広野町で泊まった民宿は、元は東京電力広野火力発電所の建設関係者の宿泊所として建てられたそうだ。
もう、30年以上前だという。
和室3室にトイレ付の平屋が10棟あり、それに管理棟と呼ぶべき建物が敷地中央にある。
そこには、受付、大浴場、食堂がある。
発電所建設後も、メンテナンスその他の工事関係者の宿泊が多いようだ。
いまは民宿として、一般旅行客にも利用されている。
この日は、宿泊者が少なく私一人で1棟貸切状態だった。
驚いたことに、ここ広野町から宮城県境の新地町までの道は、発電所街道と呼んでもおかしくないところだった。
この間には、原子力発電所が2ヶ所、火力発電所が3か所と合計五つの発電所がある。
こうした発電所が、地域に与える社会的、経済的影響は大きいようである。
発電所街道には、関東近郊でみられる全国展開するいろんな業種の店が建ち並んでいた。
そんな風景や身体が旅に慣れてきたこともあって、「旅が日常」の気分になってきた。
旅は、日常にない体験をすることに醍醐味がある。
それなのに、休憩時や雨宿りの間に家族や友人に携帯電話でメールをすることが多くなったのだ。
メールの時間が長くなって、あわてて旅路を急ぐ羽目になったりする。
これでは、歩いて旅をする意義もないというものだ。
そんな反省から、歩いている間はよほどのことがない限りメールはしないことにした。
そんな想いのなか、相馬市松川浦ではちょとよいことがあった。
松川浦には、民宿がいっぱいあって宿を得るのに困らないと楽観していた。
ところが、どこに電話しても満室だという。
開発関係者でいっぱいだという。
それで、一般の旅館に電話してようやく予約ができた。
松川浦に着くと、宿の女将さんが温かく迎えてくれた。
松川浦は、幅100m程の砂州により太平洋と隔てられた南北5km、東西3kmといった細長い入り江である。
松川浦について予備知識がなく知らなかったけれど、県立自然公園に指定されているという。
左記の写真は、宿の窓からの眺めである。
わたしの地元茨城にある牛久沼に似た風景である。
潮干狩りや海苔の養殖で有名だそうだ。
夕食の時、茨城県から歩いてきたと話したら、女将さんが感心して宿代を千円割り引いてくれた。
そして何よりも、会話をしながら食事する楽しみを久し振りに味わったのだ。
朝旅立つ時も、女将さんたちが明るく見送ってくれた。
旅人にとって、こうした気配りは、やはり嬉しいものである。