日本一周徒歩の旅で泊まった宿は、普通の旅行者が泊まる一般的な宿が大半である。
しかし、そんななかでもその宿の歴史を感じさせるものに出会うと、何かずいぶん得をした気持になる。
たとえば、北海道の今は無人駅になっている駅前の旅館で、寅さんこと渥美清の色紙に出会ったときである。
寅さんが映画の中で旅する場面や渥美さんや撮影スタッフたちがこの宿で過ごした様子を想像したりする。
そうすると、宿や周辺の風景が、寅さんの映画の世界になって旅の味わいがいっそう深まったりする。
また、いにしえより日本海の風待ち湊として名高い東北の港町で、懐かしい昭和のテレビが置かれた旅館に泊まった。
風待ちどころか、接近する台風の影響で強い風雨となり、この宿に連泊する羽目になった。
台風の影響もあるのか、このアンテナ付きの昭和のテレビは画像の映りが悪くいらいらしたものだ。
おまけに、こんなテレビでも有料で1時間ごとに100円玉をテレビ脇についているコイン入れに投入しなければならない。
こうした一般放送のテレビを見るのに有料というのは、日本一周で泊まった宿数369軒(連泊除く)のうちわずか5軒である。
すこし腹立たしいけど、昭和が頑張っているんだからと苦笑するほかなかった。
「No15 感動の宿」で紹介した北海道の小さな町の旅館での出会いである。
この宿の魅力は多々あるけれど、この豆ストーブの存在なしには語れない。
ぬくもりに身をまかせながら、使い込まれたストーブを眺めていると様々な想いにかりたてられる。
明治、大正、昭和、平成と代々続いてきた宿で、このストーブの前でどんな旅人がどんな思いを抱いたか。
自分もいまこうしてストーブの前にいることが不思議なようで、必然だったような気がしてくる。
この旅館は、旧山陽道の古い湊だった所に位置している。
創業150年という由緒ある宿だ。
そんな宿とは知らず電話をしたら、宿泊料金をたずねる声の雰囲気から察した女将さんが、ビジネス客の条件でと手ごろな値段にしてくれた。
上陸した土佐藩士が駕籠で来てそれを置く駕籠石。明治天皇が昼食を取られた部屋。司馬遼太郎他有名人が泊まった部屋とかがある。
まさに歴史がつまった宿である。極めつけは、大石内蔵助が討ち入りの翌日に書いたという直筆の報告書である。
食事をとる部屋にさり気なく掛けられていた。
これらのことは、出発の朝にたまたま女将さんが説明してくれたものである。
連泊の思いを断ち切って、旅立ったことがいまは悔やまれる。