日本一周てくてく紀行

No.183 東海道 編(岡崎市八帖北町~静岡県湖西市鷲津)

昨夜は、床に入る前に風呂に入り、そしてノドにハリ薬を貼って寝た。
それが効いたのか、咳は治まり比較的よく眠れた。
しかし、疲れは余りとれなかったようで、身体が重い。

NHKテレビの四国遍路ドラマ「ウォーカーズ」で、「発願の阿波、修行の土佐、涅槃の伊予、結願の讃岐」のセリフがあった。
四国を歩いて一周したわたしには、その感覚はよく分かる。
この「日本一周徒歩の旅」に当てはめれば、いよいよ「結願の東海道」だ。

そんなことを思って、元気を出して出発。

宿を出て国道1号に入ると、すぐに岡崎公園前になる。
「家康公と三河武士のふるさと岡崎」と書かれた看板と朝日を浴びた城門を横目に進む。
まもなく、脇道の交差点で「東海道」の文字が入った石柱が目に付く様になる。

舞木と云う所の旧道脇に休憩所があって、腰を下ろす。
近くの案内板には、「是より西、藤川宿へ 是より東、赤坂宿へ」の表題で、東海道と舞木町の由来が書かれてある。
そういえば、有名な歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」では、岡崎、藤川、赤坂、御油とその宿場風景が続く。
「結願の東海道」は、旧東海道の宿場を巡る旅になるかも。

舞木の旧道を行くとまた国道1号に出る。
並行する名鉄名古屋本線の名電山中駅を過ぎ本宿駅に到る。
本宿駅は、子供の頃、従兄の家に遊びによく来た駅だ。
その頃は木造の小さな駅だったのが、高架のホームを持つ巨大な駅になっていて驚く。
辺りの風景も、その頃の面影はない。
ちょっと浦島太郎の心境に。

本宿駅から音和町(現豊川市)に入って、次の名電長沢駅の前を過ぎると食事処が見えた。
昼過ぎてお腹が減った頃で、ラッキーとばかりに入る。
きつねうどん定食にコーヒー付き(880円)を注文する。

昼食後、食事処のある交差点を右折すると、すぐに国道に並行して旧街道があるという。
その街道を行くと、赤坂休憩所という町屋風の建物があった。
そこに音和町の観光パンフがある。
それを広げると、ここ赤坂は東海道三十六番目の宿場町として、明治の初め頃まで栄えたと云う。
パンフに記載された広重の浮世絵「赤坂旅舎招婦図」では、旅籠内の宿泊客や招婦の様子が生きいきと描かれている。
驚いたことに、そんな旅籠の様子を今に残す旅館「大橋屋」が近くにあるという。
二百八十年程前に建てられたと云うこの旅館は、今も旅人を温かく迎えてくれるそうだ。
急いで行ってみると、まさに時代がかった旅籠がそこにある。
事前に知っていたら、この宿に予約を入れたのに、と残念至極。

さらに街道を先へ行くと、見事な松林の道になる。
「御油の松並木」だ。
御油町は、今はこの松並木で有名だ。
あの広重の浮世絵では、旅籠が建ち並ぶ街道風景が描かれている。
「旅人留女」の題名が付いる絵は、当時の宿場町の様子が分かっておもしろい。
旅籠の前で、数人の留女(今でいう客引き)が行き交う旅人の襟や裾を掴んで、旅籠に引っ張り込もうとする情景は笑ってしまう。
松並木を過ぎて、故郷の桑名街道に似た家並みを眺めながら、そんな昔の旅を想像してみる。

その旧街道と国道1号が交差する「追分」交差点からは、そのまま進んで県道を行く。
間もなく名鉄豊川線と並行する道になる。
今日の宿は、名鉄諏訪町駅近くの沿道にあった。
想像していたより立派なシテイホテルで、歩く旅人にはチョッと場違いな感じ。
夕食は、ホテルの前にある「ほかほか弁当屋」の幕内弁当にする。
今日もノンアルコールで、就寝前に入浴剤入りの湯に浸かって眠る。

昨夜も余り咳は出なく、比較的よく眠れた。
入浴剤が効いたのか、身体も割と軽い。

天気はよくなさそうで、小雨の中、ホテルを発つ。
ホテルを出て直ぐの交差点を南下し、名鉄豊川線そしてJR飯田線を横断し国道151号に出る。
国道151号を右に進み、国道1号との交差点「宮下」の所で最初の休憩をとる。
そこから国道1号を行くと豊川に架かる吉田大橋を渡る。
川辺には、豊橋市のシンボル吉田城が建っている。
あの広重の浮世絵では、吉田城を右前景に置き、豊川橋(吉田大橋)を遠望する構図になっている。
橋を渡って間もなく、交差点で国道1号は直角に左に進む。
そこには、色彩豊かな路面電車が走っている。
路面電車を眺めながら、「市役所前」停車場近くで2度目の休憩をとる。

豊橋の中心市街地を抜けて、岩屋観音のところの交差点で左へ県道に進む。
小雨の天気も、いつの間にか上がる。
JR東海道本線と並走に近い道で、二川駅の近くで昼時になる。
食事処もみつかり、コヒ―付きランチ定食(800円)をオーダーする。

昼食後は単調な道が続く。
そんな時、中原と云う辺りで、ポッカリ突出した岩山が見えた。
ちょっと魅かれて写真を撮りながら休憩をとる。

短い休憩で先に進むと、JR東海道本線新所原駅前になる。
さらに行くと、天竜浜名湖鉄道の線路を渡る。
そこから先は、だんだんと淋しい道になり不安になって来る。
手持ちの道路地図では、JR東海道本線を渡るはずが、いっこうにそれがない。
何か目印になるものを、と探すが小学校らしきものがあっただけ。
道路地図には、学校は勿論、この辺りは空白に近く何の記載もない。
そんな心細い道を小一時間程行くと、浜名湖らしきものが見えた。
坂道を下ると、国道301号との交差点の標識が見えた。
それでやっと、位置の確認ができホッとする。
どうやら、天竜浜名湖線を渡った先の交差点で、右折せず直進してしまったようだ。

そこからは、国道301号を右折して、湖西市のJR鷲津駅まで一本道。
今日の宿は、その駅に近い沿道にあって、直ぐに見つかる。
予想では、よくある昭和の駅前旅館を想像していた。
意外にも、最近の新しいビジネス旅館でモダンな建物だった。
ただ、女将さんと二人きりの食堂で、話が出てこないのには少々マイッタ。