日本一周てくてく紀行

No.25 ひたち・みちのく編(岩泉町~田野畑村)

岩泉町の宿は、小本川の河口近くにある小本大橋のたもとにあった。
廃校舎で3度目の休憩をとった後、小成トンネル、小本トンネルと二つのトンネルを抜けるとすぐだった。

昼食もとらないで着いたので、まだ午後1時半だった。
民宿の女将さんにどこか食事するところがないか尋ねた。
そうしたら、目の前の小本川の向こう側、500m位の所に「小本温泉」があり、そこに食事処があると教えてくれた。
行ってみると、小さな温泉センターといったところだった。
そこで、もやしラーメンを食べ、入湯料600円を払い温泉に浸かって宿に帰った。

翌日も、小雨模様の天気だった。
宿を発つとすぐに急な上り坂になった。
途中、廃屋で雨宿りを兼ねた休憩を一度したが、その上り坂は3時間近く続いた。
上りつめたところに「思惟大橋」という高さ130m、長さ300mの橋があった。
欄干から橋下の渓谷をのぞくと眼がくらみそうだ。
渓谷の眺めは、小雨模様でイマイチだが、秋の紅葉時はさぞかしと思わせるものがあった。

思惟大橋を渡ると、道の駅「たのはた」があった。
これまでに多くの道の駅に出会ったが、ここは最も小さく質素な道の駅だった。
その中にある、そば、おまんじゅう、でんがくを売る小さな店に入る。
店の名前が「田野畑レデイーズ 虹の橋」とあった。
中には、たしかにレデイー?の二人がいて温かく迎えてくれた。
そばとでんがく、それにおまんじゅうをそれぞれ1個づつ注文した。
そして、カメラを向けたら、にっこりといい笑顔を返してくれた。

そば等を食べていたら、同席になった二人の男性が話しかけてきた。
田野畑村の旧街道を取材しているライターとカメラマンだという。
ライターは古里さんと云う人で、お互いに名刺を交換した。
古里さんは、ここの旧街道にまつわる面白い話をしてくれた。
この田野畑のけわしい旧街道には、思案橋と辞任橋と呼ばれる二つの橋があったという。
この地に赴任する役人や学校の先生が、これらの橋で、あまりにも険しい道でもう引き返そうかと思案したり、 ついには辞任覚悟で戻る決断をしたことから、これらの名前が付けられたという。
そんな話をしながら、お互いにカメラを向けあって写真を撮りあった。

旅を終えて、この時の写真を送ったら、反対に撮り合ったわたしの写真を添えた礼状が届いた。
そして、「思案橋」と「辞任橋」について補足の説明が書かれてあった。
橋のなかった時代の険しい谷の呼び名で、真木沢に架かるのが「思案坂」で 松前沢に架かるのが「辞職坂」だったそうだ。
「辞職坂」の松前沢にかかるのが、いまの「思惟大橋」だとも書かれてあった。

こんな話が生まれるのも、ここまで歩いてきた旅人にはもっともと思われた。

道の駅から30分位北に歩いて行くと田野畑村役場交差点があり、ここから国道45号を離れて東の道に進んだ。
平井賀川が流れる渓谷の道である。
くねくねと曲がりくねった道がはるか下まで続いている。
その道を1時間ほどで一気に降り下った。

山道を下って平井賀のまちに入った時、何か異様な感じだった。
小さいながらも商店も幾つかあるまちなのに、全く静寂で無音なのだ。
シュールレアリズムの絵画の世界に紛れ込んだような気分である。
これは、高いところから一気に下ってきたことで感覚が狂ったのだろうか。
あるいは、人気がないことや地形的な雰囲気がそう感じさせたのか、とにかく今までにない体験だった。

今日の宿は、道の駅で聞いた話では、この平井賀の街から近いということだった。
しかし、それらしい宿はなかなか見つからなかった。

浜辺の漁師さんに教えられて、隆起海岸で激しい浸食の岩肌を見せる道をたどった。
やがて広い砂浜が見えて、そのわきに青いシャトー風の建物が眼に入った。
それが、今日の宿だった。
民宿と聞いていたが、そのイメージと違って部屋の雰囲気もしゃれた洋風だった。
部屋から海の眺めもよく、快適でゆったりした気分になれた。
ここは、テレビの旅番組などで何度か紹介された宿だそうである。
どんこという魚の串焼きが自慢で、夕食はそれを中心にした豪華な料理だった。