「一期一会」 出会い編Ⅱ

四国では、予想した以上に大勢の人々が、バス、車、自転車、徒歩と様々な手段で霊場巡りをしていた。 団体や夫婦連れが多い中、男女を問わず若者のひとり遍路も目立って驚きだった。 当然、お遍路さんと、同宿になることも多かった。 歩いて旅をしているということでは、わたしもお遍路も共通である。 そんな仲間意識からか、宿では直ぐに打ち解けた話ができて私の旅に彩りを添えてくれた。
四国遍路の旅では、発願の阿波(徳島)、修行の土佐(高知)、涅槃の伊予(愛媛)、結願の讃岐(香川)といわれる。 その修行の土佐で、若い二人のお遍路さんと印象深い出会いがあった。

そのひとりは、31歳の青年、Mさんである。 修行の土佐といっても、涅槃の伊予との県境に近い宿で、その青年は苦難を乗り切ってきたすがすがしい顔立ちだった。 夕食のときに、彼の方から話しかけてくれた。 私の故郷の名古屋にある会社を辞めて、次の新しい道を歩む区切りの旅だという。 この旅で、「謙虚に自分を見つめ反省することが多い」等と語ってくれた。 見ず知らずの私に、若者がこんな身の上話をしてくれるのも何かの縁というべきか。 いやいや、お大師さんのお導きかと嬉しかった。 食事を終えて、さらにもっと話をしようとしたのに、宿の幼子が彼にまとわりついて離れず中断してしまったことが残念だった。
翌朝、彼のお遍路姿を写真に撮らせてもらった。 笑うと野辺のお地蔵さんのような顔が、今も忘れられない。
旅から帰って、その写真を送ったけれど残念ながら返事はなかった。
彼の遍路旅が結願し、新しい道を力強く歩んでいることを願っている。

もうひとりは、うら若き娘遍路のTさんである。 同宿は私と彼女の二人だけで、夕食のとき、おじさんの私は少し戸惑った。 わたしが、歩いて日本一周していると話したら、驚いて興味をしめし自らもいろいろ話をしてくれた。 彼女は、まさに修行の土佐の真っただ中で、体力的に旅を続けられるか不安そうだった。 それでも、「ご接待で千円札をいただいて、大切にとってある」と嬉しそうだった。 また、「旅をしていて、素直に感動したり感謝できるようになり、お母さんに電話したら泣いていた」等とも話してくれた。 ひきごもり勝ちだったという娘が、お遍路の旅の途中からかけた電話が、どんなに母親を喜ばしたか想像できホロリだった。

翌朝、出立する彼女の写真を何枚か撮らせてもらった。旅を終えて、その写真を添えて手紙を出したら、丁寧な返事がきた。 その手紙には、その後も旅を続けて結願を果たし、さらに高野山、京都の東寺にお礼参りをして、約2カ月のお遍路旅を終えたとあった。
写真の彼女の持つ金剛杖は、擦り切れて10cmほど短くなっていたそうである。
あの娘さんが良くもここまでやったと、嬉しかった。