高齢化の波が、「まち」に追い打ちをかける。 そして、「まち」はかつての活力を急速に失っていく。

そんな似た構図が、全国のあちらこちらでみられる。
軒数では大半を占める地方の宿の多くは、こうした「まち」の盛衰と共にある。

左記の写真は、北陸の小さな鉄道駅前に設置された石碑である。 石碑の裏側には、文明から取り残された集落の先人が、いかに文明の利器である鉄道の駅設置に奮闘したか。 そしてその成果で得た駅が、乗降客の減少に伴ってついに無人駅になってしまったことへの無念さが記されている。 それは戦後60年の地方の多くの姿でもある。