日本一周てくてく紀行

No.105 山陰 編(倉吉市山根~日吉津村今吉)

今日の天気予報は、くもりで風が強く、最高気温は14℃にしかならないという。
さらに、夜は雨になると云うので急ぐことに。
道は山陰本線に沿って進み、各駅の待合室が格好の休憩場所となる。
下北条駅では無人のホームに出て去りゆく列車を撮る。
由良駅では、列車を待つ待合室の様子を撮ったりする。

また、下北条駅と由良駅の間は、道路脇にきれいな小川が流れている。
その小川沿いの集落の入口風景に、なぜか惹きつけられてカメラを向ける。
由良駅のある大栄町から東伯町(現琴浦町)に入り、その先の大きな川を渡る。
沿道が華やかになり、大きな建物の焼きそばとお好み焼きの専門店が見えた。
ちょうど昼時で入ってみると、客が大勢いて賑やかだ。
焼きそばランチを注文し、これがなかなか美味しかった。

東伯町から赤碕町(現琴浦町)になり、日の丸と韓国旗を掲げる韓国風の建物が目に入る。
何だろうと不思議に思って写真に収める。
近ずくとその先に、道の駅「ポート赤碕」が見えた。
雨が降ってきたので急いで道の駅に飛び込む。
この通り雨で45分程も雨宿りすることになった。
道の駅から山陰本線赤碕駅前までは直ぐで、今日の宿はこの駅の真ん前にあった。
写真を撮ったり雨宿りしたりしたけど、宿に着いた時刻は15時25分だ。
典型的な駅前旅館で、玄関のガラス戸を開けて声をかける。
声をかけても呼び鈴を鳴らしても、物音ひとつしない。
仕方なく赤碕駅の待合室で待機することに。
するとまたも強い通り雨になる。
午後4時になって再度、旅館の玄関に入ると小学生ひとりが出てきた。
学校から帰ったけど誰もいないそうで、玄関で待つことにする。
約30分位して母親が帰って来て、ようやく部屋に案内してくれる。
洗濯したいと云うと、自宅の洗濯機を気持ちよく貸してくれた。
しかしそれ以降は、宿泊客のことは忘れたかのようだ。
風呂も食事もこちらから尋ねないと案内がなく、チョッとばかり驚く。

予定していた、自宅からの第1次後方支援物資は宅配便で無事に届いた。
逆に画像データーをコピーしたCDRや不要になった道路地図等は、宅配便で自宅へ送ることに。

翌朝、宿を出る前に昨夜用意した自宅へ送る宅配便の手配をする。
早朝で店が開いていないので、女将さんに近所の取扱店に電話してもらい持ち込む。

今日も気温が低く、風も強い。
そして、時々にわか雨も降る。
名和町(現大山町)役場の手前で、自転車で旅をしている人に出会う。
静岡の男性で四国から九州を一周して、日本海側から自宅に帰るところだという。
九州最南端の佐田岬で、宗谷岬を目指して徒歩旅行する外人2名に出会ったそうだ。
その内の一人は四国へ、もう一人は日本海側を行くと云っていたので、もしかしたら会えるかもと。
小雨が降る中の立ち話で、それ以上話ができず、その人の名前を聞く間もなく別れる。

山陰本線名和駅付近で、手打ちうどんの店があった。
昼にはまだ少し早いけれど、小雨が降り続けるので、ここで昼食をとることに。
天ぷらうどん定食にしたけど、うどんが美味しかった。
昼食後は雨もやみ、青空も見えだした。
しかし、相変わらず気温は低く、道路の電光掲示板では気温11℃だ。
倉吉市の旧市街地は赤瓦のまちで有名だけれど、そこ以外でも時々、赤瓦屋根の家を見かける。
ところが、お寺が屋根全部赤瓦というのは、見慣れないせいか異様に見える。
こういう驚きが、旅の面白さではあるが。

今日は30km程のロングな旅で、最後の4kmでは足腰がかなり張ってきた。
当初、今日の宿は、淀江町(現米子市)のビジネスホテルを予定していた。
そこに電話すると休業中と云うので、急遽、電話帳で宿を探した。
そして見つかったのが、淀江町の先、日吉津村にある公共の宿「うなばら荘」だった。
これが大当たりで、広域事務組合が運営しているそうで素晴らしい宿だ。
天然温泉場付きで「かんぽの宿」並みかそれ以上の施設だ。
宿泊料金はリーズナブルなうえ、60歳以上はさらに1割引きだと云う。
広い和室の窓からは、昼間は雲に隠れていた「大山」が雄大な全容を見せてくれる。
夕食は質、量とも歩く旅人にピッタリの内容で最高だ。
昨日、今日と、にわか雨の寸前に雨宿りができ、今日の宿は思いがけなく大満足の宿だ。
私はこういうツキを信じてプラス思考で旅をしている。
ところが、鳥取砂丘の宿で出会ったバイクでひとり旅する女性は、いつも悪い方のことを考えるマイナス思考で旅をするという。
なるほど、人はそれぞれ、人生もいろいろ。