日本一周てくてく紀行

No.121 九州 編(雲仙市国見町~熊本県宇城市松橋町)

国見町の朝、洗面所で昨夜夕食を共にした女性に会う。
「昨夜はあんなこと話してしまって恥ずかしい」としおらしい。
「いや、お陰でとても楽しかったです」というと、ホッとした様子だった。
朝食の時は、夕食時にいなかった男性客が一人加わった。
わたしの徒歩旅行の話を、大変興味を持って聞いてくれた。

今日は島原港ターミナルまで20km弱の旅。
宿の女将さんには、洗濯やインターネット利用等で大変お世話になった。
そのうえ、ビール代までサービスしてもらう。
女将さんと同宿の二人の女性に見送られて出発する。
今日も暑くなりそうで、タオルを頭にかけ帽子で押さえて歩く。
しばらくすると、後ろで声がする。
振り向くと、乗用車の窓から手を振りながら「ガンバッテ―」の声。
なんと、あの二人の女性たちだ。
同窓生の友人が車でフェリー乗り場まで送ってくれるところだと云う。
走る車の中からそんなことを云って、いつまでも手を振ってくれた。
約1時間ほど歩くと、多比良港というフェリー乗り場に到る。
多比良港と熊本県の長洲港を結ぶ有明フェリー乗り場だそうだ。
ちょうど、そのフェリーが出航するところで、もしかしたら二人の女性が乗っているかも、と見送る。

多比良港で長めの休憩をとって出発すると、国道251号は二手に分かれる。
国道は海岸沿いを行って、もう一方は旧街道のようだ。
その旧街道を行くことに。
人通りはほとんどないけど、生活の臭いがする道を行くのは心地よい。
それに、家並みの日陰があって助かる。
有明町で中華飯店があり、早めの昼食にする。
長崎ちゃんぽん(570円)を食べる。

今日は短い旅なので、のんびり行こうと思ったのが間違いだった。
気が緩んだせいか、暑さが身に応えてバテテくる。
やはり、ある程度の緊張感をいつも持ち続けないと、と反省。

それでも、島原城が見えると寄ってみる気になる。
近づいて、緑地化された濠に高くそびえる石垣と天守閣を見て気が変わる。
いやに天守閣が遠くに見え、行くのがちょっとシンドイ気になった。
それで、お城の西に続く島原武家屋敷街の方へ行ってみることに。
この辺りは鉄砲町と呼ばれ、扶時取り70石以下の屋敷が690戸あったという。
無料休憩所のある旧山本邸屋敷辺りには、韓国の高校生が修学旅行で大勢来ている。
高校生たちも暑さにうんざりで、街並みにもあまり興味がなさそうだ。
国見町の武家屋敷もそうだったが、ここも高く積まれた石垣の塀が特徴的だ。
そして、道の真ん中に石造りの水路が一本流れている。
この水路は、飲料水として使われ、水奉行によって厳重に管理されていたといわれる。

島原港は、市の中心市街地を通り抜けて南の外れにあった。
今日の宿はそのフェリー乗り場に近い旅館で直ぐに見つかる。
旅館に着いたのは15時頃で、チェックインは16時だと云う。
それで宿に荷物を預け、フェリー乗り場に行ってみる。
そこで、コーヒーを飲んだり、明日乗るフェリーの時刻表を確認したりして過ごす。

石川県の金沢市から旅立って、今日で60日目。
この夜は、歩いてきた道を思い起し感慨にふける。
歩く旅で、よく「辛くないですか」とか「何故そんなに長く続けられるんですか」と聞かれる。
その答えは簡単でない気がするけど、こう答えることにしている。
実は49%苦しいけど、51%楽しいからと。

次の日は、島原港から熊本港までフェリーで渡り、そこから宇城市松橋(まつばせ)町まで約20kmの旅。

島原港から熊本港まで30分で行く高速船(800円)と60分かかる鈍速船(680円)があり、鈍速船にする。
わたしが乗る8時35分発便の料金は、さらに4割引きの410円だった。
船尾のデッキに立って、去り行く島原半島を眺める。
当初、前の山に隠れていた普賢岳が顔を出し始めると、地肌色の広大な斜面に目を奪われる。
平成になってから7年程続いた普賢岳の大噴火の傷跡だ。
特に平成3年の大噴火による火砕流と土石流による大災害は、生々しい映像で今も記憶に残る。

時々、船室に入ってコーヒーを飲みながらテレビを観たりしていたら、アッと云う間に熊本港に着いた。

フェリーターミナルから熊本港大橋を渡って真直ぐ東へ向かう。
辺り一面、広々とした水田地帯だ。
きれいに平らに均した水田に、20×60cm程のゴム版の様なものを並べている。
余程、何をしているか尋ねたかったけど、余りにも熱心な姿に聞きそびれてしまう。
その先では、「熊本産 美味私の自信作 たまねぎ」と書いた段ボールを積み上げて出荷作業中だ。
やがて道は国道501号と直交する。
そこからは、国道501号を進み南下する。

昼近くなって、イタリアンレストランがあり入る。
コーヒー付きのランチ(680円)をオーダーする。
昼食休憩の後、しばらく行くと、熊本城に似た剛健な民家建築が眼に入る。
あの豪壮、剛健な美しい熊本城は、郷里名古屋出身の武将加藤清正が築造したといわれる。
清正は治水にも励み、今も熊本の人達に慕われていると云う。
この民家建築もその証かも、とチョッと清正を誇りに思う。

今日も暑かったけれど、風があって救われた。

今日の宿は、JR鹿児島本線松橋駅の近くにあった。
居酒屋と食事処も兼ねた旅館だ。
こぎれいな旅館で、部屋は洋式トイレ付の和室だった。

次の日の朝、天気予報は一日雨で強風注意報が出た。
今日の旅は日奈久温泉までの予定で、宿の予約も取れている。
出発するか迷い、どうするかは宿が確保できるかどうかの運(ツキ)に賭けてみる。
まず松橋町の宿に連泊できるか尋ねるとOKだと云う。
次に日奈具温泉の宿に、宿泊の一日延期を申し出る。
すると、明日は満室になっていて予約できないと云う。
やはり出発するしかないかと諦めかけた。
すると、電話の女将さんは、他の旅館を当ってみましょうかと云ってくれた。
勿論頼んでみると、しばらくして条件に合う旅館が見つかったと連絡がある。
電話の優しい声と上品な物言いに、この女将さんの旅館に泊ってみたい気もした。
それを振り切り、ここに連泊し、出発を一日延期することに。

連泊を決め、午前中はいつもの休養日スケジュールで過ごす。

雨は昼前に止んだ。
それで、昼食も兼ねて松橋の市街地やJR松橋駅辺りを歩く。
特に特徴のある街ではないが、懐かしいモノを見た。
バキュームカーである。
歩く旅では、まだ下水が整備されていない宿に泊ることも多い。
しかし、これだけの市街地ではちょっと意外な気がした。
郷里名古屋でも、昭和の40年代頃まではよく見られた光景だ。
考えてみると、戦後、「先進国に追いつけ追い越せ」のひとつの指標として下水道普及率が盛んに取り上げられた。
最近はトンと耳にしないのは、かなりの普及が進んだと云うことか。
また、下水道は整備されても、それに接続できない家庭も多いのかもしれない。

散策から宿に帰って、旅の途中に買った文庫本、司馬遼太郎著「人間というもの」を読む。
折にふれ、この本を開いて感銘を受ける。
人間に対する深い洞察が、美しい文章で心に届く。
この宿は、居酒屋と食事処を兼ねている。
宿泊者の食事は、その1階の店でとる。
ひと風呂浴びた浴衣姿で店に下りても、違和感が余りないのが嬉しい。
店のテレビで、南九州は梅雨に入ったと報じる。
明日からは梅雨時の旅かと、元気づけにジョッキーをあげる。