日本一周てくてく紀行

No.87 越前・中・後 編(柏崎市笠島~糸魚川市能生町)

今日は、上越市の直江津港まで約29kmの旅。
昨夜の予報では曇り、ところが朝から晴れた。
女将さんの話では、この笠島の宿には歩いて旅する人がよく泊るそうだ。
あの石川文洋さんの前にも、鹿児島まで歩いた人がいたという。

そんな話をした後に、宿前に立つ女将さんを撮らせてもらう。
ところが、カメラのCFカードエラーが出て何度もやり直す。
結局、CFカードを入れ替えて撮る。
女将さんに見送られて集落を出ると、真下にJR信越本線笠島駅が見下ろせる。
信越本線は、直ぐ先でトンネルに入る。
そのトンネルの上を超える北陸道(国道8号)を行く。

やがて、その北陸道も芭蕉ヶ丘トンネルに入る。
トンネルを抜けてしばらく行くと、今度は信越本線のトンネル出口が見渡せる。
ちょうど電車がやって来て、その眺めは、何だか小さなおもちゃのまちを見ているようだ。
やがて、鉄道と国道は、切り立った山裾と海辺の狭い間を並行する。

涼しくなって、随分と身体の方は楽になった。
今日は休憩の間隔が、1時間以上でも大丈夫だ。
それでも、筋肉のどこかに疲れが溜まっているようで、時々思いがけないところが痛む。
用心、用心。

柿崎町(現上越市)に入り、三ッ屋浜と云うところで昼時になった。
折よく食事処があり、昼食はビーフカレーにする。
そこからは市街地が続き、JR犀潟駅前から旧道の地方道468号線を行く。
遊光寺浜と云うところで休憩をし、その先で広い道路との交差点になった。
直江津港の標識に導かれて、その広い道路を行く。
ところがその道は人気のない、道幅ばかりが広く心細くなってくる。
ようやく、佐渡汽船の大型フェリーが見えた時は、ホッとした。
今日の宿は、佐渡汽船乗り場の近くと教わっていたから。
佐渡汽船乗り場の手前で、広い道路は地方道468号線に接続し、宿はそこから直ぐ先のところにあった。
地方道を直進すればよかったのに、回り道をしてしまった様だ。

宿の中に入ると、なるほど港の宿と思う雰囲気だ。
部屋はベットひとつ置かれた個室で、窓もひとつ付いてまるで船室の様だ。
食堂へ行くと、港湾関係者、ビジネス客、観光客、その他不明者の老若男女と云った雑多な雰囲気で溢れている。
食堂のテーブルに着いてビールを飲みながら、そんな人々の人生航路を想像してみる。
先ほど風呂場で見た強烈な赤フンドシ姿の男の人生も。

翌朝、起きると雨だった。
今日は能生町(現糸魚川市)まで約30kmのロングな旅になる。
それでも風は強くなさそうなので、出発することにする。

宿を出ようとして、傘がないことに気付く。
前日の宿に置き忘れてしまった様だ。
宿の人に不用な傘がないか尋ねたが、無いという。
困っている私を見て、掃除の手伝いに来た女の人が、自分の子供用の傘を探して来て渡してくれた。
ありがたく頂いて歩き始めたが、やはり傘が小さすぎて濡れてしまう。
コンビニ店を見つけ、そこでビニール傘(399円)を買う。
雨はずーと降り続く。

郷津フィシングセンターの先、虫生岩戸と云うところから自転車専用道があった。
北陸本線の旧区間を活用整備したもので、久比岐自転車歩行者道と呼ばれる。
ここから糸魚川市押上まで33kmもあるという。
ほぼ国道8号に隣接している。
トンネルが多く、こうした雨の日は雨よけになり、自転車で通る人もなく歩行者には快適だ。
しかし、この道だけでは単調になるので、国道と併用して歩く。
名立ドライブインで昼食をとって出発すると間もなく、雨が激しくなった。
幸い国道の横断地下道があり、そこに飛び込む。

そこからは自転車歩行者道を行く。
いくつかのトンネルを抜けて視界がひろがった所で、思わず足が止まる。
雨にぬれた黒瓦屋根がひしめく住宅群が目に飛び込んできたのだ。
しかも、三階建ての木造住宅で今まで見たことがない景観だ。
歩いた時間から予測すると、筒石と云うところだろうか。
どうしてこのような集落ができたのか、と不思議だった。

旅が終わって調べてみると、この筒石地区はJR筒石駅が全国でも珍しいトンネルの中にホームがあることで有名だと云う。
海岸線から切り立った地形の狭い空間に、高密度で暮らすためにこの様な形になった漁村集落だそうだ。

トンネルや国道横断地下道で休んだり、筒石集落の写真を撮ったりして、道の駅「マリンドーム能生」に着いた時は暮れかかっていた。
ここから日本海の眺めはさぞやと思わせたけれど、もう暗くなって見る気もなく道を急ぐ。

今日の宿は、能生海水浴場近くの旧街道沿いにあった。
改装したばかりの旅館の様で、水廻り設備はみな最新だ。
一日雨のロングな旅だっただけに、女将さんが部屋に運んでくれた夕食の美味しさは格別だった。