旅館の夕食が、写真のインスタントラーメンにライスだけだったという話をひとは信じるだろうか?
この写真は、自宅で再現したものですが、まさにこの通りのものが日本一周徒歩の旅の宿であった。
日本一周徒歩の旅では、決して乗り物に頼らず歩きとおすことが大原則だった。そのかわり野宿などの無理をせず必ず宿に泊まることも原則とした。
ところが、ある区間だけはどうしても電話帳からは宿が見つからず、その原則を諦めかけたことがあった。
念の為にとルートを変更したら、辛うじて一軒だけ宿が見つかった。それがその旅館だった。
その日は、途中から強い雨と風となり、しかも難所といわれる峠越えの旅だった。
ずぶ濡れになって前日に電話で予約した宿に辿り着いたら、年老いた女将さんは暖かいストーブに招いて着替えをすすめてくれた。
すぐに濡れた衣類を洗濯しながら、こんな日ではお客さんは来ないと思ったから、夕食の準備はしていないという。
そして、「朝食は何とかするから夕食は我慢して」と言い訳して、娘さんに温かいラーメンを用意させた。
そして出てきたのが、写真通りのラーメンライスだった。
ラーメンは、インスタントのチキンラーメンで野菜などの具は一切なにも入っていない。ライスには漬物と云った添え物もないのだ。
え!と驚いたけれど、冷えと空腹のからだには逆らい難いものだった。
食べ終わり、お風呂はとたずねたら、「風呂は大きいので、一人では勿体ないのでシャワーだけにして」という。
「今日は身体が冷えて疲れているので、割増料金を出すから」と頼んで、風呂を沸かしてもらった。
沸きましたという声で、風呂場に行くと、たしかに一人では大き目の浴槽だった。
そして、浴槽に足を入れようとして眼を見張った。一面に湯垢が浮かんでいるのだ。
ままよ!、体が温まればよいからと湯の中に足を踏み込んだ。
そうしたら、足の裏にぬるぬるとした感触が走った。とてもそのまま身体を沈めることができず浴槽から飛び出た。
けっきょく、シャワーだけで済ます羽目になってしまった。
わたしが浴室から出てくると、女将さんはうれしそうに、「わたしも入ろう」と浴室に入っていくのには唖然とするばかりだった。
部屋の片隅に残された一昔前の週刊誌に眼をやりながら思った。
いったいこの宿の人は、どんなヒトなんだろうかと。
わたしの濡れた衣類を洗濯したとき、ポケットにティシュペイパーが入っていたために、洗濯機や洗濯物に紙屑がいっぱい張り付いてしまった。
でも、それを非難することもなく丁寧に紙屑を取り除いてくれた。
そいう親切さと、旅館を営む者にあるまじき無神経さ。
と、こんな話を旅先の宿で同宿の人達に話をすると、みんな「信じられない!、ひどい!」と憤る。
それに対して、わたしはそれでもこの宿のおかげで日本一周徒歩の旅をつづけられている。
あの日に、あの宿がなかったらどうなっていたかと思うと、あの宿に感謝こそすれ怒る気持ちにならないと答える。
「さすがに、歩いて長く旅をすると人間が違ってくるのだ」とはやしたて、その場が大いに盛り上がるのだった。
あれから、もう3年が過ぎた。今では、日本一周であんな宿が一軒あったことに、むしろほっとする気持ちがある。
単一民族の日本では何事にも均一化が進み、だれもが「日本全国どこでも旅館であれば、それなりのサービスが得られるのは当たり前」と考える。
しかし島国とはいえ、一億三千万人が住む国でこんなに違いがいのないことは当たり前で良いことなんだろうか。
北海道宗谷岬から鹿児島県佐多岬までの直線距離約1300kmをヨーロッパの地図に落としてみると、
フランスのパリからハンガリーのブタペストあたりまである。
その間には、フランス、ドイツ、オーストリア、スロバキア、ハンガリーの5カ国もある。
おそらく、この5カ国を旅すれば、もっと大きな価値観の違いを体験することだろう。