快調な旅は、旅立って3日の間だけだった。 九十九里浜の先、大原町の宿で4日目の朝を迎えると雨だった。 Reebokのスポーツシューズは、雨にぬれるとジワジワと足を締め付けてくる。 そして、できはじめた指先のマメがたちまち膨れ上がり、やがて破裂した。
雨が上がっても、休憩して歩き始めは大変だった。 膨らんだ足が、再び靴に締め付けられてマメが悲鳴をあげる。 その痛みは、夏に熱せられた砂浜を素足で歩く時の感じに似ている。 歩き始めてしばらくは、宇宙遊泳するような足取りになる。 こんなことなら、休まないほうがマシだと思ってしまう。 しかし、歩き続けるのもツライ。 これ以降は、絆創膏を貼ったりして、いかに足のマメをなだめるかに苦慮することになった。
九十九里浜を過ぎて、岬町から館山市までは、多くの小さな岬や入り江そして美しい砂浜と変化に富んだ地形が続く。
南房総国定公園に指定されたリゾート地帯でもある。
しかし、10月の末はシーズンオフなのか、行楽客の姿は少なかった。
そのかわり、地元の人たちの暮らしぶりがよく目に入った。
私は濃尾平野で生まれ育ち、社会人になってからは関東平野のただ中に住んでいる。 そのせいか、島国の日本では大勢の人たちが、海と密接なかかわりの中で暮らしているという当たり前の実感に乏しかった。 どんな小さな入り江にも漁港が整備され、そこに人々の暮らしがあることに新鮮な驚きがあった。 20万分の一位の地図には記載されていない漁港が、こんなにあるということが意外だった。
子供のころに社会科の教科書等で読んだり、戦後の漁村の写真集で見たような寒村のイメージではまったくない。 上記の写真で見るように、関東地方の一般の生活と変わらないようにみえる。 むしろ、澄んだ空気と明るい陽光に包まれた生活は豊かに見える。 もちろん、漁業のおかれている労働の厳しさや経済的には不安定な環境にあるとは思うけれど。 農村が水田の耕地整理で農作業の機械化と効率化がなされたように、漁村も漁港の整備で安全と効率化が進んでいるように見える。
和田町と丸山町の長い砂浜を歩いていた時だった。 太平洋の打ち寄せる波に向かって釣りをしている人に出会った。 その後ろ姿は、思わず「クジラを釣っているんですか」と声をかけたくなるほどの雄大な風景の中にあった。