日本一周てくてく紀行

No.154 四国 編(大洲市大洲~宇和島市丸の内)

今日も晴れて、かなり風が強い。
宿を出て国道56号を行くと、高架道路をくぐる。
すると道は、二つに分かれる。
ひとつは、三崎港、八幡浜の道路標識が。
もう片方は、宇和島、西予市となっている。
宇和島方面の国道56号に進む。
青い空に白い雲が湧きあがり、透きとおる様な空気感だ。

しかし、そこからは長い長い上りの道になる。
下に見える川沿いの稲田は黄金の輝き。
暑い暑いと思っている内に、もう秋なのだ。
汗をイッパイかいて日陰で休むと、今度は寒くなる。
急いで半裸になって汗をぬぐう。

トンネルをひとつ抜けると、やがて谷間の道になる。
ちょうど昼時になった頃、コンビニが見えた。
サンドイッチとおにぎりそれに牛乳を買って、コンビニの軒下で昼食にする。
すると、ひげをはやした品のよいお四国さんが話しかけてきた。
歩いて日本一周していると話したら、「上には上がいるものだ」と驚き興味を持ってくれた。
米子市の小柴さんと云い65歳になるという。
建築関係の会社を経営していて、65歳を潮に会社を整理しお遍路に出たという。
写真を撮らせて下さいとカメラを向ける。
すると、いつの間に来たのか若い娘遍路さんがこちらをみてにこにこしている。
小柴さんと宿で同宿となり、方向が同じなので一緒に歩いているという。
聞けばなんと私の故郷名古屋のひとだった。
小柴さんの話では、お父さんが癌になり、その完治祈願をしているとのこと。
「それでは、お二人のツーショットを」とお願いする。
私の名刺とお二人の納札を交換し、後日、写真を送る約束をする。

その後先に進むと、JR予讃線と並行する道になる。
JR卯之町駅前の交差点のところで、予約した旅館が見つかった。
まだ14時少しすぎたところで、玄関で声をかけると明るい返事が返って来る。
宿の女将さんで、すぐに部屋に案内し、私がいう前にあれこれ世話をしてくれる。
テキパキと入浴の用意をし、洗濯機や物干し場の使用まで気を使ってくれる。

そして、「お客さんラッキーですよ、今日はこのまちの観月会があるんです」という。
なんでもこのまちは、宇和島藩唯一の宿場まちだったそうだ。
今日その宿場の通りで、観月会が開催されるのだという。
そこには、宿場の雰囲気を残すまちなみが残っているそうで、夕食前に出かけてみる。
場所は宿からほど近く、たしかに旧い街道を想わすまちなみがあった。
距離は数百メートル位の区間で、中ほどに寺院へ上がる石段がある。
石段を上がると、歴史民俗資料館と開明学校と云うのがある。
どちらも、開館時間が過ぎて入れないが、開明学校の建物は興味を引いた。
白壁の美しい木造2階建の建物だけど、窓がアーチ型でちょっとモダン。
1882年に建てられた日本最古の校舎だそうだ。
現在は教育資料館で、明治~昭和初期までの教科書等が展示されているという。
この地の進取の気風が感じられる建物だ。

宿に戻ると、夕食が始まっていた。
食堂の広間は、お遍路さん達でイッパイ。
一日の旅を終えた安堵感からか、明るい賑やかな声が飛び交う。

宿ではゆっくりしたい気持ちが強い。
それを振り切って、観月会にいってみる。
場所は、旧宿場通りにある町家を改造した民具館だった。
そこへ行くと、行燈等の灯りがつけられ、すでに始っていた。
民具館の土間や道路に、長椅子が用意され観客で埋まっている。
座敷が演台で、着物姿の若い女性が5人、琴の前に腰を下ろし華やいだ雰囲気。
座敷と土間の間には、ススキと赤、白、ピンクのコスモスがいっぱい活けられている。
琴と尺八の演奏の合間に、甘酒をのみながら月をめでる趣向だ。
その丸い月は、雲間に出たり入ったり。
途中からこれまた着物姿の女性のリードで、観客みんなで童謡や唱歌の合唱となる。
そんななかを、まるで専属カメラマンの様に動き回る旅人を、みなさん咎めることもなく許してくれた。

次の日、宿を発つとき、女将さんと玄関で30分位の長話になる。
この宿を定宿にするお遍路さんが多いそうだ。
それで、いろんなお遍路さんの話になった。
いまでは、92歳になる男女のふたりが、最高齢のお遍路さんだとか。
神戸の男性が、奥さんを亡くし高野山で出家した。
そして、「なまけへんろ」と自称して、何回もお遍路を続けている話が印象的だ。
そのおへんろは、彫刻や絵をよくし、女将さんにそうした作品を贈ってくれるそうだ。
女将さんはその作品をならべ解説してくれる。
その中に、多数のハガキにスケッチした作品があり、好きなのを1枚あげるという。
亡くなった孫によく似たお地蔵さんの絵を、迷わずいただくことに。

今日も晴れて、歩くと汗をかくけど、日陰で休むと冷えて寒くなる。
昨夜、観月会へ行って疲れが残ったのか、身体がかたい。
卯の町の市街地を抜けると、国道56号はすぐに山道になる。

長いトンネルを抜けると、みかん畑とJR予讃線、その向こうに海が見えた。
「みかん畑」で、また35年前の新婚旅行を思い出す。
尾道から水中翼船で今治に着き、そこから鉄道で宇和島に向かった。
急行「宇和島5号」の指定席だった。
それ以外は忘れてしまったが、妻によるとこんな列車旅だったという。

車内では、酒を飲んで賑やかな長野から来た団体客と一緒になった。
酔ったおっちゃんが、新婚旅行中の二人にウイスキーとゆで卵をしつこくすすめる。
やって来た車掌が、気を利かせて他の席に替えてくれた。
長野の団体客は松山駅で降り、代って地元の団体客が乗る。
その後は、窓外のミカン畑や海が近づいたり遠のいたりする風景を楽しむ。
こんどの団体客は、気持ち良さそうに飲み、浪曲をうなったり車掌さんを冷やかしてみたり。
緑の葉っぱの間から顔を出すだいだい色のみかん。
ちょっと、もぎとって口にいれたい感じ。

と、なぜ妻はこんなに詳しいかと云うと、どうも新婚旅行中も日記を書いていたらしい。

そんなことを思い出しながら行くと、谷間を黒い屋根が埋め尽くす風景に出会う。
歩く旅では、黒い瓦屋根の美しさは何度も体験している。
しかしこれは、美しいと云うだけでなく、なにか交響曲の響きが聞こえてきそうだ。
この風景を前にして、しばし休憩をとる。

JR予讃線と並行する道で、JR伊予吉田駅とJR高光駅の中間あたりで食事処を見つける。
そこで和風ハンバーグの昼食をとる。

今日の宿は、宇和島城のある城山公園の近くだという。
電話で尋ねて少し迷ったが、15時過ぎに着いた。
宿の女将さんに新婚旅行で泊った旅館をたずねたら、知っているという。
さっそく教えられた所へ行くと、宿から5分位のところだった。
しかし、その旅館は今はなく、跡地にマンションが建っていた。
その通りの少しわびしい雰囲気が、かすかな記憶となってよみがえる。
いま大ブレーク中の漫談家綾小路きみまろ調に、
「あの頃は自信満々で怖いもの知らずでしたア」
「新妻のことは何でも分かっている積りでしたア」
「あれから35年、いま不可解なのは女心の今日この頃」
とつぶやいて、ひとり苦笑する。

それから、アーケード商店街を通ってJR宇和島駅までぶらぶら歩く。
しかし、当時を思い起こさせるものは何もなかった。
きっと、あれから街全体が大きく変貌したに違いない。

夕食の時、女将さんと35年前の話からいろいろ話題がひろがって楽しかった。