「歩く旅ではどんな宿がよかったですか?」とよく聞かれる。聞かれた私は、うーんと考え込んでしまう。
おいしい料理と女将さんの気配りが行き届いた旅館も良かった。リーズナブルな料金で、防音と空調で保護された個室に
広いベッドや清潔な風呂、トイレそして多チャンネル対応のTV等が備わるビジネスホテルも満足するものだった。
それに、「日本一周徒歩の旅」の様な長期の旅では、どんな素晴らしい宿でもみんな同じようではつまらなくなる。
結果的に多種多様で良くも悪くもさまざまな宿に巡り合えたことは幸運であったとすら思う。
旅を終えた今では、どの宿も懐かしいホットな気分で思い出すことができる。
それでもこの歩く旅でまっ先に思い出す感動した宿がある。
なぜこの宿がそんなに感動したか。
それは旅を始める前に、こんな宿に泊まりたいと願ったものが全部揃っていたこと。
それに加えて、その日の旅の状況がさらに感動を増幅させたのではと思われる。
「こんな宿に泊まりたい」と願ったものとは、
1 その土地の歴史や風土を感じさせてくれる建物。
2 その地域の食材を使ったおいしい料理。
3 一日の疲れがとれる清潔で快適な部屋、お風呂、トイレ等。
4 宿の人のもてなしのこころ。
5 標準的な宿泊料金。
である。
何とも欲張った望みでそのすべてにおいて満足する宿は、私にとってまさに「理想の宿」と云ってもよかった。
そんな宿が、6月とはいえまだ寒い北海道の荒涼とした平原の先にあった。
冷たい雨の中を彷徨い、街なかに出た時は心底ホッとした。
電話で宿の道順を聞いて玄関に立つと、女将さんは部屋の豆ストーブに火を入れて待っていてくれた。
この宿には、こうした徒歩や自転車で北海道を一周する旅人が毎年やってくるそうである。
女将さんは、過去のそうした印象深い旅人の話や明治の創建から今に至る宿の歴史を食事時に面白く聞かせてくれるのだった。