日本一周てくてく紀行

No.85 越前・中・後 編(新潟市弁天~長岡市寺泊)

新潟市のホテルに連泊した次の朝も、秋晴れの好天気。
朝食は近くのコンビニで、おにぎり2個、サンドウイッチ、牛乳を買って来て部屋でとる。
それで、出発は8時といつもより30分早かった。

昨日、散策で通った国道7号の大通りを行く。
柾谷小路交差点からは、国道116号になった。
さらに行って、海沿いを行く国道402号に出る交差点を見過ごしてしまい迷う。
それでとにかく関谷分水路に沿って下り、海沿いの道を行く。
その道は、確かに国道402号になっていたけれど、新しいバイパス道路の方だった。
歩く旅では、同じ国道名が二つあるのは迷うことが多く本当に困る。
このバイパス道路は街並みがなく、砂丘ばかりの退屈な道だ。
それでも、日本海の大パノラマが得られるパーキング場があって、そこでしばしの休憩をする。

この道は、多くの国道に設置されている里程標がなく、地名を表示する標識も少ない。
そのため、どこをどのくらい歩いたか分からない。
比較的順調な歩調なので、徒歩時間から推計する。
だが、思いの外、進行が遅いようでなかなか目的地がみえてこない。
休憩して路傍の雑草に眼をやると、その影が傾きかけた陽を受けてクッキリと。

今日の宿がある巻町(現新潟市)越前浜に着いた時は、夕陽が海に沈むころだった。
部屋に荷物をおいて直ぐに、カメラを持って浜辺へ。
佐渡の島影の横を、夕日は空いっぱい赤く染めて水平線の中へ沈んでいった。
そんな風景を唖然と見つめる旅人の背後で、「お客さん、どちらから?」と女将さんの声がした。
「茨城県の土浦から」と云うと、「えー、わたし明日、土浦の花火大会を観に行くのよ」と嬉しそうに話す。
これには、わたしも驚く。
土浦の花火大会がこんな遠くでも知られていたのかと。
さらに、女将さん達は車で日帰りに近い日程で行くことに。
新潟から土浦までは、思いの外近いのだ。
土浦を発って176日目の旅人の心に、思いがけないさざ波が立つ。
旅はまだまだ続くのに、急に我家が近づいて来るのだった。

次の日、越前浜の朝は、やや曇り気味ながら晴天だ。
今日は寺泊町(現長岡市)大町までの旅で、国道402号で最も美しい海岸美が見られると云う。
そこは巻町角田浜から寺泊町野積までの14kmで、「越後七浦シーサイドライン」と呼ばれている。

かつてそこは、断崖を抜ける難所でもあった。
日本海の荒波が造った奇岩や絶壁が道を阻む。
断崖を削って通された古道は、遠くから見るだけでも足もとが震えそうだ。
五ヶ浜海岸と間瀬海岸で2度の休憩をとり、田ノ浦と云うところに着いた。
丁度昼時で、運よく食事処がある。
中に入ると、温泉旅館と併用施設で、入浴客が数人食事をしている。
ラーメン定食を注文し、食べ終わった頃に男性が話しかけてきた。
食事をしていた入浴客の一人で、わたしの旅姿に興味を持ったようだ。
わたしが歩いて北海道を一周してきた話をすると、身を乗り出してくる。
彼も19歳のとき、バイクで北海道を20日間で回ったという。
金がなく、バス停や鉄道駅で寝泊まりしながらの旅だったともいう。
遠い青春を思い浮かべるように、そしてその時の自分をチョッピリ誇らしげに、話すのだった。
わたしの旅にもいろいろ気遣って、無事に達成するよう励ましてくれた。

新信濃川(大河津分水路)の橋を渡ると、寺泊町の市街地に入る。
やがて、沿道に沢山の店が並ぶ賑やかな通りになった。
「寺泊海岸魚の市場通り」だと云う。
大勢の観光客がいて、店の前のベンチでアイスクリーム等をなめながら楽しそうだ。
そんな人々の間をぶらぶら歩いて行く。
今日の宿はまだ先と思い道を急ぐと、寺泊港前の鉄筋コンクリート3階建ての旅館がそれだった。

外観と違って純和風旅館で、思っていたよりも大きな旅館だ。
部屋の窓からは、寺泊港が目の前に見える。
風呂に入って部屋に戻る時、廊下の窓から見える風景に足が止まる。
折しも夕陽が海に沈むころで、海面が黄金色に輝いている。
急いで部屋に戻りカメラを持ってその窓辺に構える。
すると、通りがかった仲居さんが、写真を撮るならと宿の屋上へ案内してくれた。
屋上からの眺めは、思わず息をのむ程のドラマチックで素晴らしいものだった。