日本一周てくてく紀行

No.52 北の大地編②(小清水町浜小清水~網走市卯原内)

涛沸湖畔の民宿に連泊した翌朝は、ようやく雨が上がり出発する。
涛沸湖沿いの道を1kmほど戻って、斜里国道と呼ばれる244号線にでる。
ここから網走方面に向かっては、オホーツク海と涛沸湖の間の狭い砂州の様なところが10km程続く。
その狭い間を、国道とJR釧網本線がとおている。
国道と涛沸湖の間は草原になっていて、道産子の馬が野生化したかのようにのびのびと戯れている。

国道とオホーツクの間は、原生花園と呼ばれる色とりどりの草花が咲き誇る低い砂丘上の草原だ。
JR釧網本線は、その草原の間を国道に並行してはしる。
ちょうど中間点あたりに、その名もズバリ「原生花園駅」という期間限定の臨時駅があった。
ここには、インフォメーションセンターや売店もあり、観光バスが何台も停まって賑わっている。
駅では駅長の制服と制帽を着て記念写真が撮れるサービスもある。

賑やかな雰囲気に誘われて、わたしも周辺を散策し、駅や草原そして観光客を写真におさめた。
草原には、黄色のエゾキスゲが一番の最盛期でいっせいに咲き誇っている。
ついでオレンジ色したエゾスカシユリがつづき、赤いハマナスはもう終り頃かパラパラと見える程度だ。
ここで小一時間ほど遊び、売店で牛乳を飲み出発する。

涛沸湖を過ぎてしばらく行くと、JR北浜駅という小さな駅があった。
いかにもオホーツクの駅と云った風情がある。
駅舎に入ると、壁一面に名刺などの貼り紙がびっしりと貼ってあり驚く。
みんな、ここを訪れた人たちが記念に貼ったものだ。
わたしも場所を探してそーと自分の名刺をすき間に差し込み写真を撮る。
ホームに出ると、眼前はオホーツクの海だ。
左右を見渡すと、線路が原生花園の中を抜けてどこまでも真直ぐ続く。
折りよく列車が1両でやってきて、それを待ち構えてパチリと撮る。

天気が曇りのせいか、今日もオホーツクの海は鉛色の重々しさだ。
足取りは重い感じだけれど、腰痛が起きなかったのでひと安心だった。

網走の中心市街地にあるホテルには、順調に着いた。
ホテルは朝食だけ用意されるということなので、夕食は外でとることに。
何となく中華料理が食べたくてラーメン店に入る。
餃子ともやしラーメンを注文したけれど、なぜか晩酌する気分にならなかった。

ホテルは網走川の岸辺にあり、夜に窓からのぞくと川面がライトアップされて光彩を放っていた。

網走の朝は、久し振りの青空で気分がよかった。
ホテルの近くのコンビニでポカリスエットトを買って出発する。
JR網走駅前を通ってしばらく行くと、網走川の対岸に網走刑務所があった。
その名も高い刑務所なので、一度のぞいてみようと立ち寄ることにする。
正門から中をのぞくと、所内は花壇があってきれいだ。
赤レンガの塀の外側でも、受刑者たちが花を植えている。
むかし監獄と呼ばれたイメージとは程遠く、のどかな雰囲気だ。

刑務所へ渡る橋の袂から、網走川、網走湖そして能取湖沿いに「オホーツクサイクリングロード」が整備されていた。
これは、旧国鉄湧網線の廃線跡を活用して整備されたものだ。
網走市大曲からサロマ湖栄浦まで約40kmの距離である。
湧網線は昭和10年に営業開始して昭和60年に廃線となった。
この鉄道は、まさに昭和という時代を駆け抜けて行った。

このサイクリングロードは、自転車で走るのには車を気にすることもなく、時には網走湖の景観も楽しめてさぞ気持ちの良い道だと思う。
しかし徒歩となると、沿道に店等もなく単調な長い道が続く印象の方が強い。
おまけに、晴天がわざわいして日射が強く疲れやすかった。

昼時になっても、食事する店もなくひたすら歩き続ける。
やがて卯原内川と云う川があって、その橋を渡ると眼の前に今日の宿があった。
午後1時を少し過ぎた時間で、チェックインにはまだ早いと思った。

それでも、とにかく宿に荷物だけでも置かしてもらおうと中に入る。
すると、どうぞどうぞと部屋まで案内してくれた。
おまけに、昼食がまだなら簡単なものであれば造りましょうと云ってくれる。
親子丼を頼むと、なかなかの味でおいしかった。
それもそのはずで、ここは海鮮料理旅館だったのだ。
眼の前は能取湖で、さんご草の湿原がひろがっている。
部屋からも浴室からもこの湖への眺めは素晴らしかった。
部屋の名前が、「眺湖の間」と云うのに納得である。

早く宿に入れたおかげで、光明石温泉にゆったりと浸かり、宿のコインランドリーで溜まった洗濯物を洗うこともできた。