夜3度も起きたせいで、朝は寝不足の感じ。
それなのに、今日は由岐町(現美波町)まで30Km程のロングな旅になる。
気を引き締めて出発。
午前中はまずまず順調に進み、日和佐トンネルを抜けたところで3度目の休憩をとる。
そこからしばらく行くと、立派な民家が見えた。
石垣に取り囲まれた敷地に、赤茶色の板壁が印象的だ。
この地に似合って、どっしりと落ち着いた感じがとてもいい。
ふと、牟岐町の旧土佐街道でみた山頭火の句碑を思い出す。
それは、昭和11年11月3日に山頭火が泊った宿「長尾屋」の跡地に建つ。
しぐれて ぬれて まっかな 柿もろた
こんな句とその日の山頭火の日記が記されていた。
それによると、
山頭火は宿の老夫婦にとても温かく迎えられる。
3日振りに湯に浸かり旅の疲れを癒した山頭火は、夕食の前に数町先の酒屋に酒を買いに行く。
そして云う、「この気持ち、酒飲みでないと分かるまい」。
山頭火さん、酒飲みと云う程でない旅人でも、とてもとても良く分かります。
赤茶の板壁民家を前に、そんなことを想い写真を撮る。
その時、カメラのバッテリーが切れかかっているのに気づく。
まもなく昼時になって、運よく道の駅「日和佐」の近くでうどん店を見つける。
店に入り、さぬきうどん(480円)を注文し、バッテリーの充電をさせてもらう。
道の駅「日和佐」の先から、国道55号を離れ海岸沿いの県道を行く。
右手には、小高い山頂に天守閣の城が誇らしく建っている。
その城を見ながら進むと、見晴らしの良い高台になる。
そこからみえる美しい浜辺は、「大浜海岸」と呼ばれるウミガメの産卵場所だと云う。
さらにこの高台には、「恋人岬」の看板が建ち、そのいわれも記されている。
日和佐のまちは、古来より陸上交通より海上交通で栄えた。
明治・大正時代は、徳島や大阪方面へは、沖に泊まる汽船に乗った。
恋人を乗せた汽船を、その相方は、この岬からいつまでも見送ったという。
日和佐と云う地名もそうだけど、ウミガメの産卵地といい、この恋人岬の由縁話といい、なんともロマンチックな雰囲気が漂う土地だ。
しかし、この県道は1車線程の狭い林道の様な道。
長い坂道を上り下りしてきつい山道だ。
時折り見える紺碧の美しい海が、旅人を慰め、励ましてくれる。
また涼しいのが救いで、腰を下ろし休むと、体力の回復が思いのほか早い。
由岐町の田井ノ浜と云うところで休憩していると、予約した宿の女将さんから電話があった。
もう夕方の4時過ぎで、心配して電話をくれたのだ。
いまは田井ノ浜だというと、それならもうすぐだと安心した様子。
わたしは、宿はJR牟岐線由岐駅の近くと思っていた。
ところが、女将さんは由岐駅へ向かう道ではなく、海側から行く別の道が近いと教えてくれた。
おかげで遠回りすることもなく、あまり迷わず宿に到着。
宿はこの小さなまちの老舗料理旅館と云った感じ。
女将さんは、すぐにお風呂を沸かし、洗濯機も使ってよいと云う。
旅館は昭和の時代を想わせるものがいろいろあって、ちょっぴり懐古にふける。
夕食は料理旅館だけあっておいしかった。
次の日は朝から足が重かった。
宿を出てすぐに、長い上り坂が続きキツイ。
それでも涼しさのお陰で身体は楽で、徐々に調子良くなる。
由岐坂峠を越えて下りの道になり、前方の光景にハッと足が止まる。
この先の道は、昭和の時代に入って行くような感じだ。
昨日の懐古の気分が残っているせいか、とカメラを向ける。
あの山頭火さんも、この道を行っただろうか。
やっと国道55号」に出て北上する。
沿道が少しづつ賑やかになって、突然煉瓦造りの廃墟の様な建物が現われる。
工場跡地の様な住居跡の様な不思議な建物だ。
なにか魅かれるものがあって、カメラを向ける。
すると、四角い柱の上にある外灯に明りがぼんやり灯っている。
一瞬ギョとして、周りをよく見ると、たしかに車が一台停まっている。
入口らしきところに、営業中の古びた看板も見える。
何かの店かもしれないけど、ちょっと入ってみる気がしない。
写真だけ撮って通り過ぎ、しばらくするとレストランがあり入る。
ピッタリ正午で、日替わり定食(780円)とコーヒー(200円)を注文する。
後日、偶然にあの煉瓦造りの店は喫茶店だと知る。
まあ、「知る人ぞ知る店」と云うことだけど、世の中いろいろあるものです。
昼食後は橘湾沿いの道となる。
漁船、貨物船、レジャーヨット等が混じり合う港を眺めながら進む。
途中のコンビニで入浴剤を買う。
今日の予約したホテルの位置は、JR阿南駅の案内所等で調べるつもりだった。
ところが阿南駅に着く前の沿道に、そのホテルが見えた。
なんだか得した気分でフロントへ。
部屋に入ると、さっそく浴槽に湯を張り入浴剤を入れて浸かる。
スッキリしたところで、近くのスーパーへ行ってちらし寿司、コロッケ、缶ビールを買って帰る。
部屋の窓から遠い空を眺め、遥かなこの旅を想い、ひとり夕食をとる。
夕食後、明日行く徳島市の宿を電話帳で探す。
しかし、予定していたホテルを始めどこも満室と云う。
ようやくツインの部屋なら空いているホテルが見つかる。
もちろんイヤとは言えず予約する。
宿の目途が付き、ほっとしてテレビをつける。
なんと、今朝発って来たばかりの由岐町の津波対策番組で、子供たちが大活躍していた。