芦之湯の朝、民宿のご主人は、国道1号は歩道のないところが多いという。
そして、旧東海道の県道を行くことを勧めてくれた。
それで県道を行くことにして、昨日の道を元箱根方向に戻る。
大芝交差点までは、寒く風も強かった。
その交差点から県道に進むと、風も寒さも感じられなくなって快調に歩む。
宿を出て1時間程の所で、甘酒茶屋と云うのがあった。
江戸初期の創業だそうで、外も内も昔のままの雰囲気。
さっそく甘酒で一服することに。
茶屋で孫のおみやげを買う。
それと一緒に必要がなくなった地図やパンフ等を、ここから宅急便でわが家に送る。
甘酒茶屋からは、下りの一本道になる。
最初は鼻歌も出る快調な足取り。
時々、箱根旧街道の標識に導かれてそちらに進む。
やがて小雨が降り出し、滑りやすくなった石畳。
そして長い坂と急な階段の連続で、足がガクガクになる。
案内板によると、こうした坂は「座頭ころがし坂」とか「女ころがし坂」の名で、旅人に恐れられていたと云う。
それでも、休憩すれば疲労の回復は早かった。
畑宿そして奥湯本で休憩し、昼時になり食事処を探しながら進む。
ようやく箱根湯本で大きなそば店を見つけ入る。
「箱根の庵」というちょっとシャレた店。
お腹が空いていて、「そば懐石」(1575円)をフンパツする。
箱根越えをして小田原に入ると、光と空気が変わった感じがする。
ついに、関東に入ったという気分。
広島県竹原市を出発して91日目。
大げさにいえば、鮭が大海原を回遊し生まれ育った河口にたどり着いた、そんな感じ。
今日の宿は、JR小田原駅の近く。
小田原駅は、さすがに大きな駅だ。
駅構内に入ってみると、改札口に大きな「おだわら提灯」が吊るさている。
その下を大勢の人が行き交う。
そんな雑踏の空気も、どこか懐かしい。
駅前のホテルに着いて部屋に入るとホッとする。
何もする気がなく、ベッドに仰向けになると眠ってしまった。
目が覚め、洗濯は湯洗いだけにして夕食に出かける。
駅ビルの地下街でヒレカツ定食を注文する。
ウエイトレスがうやうやしく、「ご注文、○○(名前)がうけたまわりました」という。
接客サービスを競い合う風潮とはいえ、たかが食事の注文にそこまでやらなくても、と思った。
次の日は快晴となり、今日も朝食を省いての出発。
それなのに気が緩んだのか、8時といつもと変わらない時間になる。
JR小田原駅東口から大通りを南に下り東海道(国道1号)にでる。
昨日の疲れでアキレスケンが張っているけど、身体は思いのほか軽い。
酒匂川を渡ってしばらく行くと、沿道は濃い松並木になる。
むかしの旅人気分で進むと、ファミレスがあり開店している様子。
近ずくとモーニングの看板があり入る。
ベーコンセット(480円)の朝食をとる。
朝食をとって、快晴のなか平坦な道を元気に進む。
沿道は、にぎやかな街並みや松並木、それらの合間にキラキラ輝く相模の海も顔を出す。
道端の金網の上に、いろんな色どりの魚が日干しになって並んでいる。
そんな光景を楽しみながら、まさに、のんびり東海道。
東海道本線国府津駅前を過ぎ二宮町に入る。
そして間もなく、「日本橋まで74km」の里程標が。
胸の内で、最終ゴール日本橋へのカウントダウンが始まる。
気分が一段とはずんでJR二宮駅前を過ぎ大磯町に。
国府新宿交差点のところに、県指定無形文化財「国府祭(座問答)」の標石というのがあった。
その解説文がおもしろい。
今から約1350年前の「大化の改新」で、二つの国を統合し相模国ができた。
そのとき、寒川神社と川匂神社が一の宮の座を争った。
近隣の比々多神社、前鳥神社、平塚八幡宮が調停に乗り出す。
その調停案は、「いずれ明日までに」の先送り解決策だったという。
やがて上記の5神社の分霊を集めた相模国総社「六所神社」ができた。
今でも六所神社で催される「国府祭」の主要行事が、むかしから続く調停の「座問答」だという。
日本的解決策と皮肉られる「先送り」も、こんな歴史を知ると悪くはないか。
国府新宿交差点の先で洋食店があり、ここで昼食をとることに。
ランチ(1030円)が、なかなかおいしかった。
昼食後も松並木が多く残る大磯の市街地を行く。
東海道本線をくぐり、花水川を渡る。
平塚市域境界の交差点から東海道(国道1号)を離れ、平塚市街地の中を進む。
多くの中心市街地の商店街は、活気を失いつつある。
そのなかで、さすが平塚の商店街はまだまだ活況だ。
今日の宿は、そんな商店街の中にあるホテル。
間口の狭い入口で、ホテルの玄関と思えないほど。
しかし、部屋はキレイでコインランドリーもある。
久し振りにズボンまで洗濯・乾燥する。
その後、にぎやかな街へ夕食に出かける。
イタリアレストランを見つけ入る。
若者が多い店内で、ピザとスパゲテイそれにグラスワインを追加する。