第3次日本一周徒歩の旅は、第2次の終着地石川県金沢市のJR金沢駅前からの旅立ちになる。
平成18年3月26日(日)、その金沢駅前にやって来た。
前日に名古屋の実家に泊り、今朝、元気になった姉と入院中の母を見舞う。
母は3年前に脳こうそくで半身不随となり入院している。
92歳になる母は、昨年に見舞った時よりも話す声も大きく比較的聴き取りやすかった。
顔や手の肌がきれいで、病院の丁寧な介護ぶりがうかがえて安心する。
母を見舞った後、姉に車でJR名古屋駅まで送ってもらう。
そして、JR名古屋駅から特急しらさぎ号でJR金沢駅に到着した。
約5ヶ月ぶりにJR金沢駅前に立つと、巨大な赤門が出迎えてくれる。
このドーム付きの駅前広場には、今日も修学旅行中なのか中高校生の姿が目立つ。
今日の宿は、前回と同じ駅近くにある全国チェーンのビジネスホテルだ。
このホテルは、女性の感性を徹底的に生かした企画・運営で人気が高い。
前回までの何度かの体験でも、たしかにリーズナブルで快適な満足感のあるホテルだ。
今回の長い旅でも、かなり利用頻度が高くなりそう。
それで、いろいろな特典がつくこのホテルの会員になることにする。
フロントでその手続きをすると、振り込み口座指定の書類等で手間取る。
フロントに荷物を預け、前回と同じように金沢のまちを散策する。
金沢のまちを歩くのは、今回で3度目だ。
いつ来ても何か親しみがわく。
このまちをひらいた初代加賀藩主前田利家公は、わが故郷が生んだ英雄だ。
子供の頃、利家公の生家跡と云われる神社で遊んでいたら、前田家の何代目とかの当主が来られたことを今でも覚えている。
そんなことから、気のせいか、まちの人の話す言葉や雰囲気にかすかな故郷の臭いがする。
金沢のまちは、約400年前に利家公が開城して以来、戦災や震災を受けなかったという。
それだけに、百万石城下町の面影を、今も色濃く残している。
金沢城まわりをぶらぶら歩くだけで、武家まち、寺まち、商人まち、お茶屋まちとその雰囲気が味わえる。
旅の初日の夕食はどこで何をとろうかと歩く。
結局、今回もホテルの横にあるファミレスに入る。
前回と違って、旅立ち前夜の高揚感が出てこない。
景気づけようと、生ビールにステーキを加える。
いよいよ今日が南日本一周の旅立ちの日だ。
いつもの様に、朝6時前に目覚める。
真向法体操をした後、今日の能美市までの概略行程図をメモ帳に記す。
それからロビーに下りて、ホテルの朝食サービスをとる。
おにぎり、お新香、味噌汁だけのサービスだけど、旅人には大変ありがたい。
初日の今日は、好天気になった。
それなのに、なんとなく旅に集中できない。
数日前に、職場の元上司で、以来ずーと何でも話せるN氏から電話があった。
癌のため月末に入院すると云う話だった。
そのことが、頭にチラチラするのだ。
ふと気付くと、もう昼時になっている。
国道8号線の福留交差点を過ぎたあたりで、折りよくコンビニを見つける。
そこでカツ丼セットを買う。
この旅も、昼食はやはりカツ丼が多くなりそう。
昼食後、歩き始めて直ぐの交差点を右に、地方道で海側に向かう。
まもなくJR北陸本線を越す陸橋になる。
平野を突っ走る電車を眺め、旅心が少し湧いてくる。
美川町(現白山市)に入ると、沿道は旧街道の雰囲気になる。
道路脇に黒御影の石碑があって、この道が木曽街道と呼ばれる由縁が書かれてあった。
倶利伽羅峠の合戦で勝利した木曽義仲が、敗れた平家の軍勢を追撃した道と云うことで、この名がついたとある。
以来この道は、様々な想いを抱いた武将が往来したに違いない。
そんな感慨にふけりながら歩くと、町屋の小さなウインドウに豪華なのし飾りがみえる。
何故かそれは、栄華を誇った平氏の幻のようにみえた。
根上町(現能美市)に入ると、沿道は工場が目立つようになる。
今日の宿に場所を電話で尋ねると、JR寺井駅の近くだった。
今日は旅の初日でさほど疲れはないけれど、早くも両足の小指にマメができてしまった。
宿に着くと、80歳は過ぎていると思われるお婆ちゃんが温かく迎えてくれた。
歩いて日本一周の旅をしていると話したら、感心してくれて、すぐにお風呂を沸かしてくれる。
さらに、温かいお茶とお菓子を持って来て、下着も洗濯してくれるというので恐縮する。
夕食の時に熱燗を頼むと、女将さん(87歳)と夕食の手伝いに来た三女だと云う娘さん(62歳)が話し相手になってくれた。
女将さんは80歳過ぎの温和なお婆ちゃんと云った印象が、話す程に背筋がシャンとして眼光も鋭くなってくる。
いつの間にか、女将さんの半生話になってきた。
朝鮮で警官をしていた夫が戦死して、3人の娘(三女はお腹の中)を連れて帰国したという。
戦後の混乱の世を、一代で旅館を築いて子供を育てたそうだ。
その活力は、政治の世界にもおよび、町長、県会議員、そして森前総理等との付き合いもあると云う。
一方で、私には「男性にしては、カドのとれたなかなかの人だ」と持ち上げることも忘れない。
女将さんの気迫は、旅を始めてすっきりしない旅人にカツを与えてくれた。
<後日談>
旅が終わって、この時に撮った女将さんの写真とお礼の手紙を送った。
すると、丁寧な喜びの返事が返ってきた。
手紙の最後にうれしい句が添えられていた。
感謝して又よむたびに蝉の鳴く