日本一周てくてく紀行

No.60 北の大地編③(猿払村~稚内市潮見)

今日は、猿払村から稚内市宗谷岬までの旅だ。
いよいよ宗谷岬に達するのだと思うと心躍る。
この第2次日本一周徒歩の旅の最終目的地は、石川県のJR金沢駅前だ。
しかし、内心はどこまで行けるのか自信がなかった。
それで、密かに中間目標を立てていた。
第1目標は本州最北端の大間崎、第2目標が日本最北端の宗谷岬、 第3目標を北海道一周までの三つである。

朝、出発するときは、登山でいえば幾つものベースキャンプを経て、いよいよ山頂を目指す気分だ。

朝からそうした私の気合が宿の女将さんに届いたのか、頼んでおいたおにぎりは超特大だった。
気合を入れて出発したものの、昨日のロング行程の疲れが残ったのか身体がカタかった。
東浦という集落で、昼少し前だけれど昼食をとることにした。
小学校の玄関の土間でおにぎり弁当をひろげた。
さすがにこの超特大おにぎり3個は、食べきれず1個残した。
東浦では、飲料水を補給するつもりでいた。
しかし、自販機を見つけられないままに集落の端まで来てしまった。
この先は無人の荒野が続きそうだ。
思い切って、道端にある民家の窓から中に声をかける。
主婦らしいひとが顔を出したので、カラのペットボトルを差し出して頼んでみた。
そのひとは、気持ち良くペットボトルを受け取ると、冷たい水をイッパイにして返してくれた。

東浦で飲料水を補給できたことがどれだけ幸運だったか、その後身にしみて分かる。
東浦からは、アップダウンを繰り返す無人の荒野道が続いた。
強い陽射しで、暑さを避けて休憩したくても日陰がない。
やっと見つけたのが、細い電柱の日影だった。
この細い日影と東浦で得た飲み水のお陰で、やっと歩く力を保つことができた。
函館から大沼公園へ行く道でもこんなことがあったと想い出す。

汗だくの身体で宿に着き、部屋に荷物を置くと、急いで宗谷岬に行く。
岬は、宿から歩いて5分位のところだった。
夕方の6時前で、まだ大勢の観光客が「日本最北端」のモニュメント周辺で記念写真を撮ったりしている。
ついに宗谷岬にやってきたのだ。
千葉県のJR銚子駅前を発ってから、歩いて115日の道のりで。
良くここまで来れたと、我ながら感動がこみ上げてくる。

宿で記帳するとき女将さんに、銚子から歩いてきたと話したら、前にも似た人が泊ったという。
田崎さんだった。
田崎さんが泊ったのは7日ぐらい前だともいう。
わたしは興部町から内陸に大きく迂回したので、海沿いを直進した田崎さんとは 大分差がついてしまったのだ。

次の日の朝食時に、女将さんは美しい笑顔でいろんな旅人の話をしてくれた。
石川文洋さんや田崎さん、それに6月に泊った人の話。
その人は、ロンドン在住で定年になり、たまたま石川文洋さんのことを知って歩く旅を始めたそうである。
わたしの様に石川さんに影響を受けて、歩く旅を始めたひとがいる。
きっと、まだ他にもいるに違いない、世の中は広いものだと思う。

宿を出て宗谷岬あたりは、濃い霧だった。
それでも、早くも大勢の観光客やライダー達でにぎわっていた。
樺太探検で名高い間宮林蔵の銅像をながめてさらに先へ進む。
今日から、海は日本海になった。
徐々に霧が薄れてきて、その中から次々と自転車でやって来る若者に出会う。
その中の一人の若者と話をする。
東海大学2年のU君で、自転車でここから2カ月かけて沖縄まで行くという。
写真を撮らせてもらい、お互いに旅を終えたらその報告をしようと約束をして別れる。

後日旅を終え、この時の写真を添えて手紙を出したが、残念ながら彼から返事がなかった。
それにしても、この自転車で宗谷岬目指してやって来る若者の多さに驚く。
オホーツク側の道ではめったに出会わなかったのに。

今日の宿がある稚内市潮見の手前3km程のところで、最後の休憩をとる。
民家のコンクリートのタタキで休んでいると、近くの工場の様な建物から一人の男性が出てきて話しかけてきた。
すぐに建物に戻って、こんどはコーヒーカップを二つ持ってやってきた。
それから、二人でコーヒーを飲みながら思いがけない長話になった。
男性は佐藤さんと云って、わたしの故郷名古屋の大学で学び、その時に知り合った岐阜の女性が奥さんだという。
わたしも、遠い北国の住民にご縁を感じて話がはずんだ。
佐藤さんが出てきた建物はほたて工場で、彼はそこの経営者だった。
別れ際に、そこの商品「ほたて貝ひも」一袋を渡してくれた。

後日、この時に撮った佐藤さんの写真を添えてお礼の手紙を出した。
すると丁重な返事と共にホタテの名産品を沢山送っていただいた。
佐藤さん、旅の時もその後も大変お世話になりありがとうございます。