今日は秋晴れの快晴。
日高郡みなべ町まで約29kmとロングな旅。
気を引き締めて、紀伊御坊駅前の宿を発つ。
宿から直ぐに本町通りに出て南に進む。
日高川のところで国道42号につながり天田橋を渡る。
しばらくすると熊野古道の案内があり、そちらへ行ってみる。
白い鳥居が見え近づくと、「村社 塩屋王子神社」とある。
「熊野九十九王子」のひとつと云う。
「熊野古道」は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に通じる参詣道の総称。
主ななものは以下の五つの道と云われる。
・紀伊路(渡辺津~田辺)
・小辺路(高野山~熊野三山)
・中辺路(田辺~熊野三山)
・大辺路(田辺~串本~熊野三山)
・伊勢路(伊勢神宮~熊野三山)
「熊野九十九王子」は、主に12世紀から13世紀にかけて、熊野古道沿いに設けられた神社。
これらの神社は、熊野の御子神を祀り、熊野詣をする旅人や貴族が、休息や宿泊をしたり旅の安全を祈ったとされる。
また、九十九は実際の数ではなく、多数あるの比喩だといわれる。
それはともかく、塩屋王子神社は、村社として今も地元の人達に大切にされているのが分かる。
熊野古道と云っても、紀伊路は現代に到るまで交通の要路で街道でもあった。
とうぜん古い町家の家並みが多くある。
街道ファンのわたしは、いつまでもそうした家並みは残ってほしいと願う。
今や全国的にも歴史的街並み保存の動きがひろまっている。
しかし、そこの住民には迷惑で、もっと時代にあった家に建て直したいと思う人も多いに違いない。
それを見事に実現した民家が1軒あった。
とても斬新で美しく、しばし見とれてしまった。
印南港の小公園で休憩をとる。
そこに、「かつお節発祥之地」と書いた大きな立て看板が建っていた。
そして、みなべ町に入ると、負けじとばかりに「みなべ町は日本一の梅の里 岩代大梅林」の大看板が。
振り返れば、有田市は日本一のみかん産地。
湯浅町は、醤油発生の地だという。
まさに、紀州路は日本食文化の古里を行くかのよう。
そんな紀州路の今日の宿は、国民宿舎「紀州路みなべ」。
陽が落ちかかる頃、宿に着くと、見晴らしの良いきれいな建物だった。
ここの大浴場も天然温泉で、疲れた身体にはありがたかった。
昨夜は天然温泉に浸かった後、マッサージ機で身体をほぐした。
それで疲れがとれたのか、元気に出発。
今日も国道42号の海岸沿いの道。
振り返ると、宿泊した国民宿舎が、断崖の高台で朝日に輝いている。
「森の鼻」と呼ばれる小さな岬を過ぎると、沢山の漁船、漁具等で埋まる漁港が見えた。
桟橋には、サバ等の青魚が、かごイッパイに水揚げされ人も忙しそうだ。
イカが大量に干されてスルメになっていたりもする。
こういう風景を見るといつも、海の豊かさとその恵みで生きてる日本を想わざるを得ない。
田辺市に入ると、またJR紀勢本線と並行する道になる。
JR芳養駅近くのバス停で休んでいると、中年の男性が話しかけてきた。
カメラを持っているので興味を覚えた様で、田辺の撮影ポイントをいろいろ教えてくれる。
余りそう云う写真に興味がないので、黙って聞くことに。
今日も宿の朝食が7時半からで、出発が8時40分と遅れた。
日が暮れるのが早くなり、今日も30km近い長旅になる。
それで気が急いで歩いたせいか、徐々に疲れが出る。
上富田町のJR朝来駅前で食事処があり、ラーメンセット(840円)の昼食をとる。
白浜町に入る手前の「郵便橋」交差点で、JR紀勢本線と離れ富田川を渡る。
そのまま川に沿って下ると、女の子の集団が走っている。
よく見ると、向こうの方に学校らしき建物が見える。
女の子たちは小学校高学年ぐらいで、小学校周辺の田んぼ道をぐるぐるマラソンしているようだ。
久し振りに元気な子供たちが見られ、うれしくなってカメラを向ける。
昭和の時代は、いつでもどこでも元気なこどもの声が聞こえた。
この旅ではそれはまれで、無音のまちを歩く感覚になることも多い。
少子高齢化の進行を肌身に感じるばかり。
南紀白浜は、何と云っても白浜温泉が有名。
しかし今日の宿は、白浜町も南端にある椿温泉にある。
温泉地の旅館は、どこも一人客には敷居が高く予約がなかなかとれない。
ようやく予約ができた今日の宿は、宿泊料金が旅の一日限度額を軽くオバ―したが止む得なかった。
富田川沿いを下って、海辺の道になってからが長かった。
リアス式海岸のくねくねした道で心細く疲れが溜まった。
宿に到着すると、結構大きな温泉旅館だ。
きけば椿温泉は、300年の歴史ある温泉地だと云う。
それでは、とさっそく湯に浸かる。