日本一周てくてく紀行

No.189 東海道 編(平塚市明石町~横浜市中区本町)

今日は鎌倉の由比ヶ浜まで約21kmの旅。
ゴール地の日本橋に日々近づく。
その喜びを胸に、元気に宿を発つ。

ホテルから平塚駅前交差点を通り東へ進む。
まもなく、国道129号と交わる。
国道129号を南下すると国道134号とのT字路になる。
その高浜台交差点から、海岸沿いの国道134号を行く。
すぐに、相模川の長い橋を渡る。
眼下の河川敷にゴルフ練習場があり、縦に並んで大勢の人がボールを打ち込んでいる。
昭和から平成の時代になって、中高年をとりこにしたスポーツ。
現役時代の自分を想いおこし、チョッと苦笑い。

茅ヶ崎市に入って柳島海岸から藤沢市の鵠沼海岸まで遊歩道が整備されていた。
国道134号と並行して砂浜に、8.4kmもある小砂利舗装とウッドデッキの道が続く。
防砂の竹柵に囲まれたその道を歩く。
雲が出て寒空になるが、サイクリング、ジョギング、ウオーキング、犬連れの散歩と大勢の人が行き交う。
海ではサーフィンをする若者がいっぱい。

藤沢市の片瀬海岸で昼時になる。
江の島水族館の横に大きなイタリアレストランがあり入る。
店内はかなり混んでいて、隅の方に席を見つけ座る。
最初グラタンをオーダーしたけど物足りなくパンとコーヒーを追加する。
〆て2170円の請求書に、ちょっとビックリ。
ここは江の島で、首都圏で指折りのリゾート地なのだ。

昼食後は国道134号に戻り、七里ヶ浜から稲村ヶ崎の切り通しを抜ける。
すると、また広い砂浜と海が拡がる。
由比ヶ浜だ。
傾き始めた夕陽が、人が三々五々に散らばる砂浜を照らす。
滑川交差点から、若宮大路(県道21号)を行く。

今日の宿は鎌倉の旧市街地の中にある。
電話で尋ねながら行くと、商店街から路地に入ったひっそりとした民家と云ってもよい建物。
入口の門を開けると、老夫婦が出迎えてくれた。
予約の電話をした時、素泊まりの宿といわれ一瞬迷ったけど「お願いします」といったはず。
しかし、電話に出たご主人は、来ないと思ったそうだ。
それでも、女将さんはわたしの旅姿を見て、朝食だけは作っても良いと云ってくれた。

夕食は横須賀線鎌倉駅前の食堂で、和食定食を食べる。
今日はウッドデッキの遊歩道、リゾート地の華やかさ、古都の落ち着いた雰囲気、そして品のある老夫婦の宿。
とてもリッチな旅をした気分。

昨夜は、箱根越えの疲れが2日遅れで出たようだ、
はやめに寝たのが正解で、よく眠れた。
朝、宿を出る時、女将さんが袋をひとつ渡してくれた。
玉子とバターをはさんだロールパン2個とリンゴが入っていて、途中で食べてと云う。
こんな心づくしほど、元気をもらうことはない。

快調な足取りで、まだ観光客が来ない静かな鶴岡八幡宮に参拝する。

そこから一路鎌倉街道(県道21号線)を行く。
小袋谷交差点を右に回って間もなく、大勢の人だかりが見えた。
白いテントが張られた広場に、赤いシクラメンや野菜が並べられた屋外市の様子。
そこにはクリスマスをまじかに迎えた年末の慌ただしい雰囲気が。
今日は12月20日の水曜日。
このまま行けば、わが家でクリスマスが迎えられる。
旅人の胸中も、にわかに慌ただしくなる。

屋外市の様子を写真に収め、その先の鎌倉女子大学近くのコンビニで休憩をとる。
店で飲むヨーグルトと缶コーヒーを買い、宿でいただいたロールパンを食べる。

横浜市域に入ると、沿道はさらに賑やかに。
店頭の飾りつけも、完全にクリスマスモード。
京急本線上大岡駅付近になると、もう大都会だ。
ちょうど昼時になって、何を食べようかと迷いながら進む。
結局、ファミレス「ロイヤルホスト」に入る。
旅も終りに近づき、気前よく「カニ御膳+ドリンク」(2150円)をオーダーする。

今日の宿は、JR桜木町駅の近く。
その駅前に着いた時は、胸が熱くなった。
巨大なビル群が立つみなとみらい地区の風景。
ここは忘れがたい街。
現役で唯一単身赴任した職場があったところ。
「みなとみらい21プロジェクト」にかかわり、毎日、日本一高いビル「ランドマークタワー」が建ち上がって行く姿を眺める。
そして、世はまさにバブルの時代。
世の中も職場も活気に満ちあふれているなか、倦怠感に襲われる様になった。
本屋の健康コーナーで「真向法体操」という本があった。
たった4つの3分間でできる健康体操だと云う。
しかも、その道場が渋谷にあるというので、1週間通ってみることに。
そこで指導を受け、毎日、朝晩2回、続けてみた。
一月ほど過ぎると、なんと効果を自覚できる程になる。
さらに続けることで倦怠感の解消どころが意欲的な毎日になった。
その後、幾多の苦難を乗り越えられたのも、この歩く旅を続けられたのも、真向法体操のお陰だ。

みごとに建ち上がったビル群を眺めながら、そんな感慨にふける。

今日のホテルは、バブル以後この地に移転した職場の本社ビルの向かいにあった。
夕方に友人から電話があったが、この旅のわたしの想いは伝わらなかったようで淋しい。