今朝は曇りで涼しい。
しかし、何となく足取りが重い。
今日の旅は、松山市の中心地まで20km程の旅。
短い旅の安心で、かえって気が緩むせいか。
それとも、疲れが溜まっているせいか。
旧今治街道を行き、コンビニの軒下で最初の休憩をとる。
JR光洋台駅入口交差点を過ぎてしばらく行くと、海岸べりの山裾の道になる。
ぐるっと山裾を廻ると、海岸に石積の突堤があり、そこで2度目の休憩をする。
海を眺めていると、フト「お四国さん」の言葉が浮かぶ。
フェリーで高松港に着き、四国の旅はもう一週間が過ぎた。
宿や店の女将さんから「オシコクさんですか」と云われることがある。
はじめは何のことか分からず聞き返すこともあった。
ようやくそれは「お四国さん」で、お遍路さんのことと分かる。
お四国さん。
その言葉は、「お遍路さん」よりずっと親しみや敬う気持ちが込められている気がする。
そのお四国さんが一人やって来た。
清々しい笑顔の人で、「写真を撮らせて下さい」と云うと快く応じてくれる。
名刺を渡して挨拶すると、その人も納札を一枚手渡してくれる。
納札には、「祖先供養、家内安全、奉納八十八ヶ所霊場順拝 同行二人」と住所氏名が書かれている。
それをみると、佐賀県の古賀さんと云う人とわかり、後日写真を送る約束をする。
そこからしばらく行くと、道は海岸を離れ内陸に向かう。
旧今治街道は、再び国道196号に合流する。
しかし、松山市の中心市街地に近づくにつれ、国道196号は再び枝分かれする。
おそらくバイパス道路と旧道に分かれるのだけれど、どちらも国道196号の名称だ。
その内に手元の道路地図では、どちらに進んで良いか分からなくなる。
それで道路標識に従い、JR松山駅を目指すことにする。
松山駅に着けば、そこに観光案内所があり詳しい観光マップが手に入るはず。
昼時になって食事処を探す。
それらしい看板を見つけ中に入る。
木立の中の広い建物で、天井にすだれを張って海水浴場の休憩所の雰囲気。
昼食時で、サラリーマンや若い女性客が多い。
元気づけに焼肉定食(850円)を注文する。
まずまずの美味しさで、少しゆっくりして出発。
昼食後、国道196号の道を行くと、JR松山駅の西側辺りになって少し道に迷う。
中心市街地はJR松山駅の東側にあり、どうやらバイパス道路の方に進んでしまったようだ。
それでも、駅には午後1時半頃に着く。
今日の宿は、松山市の中心市街地一番町にあるビジネスホテル。
松山駅の待合室で休憩し、観光パンフを手に持って路面電車が走る道をホテルへと向かう。
松山城のお堀沿いから愛媛県庁前を通り、一番町のホテルには30分程で到着。
チェックインの15時より前で、フロントに荷物を預けて近くの繁華街を散策する。
「大街道」と呼ばれるアーケード付きの歩行者専用道路は、人出も多くにぎやかな繁華街だ。
通りには紙垂らしを付けた麻縄が張られ、「御祭禮」と書いた白い幟も立ち、ここも秋祭りのようだ。
チェックインの後、ホテルのコインランドリーで洗濯を済ます。
このホテルは、夕食にカレーライスのサービスがあった。
ホテルのロビーにある食堂で、自販機で買った缶ビールとカレーライスの夕食をとる。
松山のまちは一度は訪れてみたいところだった。
旅の計画段階から、松山では連泊することにしていた。
それで疲れが溜まっているのを我慢して、休養日をとらずここまで来た。
明日はのんびり松山のまちを散策しよう、と胸を膨らませ眠りにつく。
休養日と決めた次の日、いつもと同じ6時に起床する。
入浴剤を入れて朝風呂に浸かる。
ホテルの朝食サービスは7時からと云うので、その時間にロビーへ行く。
おにぎり、お新香、味噌汁の朝食サービスだけれど、これが結構おいしい。
朝食後、歯を磨いて10時半頃まで寝る。
それから、いよいよ松山のまちなかへ。
松山のまちは、日本最古の歴史を誇る道後温泉がある。
それに夏目漱石が住み、彼が書いた小説「坊っちゃん」の舞台となったまち。
さらには、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公で、明治の時代を彩った秋山好古・真之兄弟と正岡子規が生まれ育ったまちで興味がつきない。
先ずはホテル前を通る路面電車に乗って道後温泉へ。
終点の道後温泉駅には駅舎があり、その前の広場で大勢の子どもたちが写生をしている。
その先に赤い番傘が見え、その下で足湯に浸かる人たちが見える。
子供たちの間をすり抜けて足湯のところへ行くと、左側はアケード商店街になる。
道後温泉のさまざまな土産品を売る店がならぶ。
商店街に入ると、その先の突き当りにお馴染みの道後温泉本館の玄関が見えた。
木造三層楼の道後温泉本館は、明治27年に建てられた。
温泉施設としては、日本で初めての国の重要文化財だという。
子供の時からこの建物写真を見て、てっきり温泉旅館だと思っていた。
ところがここは、温泉専用施設で宿泊はできない。
浴室は、「神の湯」と「霊の湯」の二つある。
広い1階にある「神の湯には銭湯感覚で400円で利用できる。
入浴し、浴衣を着てお茶のサービスが得られる2階大広間の利用は800円。
ちょっとリッチな専用浴室「霊の湯」の利用と3階個室での浴衣とお茶の接待、それに館内観覧ができるのは1500円。
入口で神の湯二階席券(800円)を購入して入る。
まだ昼前で、二階大広間では客はわたし一人。
浴室は木造かと思っていたら、総石造りで意外だった。
客がわたし一人だったせいか、「霊の湯」の利用も館内観覧も自由だった。
両方の湯に浸かって広間に戻ると、おねえさんがお茶の接待をしてくれる。
ついでに、日に焼けた湯あがりの姿をおねえさんに撮ってもらう。
障子戸は開け放たれ、心地よい風が吹き抜ける広間で、しばし極上の時間を過ごす。
道後温泉を出ると空腹を覚えた。
道後商店街のそば屋に入る。
チョッと迷ってうどん定食にする。
道後温泉駅から再び路面電車に乗る。
上一方駅で降り、松山城ロープウェイ乗り場まで歩く。
ロープウエイで上がり、城郭に入ると天守閣は工事用の足場に囲まれていた。
2階の小天守には入れるというので行ってみる。
小天守閣から松山市街地を望む。
それから、小天守閣の再建ビデオや武具等の展示物を観る。
再びロープウエイで降り、広い商店通りを行くと大街道に出た。
大街道から銀天街と云う賑やかな通りをブラブラと伊予鉄道松山市駅まで行く。
そこから同じ道をたどってホテルに帰る。
今日も夕食はホテルのカレーライスサービスにする。
今日は、伊予市灘町まで約15kmの旅。
休養日明けで、身体も軽い。
ところが歩き始めると、ときどき筋肉がピリッと痛む。
疲れがとりきれていない筋肉が張っているのかもしれない。
今日は短い旅なので、ゆっくり慎重に歩くことにする。
昨日散策した大街道~銀天街~伊予鉄道松山市駅前を通り、国道56号で伊予市に向かう。
松山市の市街地を抜けると、農村風景がひろがる。
そのなかで、お城を想わす住宅が目を引いた。
日本人にとって家を建てるのは、「一国一城の主」になる気分。
だから、できるだけお城に近い家を建てたいと云う夢を持っても不思議ではない。
大なり小なりこうしたお城を連想させる民家が、どの地方にも点在する。
そして、そのお城のイメージにも、必ず地方色があって面白い。
国道56号は、JR予讃線と伊予鉄道群中線の間を行く。
重信川を渡って松前町に入ると、道は伊予鉄道とほぼ並行する。
伊予市域に入って伊予警察署のところで、国道56号は国道378号とふた手に分かれる。
国道378号で伊予市の旧市街地へ進む。
正午頃にJR伊予市駅前に着き、通りの人に予約した旅館をたずねる。
教えられるまま駅前通りを行くと、交差点角に年代を刻んだ大店があった。
その交差点を右に曲がると、直ぐに目当ての旅館が見つかる。
まだ時間が早いので、そのまま駅に引き返して食事処を探す。
JR伊予市駅と伊予鉄道群中港駅が国道378号を挟んでほぼ向き合う。
二つの駅があるのに、近くには食事処が見つからない。
ようやく「てづくり町家」という小さな交流施設があって、ラーメン屋があるのに気づく。
ラーメンとおにぎり(600円)を屋外の木製テーブルと椅子のところで食べる。
昼食をすませても、まだ13時前。
JR伊予市駅前の喫茶店に入る。
駅前広場がよく見える窓際の席に座る。
駅前の人通りは少なく、静寂な雰囲気。
モカブレンド(530円)をオーダーし、週刊誌を読んだりして時間をつぶす。
しかし時間を持て余し、14時半になって宿に向かう。
宿の旅館は、木造モルタル2階建ての洋風建築。
昭和の時代に地方都市でよく見かけた医院の様な構えだ。
玄関に入ると、立派な応接室もある。
さいわい、玄関で声をかけると女将さんが出て、すぐに部屋へ案内してくれた。
古い建物だけれど、檜等の良材をふんだんに使い、腕の良い大工、左官、建具師が存分に腕をふるった造りだ。
歩いてもガタピシ音がしない。
無造作に置かれた調度品も年代物ばかり。
戦前、戦後にかけて、かなり羽振りの良い家だったようだ。
今は年老いた女将さん一人になり、旅館にしてお手伝いさんに来てもらってやりくりしているという。
工場関係者の長期宿泊客が多く、乱暴な使用であちこちに傷みがみえるのが痛々しい。
歳をとり女将さんは、こうした由緒ある家を維持するのに少し疲れてきた様子。
初めて会う旅人に「どうしたものか」とつぶやく。
夕食が、お手伝いさんの都合もあったのか19時半過ぎと遅くチョッと困った。