由良海岸の宿を発つと、すぐにパラパラと小雨が降ってきた。
風はなく傘をさせば、たいして濡れることはない。
しばらく行くと上り坂の道になり、振り返ると由良海岸の全景が見渡せた。
黒い瓦屋根のまちなみが、小雨にしっとり濡れて美しい。
ふたたび国道7号線に入って、小雨降る道を行く。
これ以後の国道7号は、ほほ直線に近い一本道だ。
しかし唯一大きく湾曲するところがあった。
その先端部の下は崖状の地形になっている。
その崖下の狭い土地に小さな漁港と黒瓦屋根の豪壮な民家が建っている。
どんなに小さな漁港でも、こうしたしっかりした整備がなされ地域の生活を支えている。
これも戦後日本のひとつの成果か、と思ったりする。
ここで写真を撮った後、カメラは雨に濡れないようにバッグにしまう。
そして、傘をさして黙々と海岸線の道を行く。
こんな時は、この旅での雨の想い出が頭の中を駆け巡る。
旅を始めた頃の雨宿り、強い風雨にさらされた静狩り峠、ずぶ濡れになった身体を薪ストーブで暖めた鵡川の宿等々。
こうした雨の中だけれど、休憩したい時にはバス待合所等が、昼食時には食事処が見つかりラッキーだった。
特に後半の疲れが出る頃に出会った道の駅「あつみ」で、超ラッキーな体験をする。
なんと、ここの休憩所は畳敷きのきれいな和室になっている。
まるで品の良い和風旅館の一室にいるようだ。
そこを一人で専有し、真向法体操をしたり、メモをとったりとくつろいだ時間を過ごす。
今日の宿は、温海町(現鶴岡市)ねずみが関の民宿。
ねずみが関は、白河の関、勿来の関と並ぶ奥羽三大関所のひとつで、幾つもの義経伝説がある。
雨の中着いた旅人を、女将さんが感じよく迎えてくれた。
応接室だという大きめのサイドボードが置かれた和室の部屋に案内される。
そして、「毎年、歩いて旅する人が結構泊るのよ」と、お茶の用意をしながら話してくれた。
ねずみが関の朝は、大雨、洪水、雷注意報が出て、出発するか迷った。
しかし、午後は曇りになるとの予報を信じ出発する。
宿を出る時に女将さんが、「このまちの真ん中で、山形県と新潟県の境界があると教えてくれた。
どういうことかと半信半疑で教えられた道を行く。
たしかに町の真ん中の民家の前に県境の石碑が建っている。
しかし何故ここが県境になったのか、特に地形的な原因が見当たらない。
云ってみれば、すぐ隣の家から新潟県だというのだ。
どうしてこんなことになったのか周辺をもっと調べてみたかった。
しかし、雨が強くなってその場から先へ道を急ぐことに。
雨はますます強くなって、とても歩ける状況でなくなる。
塩の販売店の軒下で雨宿りしていると、店員の女性が店の中で休むように、と云ってくれた。
海水を濃縮し煮詰めて造る天然塩を製塩・販売する店だった。
その塩が造られるところを見たりして、雨の様子をみる。
ようやく小降りになって、店員さんにお礼を言って出発する。
この後も、また強い雨が降り、その都度民家の軒下で雨宿りを繰り返す。
昼頃から小降りの雨となり、やがて上がる。
碁石海岸の先の交差点で、内陸に向かう国道7号を離れ、海沿いの国道345号線を行く。
寒川と云うところで、「新潟県立自然公園 笹川流れ」と書いた大きな看板に出会う。
「笹川流れ」とは、なんとも心地よい響きだ。
どんな所かと道を急ぐ。
どこかで食事をと歩いていたら、脇川大橋の海の釣り堀センターのところで食事処らしい小さな店が見つかった。
入口には、藍染の下地に白く丸に地抜き片喰の家紋入り暖簾が下がっている。
店に入り、野菜炒めを1000円とちょっと高いけど注文する。
出てきたのは、ボリューウムたっぷりの野菜炒めにナスと大根の煮物が付いている。
野菜炒めは、ニンニク、塩、ゴマの味付けでなかなか美味しかった。
全部平らげて、腹一杯になる。
店にある観光パンフによると、笹川流れとは岩の間を盛り上がるように流れる潮流のことで、中心地笹川集落の名にちなんで付けられたという。
さらには、山北町(現村上市)寒川から浜新保まで11kmの海岸景勝地を指す名称だそうだ。
国の天然記念物に指定され、遊覧船も運航している。
道の駅「笹川流れ」の近くで、急に腹が張って来た。
少し冷えたせいか、昼の野菜炒めの食べすぎか。
道の駅のトイレに駆け込んで、間一髪セイフ。
この笹川流れの中心地桑川には、旅館と民宿が13軒もあると云う。
それで当日予約でも大丈夫と気楽に考えた。
ところが、予約の電話をすると、旅館は廃業していたり、民宿は休みだとか云われて焦る。
ようやく12回目の電話で予約がとれ、やれやれとホッとする。
その宿は道の駅から南へ1km程行ったところにあって、大きめの民宿で宿泊客も多かった。