日本一周てくてく紀行

No.118 九州 編(伊万里市伊万里町~長崎県西海市西彼町)

今日は一日雨の予報。
この雨では、30kmを超えるロングな旅は無理と判断。
急遽、今日の行程を10km程、短縮することに。
そのため、宿を佐世保市針尾から手前の早岐(はいき)辺りに変更する。
早岐近辺のホテルと旅館の電話番号を「104」で尋ねる。
その中から、最初に電話したホテルに一発で予約できた。

今日も国道202号を行き、有田川と松浦鉄道に沿う山間の道となる。
雨の中、鉄道駅の待合所が格好の休憩場所になって助かる。
雨はそれ程強くなく、ずーと歩道があって歩きやすい。
国道202号と国道35号が合流する伊万里口交差点を過ぎた辺りで昼時になる。
折よく食事処があって、今日の昼食はカツカレー(399円)にする。
昼食後は、休憩して30分も歩くと急にバッグの重みが肩に食い込む。
さらに、腰にも負担がかかってきてツライ。
行程を短縮して、ホントに良かった。
通り過ぎる伊万里、西有田、三川内の沿道は、まさに焼き物街道。
焼き物の店やギャラリーがあちこち目に入って、客を誘い込む。
チョッと覗いてみたい気もあるけど、雨の中、先へ急ぎたい気持ちがまさる。

今日の宿は、早岐瀬戸の岸辺に建つホテルだと云う。
ひたすら早岐瀬戸を目指す。
田子の浦交差点を過ぎると瀬戸を渡る橋の上に。
瀬戸といっても、大きな川の様だ。
橋から岸辺に沿って眼をやると、家並みの中にひときわ高いビルがある。
その屋上に、総合結婚式場の文字とならんで目指すホテル名がクッキリと。
山登りで、突然頂上が見えた時の心境だ。
しかも、その頂上は手の届く様な距離。
急に元気が出て、橋から少し戻って瀬戸際の道路に降りる。
瀬戸沿いにおびただしい数のテントが並んでいる。
近ずくと、海産物は勿論、日常のあらゆる物品が揃う露店市だ。
並みの露店市とは全く違う規模と雰囲気だ。
雨の中なので、テントの間をすり抜けるようにしてホテルに到着。

ホテルで尋ねると、この露店市は、「早岐茶市」と呼ばれる有名なイベントだという。
毎年、5月から6月にかけて、3日間の市を4旬間にわたって開催される。
400有余年の歴史があり、自然発生的に海の幸と山の幸を物々交換したのが始まり。
特に近在で採れるお茶が評判で、ある時期、九州のお茶の相場が早岐で決まったと云う。
今も、お茶を始め、海産物、陶磁器、手芸品等との物々交換が行われるという。

上の写真は、翌朝撮った茶市の準備風景。
かなり急いだせいで、まだ14時半頃だけれどチェックインできた。

早岐は、私には全く馴染みのない地名だった。
しかし地図をよく見れば、早岐瀬戸は佐世保湾と大村湾を結ぶ水路で、昔から交通の要所だったと思われる。
ホテルの前の道が、「平戸往還」と呼ばれる古くからの街道というのもその証しだ。
夕方、その街道を散策してみる。
家並みには現代的な建物もあるけれど、道が直角に曲がったりして古い街道筋の面影が感じられる。
ホテルなので夕食は外でとっても良いけれど、結局ホテルのレストランにした。
雨が降っていたことと、入口の串焼きの見本品がおいしそうに見えたから。
早岐瀬戸が眺められる窓際の席で、串焼きと枝豆を肴に生ビールを飲む。
瀬戸は干潮の時で、水の上をシラサギの様な鳥がゆっくりと忍び足で獲物を漁る。
そんな光景を眺めながら、最後に親子丼を食べる。

明日の目的地は西彼町で、電話帳で調べると、宿は民宿の1軒しかない。
夜、その唯一の宿に電話し予約ができ、安心して眠る。

翌日は、晴れ時々曇りとなった。
昨日来た道をたどって、国道202号に戻る。
途中、朝の準備で慌ただしい早岐茶市のテントの合間を通り抜ける。
また、瀬戸沿いの民家は、水辺に杭を打ち、水上に突き出た造りで興味深い。
瀬戸と一体になった生活を想像しながらカメラを向けた。
早岐瀬戸を渡る国道の橋の上から、瀬戸沿いに並ぶ茶市のテントや家並みを望み写真に収める。

早岐瀬戸を渡ると、針尾島になる。
瀬戸といっても、大きめの川の様なもの。
だから、島に渡った実感が無い。
しばらくは瀬戸と並行した道で、対岸の泊ったホテルが一際目立つ。
江上交差点を過ぎると、左方にハウステンポスのタワーがチラホラ見える。
何年か前に、妻と旅行で立ち寄ったことを思い出す。
さらに、佐世保市役所針尾支所の前を通りしばらく行くと、丘の上に小さな天守閣が見えた。
ナンとそれは、当初泊る予定をした民宿だ。
民宿名に「丘城」が付いていたけど、ホントに城の建物とは思わなかった。
丘の下には、同名のレストランもあり、泊ってみたら面白かったかと、ちょっぴり残念。

さらに進むと、赤い橋が見えてきた。
佐世保湾と大村湾を結ぶもう一つの瀬戸、針尾瀬戸に架かる西海橋だ。
西海橋は、総延長316m、水面からの高さ約43mだそうだ。
橋の上には、小さな展望スペースがあって、そこからの瀬戸と大村湾に到る眺めは素晴らしい。
観光客が写真を撮り合い、私もその仲間に加わる。
針尾瀬戸は、幅300m、水深40m、最大潮流速度9ノット(約17km/時)だ。
紺色がかった潮の流れは、迫力がある。
橋を渡ると、西彼杵半島になる。
橋のたもとは公園になっていて、そこの食堂で昼食にする。
皿うどんを食べてから、食堂のおねえさんに携帯電話で写真を撮ってもらう。
西海橋をバックにしたその写真を、今日の旅便りメールに添える。

西彼杵半島からは西海市西彼町になる。
そこの小迎交差点で、国道202号と国道206号に分岐する。
そこからは、国道206号の道を進む。
大村湾の西岸に沿って南下する道だ。
大串という辺りは、湾越しに見える山々が、霞の中で、遠近の差順に濃紺から灰色までの顔をのぞかす。
歩く旅で、自然が時折り見せてくれる、現実とは思えない幻想的風景だ。
折角の自然からのご褒美を、写真に十分に写し撮れないのが悔しい。
そんな風景を楽しんでしばらく行くと、人気のない淋しい山間の道になる。
だんだんと不安になってきた頃、大きくカーブした道の左脇に食事処の様な店が見えた。
近ずくと、入口のガラス戸に予約した民宿の名前が大きく書かれている。
旅の疲れが出てきた頃に、思いがけずその日の宿に出会うのは、嬉しさを超える。
さらにラッキーだったのは、宿に着いた後に大降りの雨となった。
雨が小ぶりになった頃、洗濯したいというと、女将さんは気持ちよく洗濯場へ案内してくれた。

夜、明日の長崎地方は台風1号の影響で、大雨になるとの予報が出た。
宿に連泊の申し出をして、明日は休養日にする。

翌日は、天気予報通り雨となった。
宿は大村湾の入り江のひとつにある。
部屋の窓から、対岸にオランダ風の建物が雨にけむって見える。
そう、ここはかつてのテーマパーク「長崎オランダ村」があるところ。
昭和58年7月にオープンして、一時は賑わいをみせたが、平成13年10月に閉村した。
平成4年にオープンした佐世保市の「ハウステンポス」に取って代わられてしまった。
閉村から5年近くになる今も、建物は生々しい形で残っている。
ここの民宿も、オランダ村に夢をかけたに違いない。

時折り窓の外の風景を眺め、布団の上でゴロゴロしながらボンヤリ考える。
オランダ村に夢をかけた地元の人達の切ない想いを。
そして、昭和60年に開催された「つくば万博」の時に、夢に踊らされて苦い想いをしたつくばの人達のことも思い出す。

部屋でゴロゴロするばかりで、昼になってもお腹が空かない。
妻が後方支援物資で送ってくれたドリップコーヒーと豆せんべい、板チョコそれにカロリーメイト2本で昼食にする。
午後は電話で、明日と明後日の宿の予約をする。
明後日は、もう長崎だ。
JR長崎駅前のホテルは、日曜日割引があると云う。
しかしそれは、インターネット予約が条件だともいう。
このホテルには会員登録しているけれど、携帯電話でID番号の確認等に手間取り、苦労の末にようやく予約できた。

そんなこともあって、夕方になると、さすがにお腹が空いた。
この民宿はレストランも兼ねていて、夕食はここでとる。
新鮮な海の食材が、ほど良い味付けでおいしい。
さらに良く冷えたジョッキーで運ばれた生ビールが、夕餉の楽しみを倍加してくれた。