今日も宿で昼食用におにぎり3個を用意してもらい出発する。
宿を出て少し行くと、明るい大きな建物が眼に飛び込んできた。
緑とオレンジ系の色を大胆に組み合わせたシャレたデザインだ。
しかし、自然が豊かな山里の中では、その明るさに少しばかり違和感をおぼえた。
近づくと、道の駅「にしおこっぺ 花夢」とあった。
午前8時半前で、まだ開店してなく人気もなかった。
そこから小一時間ほど歩くと、少し息切れがしてきた。
体調が悪いのかと一瞬不安に思った。
しかし、そこは天北峠で4km程の登り道をずーと歩き続けたせいだった。
その先は、下り道になって気持ちよく歩く。
天北峠は町村境になっていて、そこからは下川町になった。
道は名寄川の源流から下流に向かう谷間を下る。
道路沿いに牧場がひろがり、牛たちがのんびり草を噛みながら旅人をじろりと眺める。
一の橋の地名の集落があり、郵便局で旅費の引き出しをする。
こんな小さな山里の郵便局でも、カードひとつでお金の引き出しができるのはありがたい。
それから、自販機でドリンクを買って飲んでいると、通りかかった人が話しかけてきた。
新屋さんという男性で、雑談の後に写真を撮らせてもらう。
午前中は快調で、12時前に12kmも歩く。
太陽が照りだして暑くなってきたので、少し早いが昼食にする。
近くに牧場の民家があり、その日陰にシートを敷いておにぎり弁当をひろげる。
二の橋と云うあたりに来ると、天空が急に妖しくなってきた。
真っ白な積乱雲がある一方で、黒ぽい大きな雲がもくもくと天空を占める。
その圧倒的な迫力に、これぞ北の大地の空だとカメラを向ける。
だがそうした雲が消えると暑さが増してきた。
ペットボトルの水は飲み干してしまい、三の橋あたりではのどがカラカラになる。
下川町の市街地に入って自販機を見つけた時はうれしかった。
りんごジュースを買って、横のベンチに腰を降ろして一気に飲む。
ひと息ついた後、予約している宿に電話して場所を尋ねると、そこからすぐ近くだった。
宿はホテルの様な大きな3階建ての旅館だった。
玄関で靴を脱いであがると、階段のところに「一期一会」と書いた木彫りの大きな版木がかかっている。
夕食の時に、宿のご主人夫婦が話し相手になってくれた。
ご夫婦は、千葉県の津田沼に何年か住んだことがあるいう。
わたしもその近くに勤務したこともあって、そこから話がつぎつぎとはずんだ。
下川町は、岐阜県出身者の開拓で始まり銅山や金山の歴史もある。
近年は自動車メーカー「スズキ」のテストコースがあって、その関係者の宿泊も多い。
冬季オリンピックで活躍した岡部孝信、葛西紀明はこの町の出身で、小川町はスキージャンプが盛んなこと等々。
この旅をするまで、名前すら知らなかった小川町が、随分身近に感じられるようになる。
食事を終え楽しい気分で部屋に戻ると、ご主人がノートを持ってやってきた。
「一期一会」の表題が付いたノートで、ここに何か書いてほしいと云う。
「この歩く旅を無事に終えて、その良い報告ができることを願っている」という内容の短文を書いた。
第2次日本一周徒歩の旅を無事に終え、この時に撮影したご夫婦の写真を添えてその報告の手紙をだした。
その写真のお礼とお祝いにと、ご当地でとれた新鮮な南瓜やジャガイモ等が、段ボール箱イッパイに詰められて届いた。
次の朝、玄関で宿のご主人夫婦の写真を撮り、わたしの旅姿も撮ってもらて出発する。
しばらく行くと、「開拓発祥乃地」と書いた版木を見つける。
岐阜からこの地にはるばる最初にやってきた人は、ここでどんな想いで立ったのだろうか。
そして、その後の艱難辛苦を想像して身震いする。
今日も天気が良くて暑いけれど、風があるので助かる。
それにバス停の待合所が、比較的短い間隔であり休憩場所に困ることもなかった。
待合所の窓を開けると、涼しい風が通り抜けて心地よい。
沿道風景も、緑の野に時折り茶色の麦畑が混じって美しいハーモニーを奏でている。
めったにない快調な旅で、JR名寄駅前に着いた。
名寄の地は、子供の頃に活躍した関取「名寄岩」の記憶があって親しみと興味があった。
子供の頃で良く覚えていなかったが、名寄岩関は大関位を2回務めて1954年に引退した。
その時、名寄岩は不惑を迎えており、40歳の幕内力士は彼の以後出ていないそうだ。
開拓者の不屈の遺伝子が、この偉業を成したのだろうか。
今日の宿はこの名寄駅近くのはずで、20kmに満たない短い旅は終わったようなものだ。
ちょうど駅前に食堂があり、ここで遅い昼食をとることにする。
このところ昼食はおにぎり弁当で、食事処でとるのは久し振りだ。
野菜炒め定食を食べ、コーヒーを注文して名寄の空気に浸る。
食堂で予約してあるホテルの場所を尋ねたら、ここからすぐのところだった。
ホテルのフロントで洗濯したいと話したら、洗濯機と洗剤を無料で使ってよいという。
そしてボイラー室で洗濯物を乾燥するように勧めてもくれた。
ホテルは夕食がないので、夕方になって散歩を兼ねて食事に出かける。
名寄の市街地は、碁盤目状に仕切られたまちだ。
JR名寄駅付近はそれ程ではないが、国道40号方面は結構にぎわっていた。
何を食べようか迷った末、中国四川料理店に入った。