日本一周てくてく紀行

No.155 四国 編(宇和島市丸の内~愛南町御荘平城)

今日は宇和島市津島町岩松まで約15kmの短い旅になる。
予定していた津島町嵐にある唯一の宿に電話を入れたら廃業したという。
急きょ近在で探して見つかったのが、8km程手前の岩松の旅館だった。

今日も晴れ、しかし大分涼しくなって汗をかくのも少なくなる。

宇和島市丸之内の宿を発って、国道56号を行く。
新婚旅行では、宇和島からバスで足摺岬へ向かった。
おそらくバスは、この道を行ったに違いない。
ふと、結婚して間もない昭和48年に起きた第一次オイルショックを思い出す。
第4次中東戦争がきっかけで原油価格が急騰した。
あれよあれよという間に、トイレットペーパーや洗剤まで姿を消してしまった。
あれ以来、石油価格は乱高下を繰り返し、生活を脅かすことになった。
宇和島市柿の木と云う辺りで、ガソリンスタンドの表示価格が気になりパチリ。

やがて長い松尾トンネルを抜けると、下り坂になり旧津島町になる。
トンネル出口のところで休憩し、歩き出してほどなくラーメン店が見えた。
まだ正午前だけれど、ここで昼食をとることに。
ごまみそラーメン(650円)とライス(150円)にする。

予約の電話をした時に、宿の場所を教わった。
トンネルを抜けて4っ目の信号を左に、川を渡ってすぐだという。
その通りに進むと、川沿いの道に面してその宿はあった。
入口に暖簾がかかって、風流なよそおい。
みどり色の暖簾には、白地で大きく丸に五弁の家紋が染め抜かれている。
会席料理の料金表もかかっていて、どうやら料理旅館のようだ。
まだ13時前で、やはり15時にならないと部屋は空かないという。
荷物だけ預けて、どこかで時間待ちすることに。
もと来た道を引き返し、国道56号沿いの喫茶店に入る。

ちょうど15時に戻ると、6畳二間の庭に面した気持ちの良い部屋に通された。
用意された風呂に入り、洗濯場も借りて洗いものもする。
さらに、たまった観光パンフや不要となった道路地図等を宅急便で自宅に送る手配をする。

この旅館の玄関に入ると、小説家獅子文六の写真や作品等が展示されている。
旅館のご主人に尋ねると、獅子文六は昭和21年~22年にこの旅館に滞在したという。
そして、当地を舞台にした小説「てんやわんや」を書いたそうだ。
この小説は、映画にもなったともいう。
この集落の旧街道筋は、本町通りと云う商店街になっている。
かつてこの旅館もそこにあったが、元は庄屋の屋敷だというこの家に移転したそうだ。
その本町通りへ行ってみると、写真の様な古風な造りの旅館があったりして、まさに「昭和」が色濃く残るまちだ。

夜、テレビをつけると、北朝鮮が核実験をしたニュースでもちきり。
これは、世界の非常に危険な緊張の種となるにちがいない。
北朝鮮の指導者は、戦前の日本の軍部の様にひたすら破滅の道に突き進んで行くのだろうか。

次の日は、愛南町御荘平城まで約30kmのロングな旅になった。
昨日、行程を8km程短縮したツケが、今日の旅にまわってきたためだ。

宿を出て旧街道の本町通りを通って行く。
やがて川べりの大きく湾曲する道になる。
振り返ると、街道の家並みはこの川に貼りついたように見える。
本町通りのあるこのあたりは、かつてこの岩松川の舟運で栄えた港町だった、かも。
湾曲の中央付近に大きな橋がかかっていて、それが国道56号だった。

さらにそこに一本の川が流れ込み、国道56号はその川に沿って南下する。
やがて山道になり、トンネルの手前にポケットパークがあった。
その水辺で、濃紺のジャージ姿の中学生達が写生をしている。
そんな風景を眺めながら休んでいると、3人の女子生徒が話しかけてきた。
津島中学の3年生だそうで、写真を撮らせてもらう。
付き添いの先生が心配顔でやって来たので、名刺を渡し学校の住所を教えてもらう。
そして、旅を終えたら写真を送る約束をする。

その先の嵐坂トンネルを抜けると下り坂になる。
くだり終えると、嵐と云う地名の入り江に出る。
周りを山に囲まれて湖のような入り江。
その水際をとり囲むように家々がならぶ。
静かな海面に、沢山の小舟やいかだが浮かぶ。
コバルトブルーの海面は美しく、海水も透きとおってきれいだ。
美しい無声映画をみている様な不思議な感覚。
岸壁のところには、予約の電話で廃業したと云われた民宿があった。
民宿は廃業となってしまったけど、入り江全体は海と共に生きる生活感にあふれている。
しばし、そうした被写体に夢中になってカメラを向ける。

嵐からは、リアス式海岸の起伏の激しい道となる。
海辺にある須の川公園と云うところで休憩をとる。
そこからしばらく行くと、風景が大きく変わった。
緑の山や島に囲まれた海は、コバルトブルーに輝いていた。
それが、山も島も海もうっすらとしたブルーに染まる。
そして、海面は潮の流れか幾条もの白い模様が描かれる。
なんとも幻想的な風景だ。

今日は起伏の激しいロングな行程なのに、この旅一番と云ってよい快調な旅だ。
それは、天気も晴れて涼しかったこと。
休みたい時に、運よく適当な場所が見つかったこと。
そして何より、リアス式海岸の峠を越えるたびに、ハッとする美しい景観に出会えたことだ。

今日の宿は、御荘町(現愛南町)の第40番霊場観自在寺の近くにある。
予約の電話を入れたら、食事のない素泊まりの宿でよければということだった。
旧御荘町にも本町通りがあって、やはりここも昭和が色濃く残る。
予約した宿は、観自在寺の細い参道にあった。
建物の看板通りの巡拝の宿だった。
宿のご夫婦は高齢で、確かに宿泊者の面倒は困難の様子。
それでも、部屋はしっかりした床の間に古風な焼き物が置かれている。
この日は宿泊者は、わたし一人。
だけど、これまで想像もつかない大勢のお遍路が、ここで旅の疲れを落としたに違いない。
と、そんなことを想いながら眠りにつく。