えりも町と云えば、すぐに思い浮かぶのは、森進一が歌った「襟裳岬」である。
1974年に大ヒットし、この年の日本レコード大賞と日本歌謡大賞を受賞した。
えりも町本町の宿を発つとすぐに道は三叉路になる。
右に海沿いを行けば、襟裳岬へ。
真直ぐに山道を行けば、岬をショートカットして次の宿があるえりも町庶野に至る。
さんざん迷った末、11kmも短くなる行程の魅力が勝って山道を選ぶ。
「襟裳岬」の歌詩で、「えりもの春は何もない春です」の一節がある。
襟裳岬に行かない言い訳に、「えりもの春は何もないのではないのです。霧で何も見えないのです」と
自分に言い聞かせるようにして歩く。
道路の交通量はますます減って、車はめったに通らない。
沿道もたまに馬牧場がある以外は、単調な緑の山林が続く。
それで、道路脇に三脚を立てて自分の旅姿を撮ってみる。
また、追分峠の標識を過ぎたあたりでお腹がすいてきたので昼食休憩をとることに。
昨日のこともあり、今日はえりも町市街地のコンビニで昼食用におにぎりと牛乳を買った。
やはり道中には食事できる場所はなく、これは正解だった。
道路脇の空き地にシートを敷いておにぎりをほおばる情景を、三脚を立てて撮ってみる。
カメラの画像モニターで自画像をアップして見ると、真っ黒に日焼けした顔が浮かび我ながら驚く。
単調な道中でも、ホッとする時がある。
それは、バス待合所だ。
厳しい天候のせいか、北国ではしっかりした待合所が立てられていることが多い。
しかも、こんなかわいらしい建物だったり、地域の特徴を表すデザインだったりで楽しい。
一日のうちでも、限られた本数しか運行しないバスだけれど、バス停はまさに「駅」なのだ。
閉ざされた地域に住む人にとっては、外部との窓口になるバス停への想いは格別なように思われる。
えりも町本町から広尾町までは50km近くある。
とても一日で歩ける距離ではない。
当初、この間に宿が見つからなくて困った。
さいわいに襟裳岬を挟んで反対側にあるえりも町庶野と云う所で1軒だけ宿が見つかった。
しかも、予約もとれて本当に安堵した。
その庶野のまちを遠望する高台に着いた時は、ホッとすると同時に疲れがどっと出た。
しばらく、草むらに仰向けになって休む。
宿はもうすぐなのだから、と気を持ち直して立ち上がる。
ところが、宿は行けども行けどもなく、けっきょく庶野の市街地を抜けたはずれにあった。
宿に着いて、玄関で声をかけても誰も出てこない。
また悪い予感がして、とにかく入口のソファーで待とうと思ったら、女将さんがやってきた。
女将さんは、車でえりも町本町の歯医者へ行った時に、歩いている私を見かけたと愛想よく話してくれた。
この宿は、工事関係者や旅行者で繁盛しているようだ。
夕食は、地元の山海の多種な食材をつかた10品もの料理がならんだ。
1品ごとは少なめなので、全部食べてもちょうど良い量である。
この料理が宿の売りでもあるようで、リピーターも多いという。
満室状態の日が多いそうで、予約ができたのは本当にラッキーと重ねて思った。
次の日の朝、旅館のおかみさんが、うめぼしとタラコのおにぎりを作って渡してくれた。
旅館を発って500m程行くと、望洋台という展望台があった。
270度位にひろがる太平洋のパノラマが素晴らしい。
庶野から広尾町間の道路は「黄金道路」と呼ばれるそうで、そのいわれが望洋台の記念碑に書かれていた。
それによると、この道は江戸期から明治、大正、昭和にかけて、黄金を敷き詰めるほどの巨費を投じて建設されたので
こう呼ばれるとのことだ。
望洋台から広尾町方面を望むと、上の写真の様な地勢だ。
落石、土砂崩落、波浪、雪崩の事故防止のために、巨額の費用が必要となることは明らかだ。
現在も、より安全性を高めるためにトンネルや覆道等の工事が続けられている。
私が旅した時、幾つかのトンネルの中でも、写真の宇遠別トンネルは3216mもあって圧巻だった。
ところが、このトンネルの延長工事が2011年2月に完成し、「えりも黄金トンネル」と名付けられた。
延長が4941mになって、道内最長だそうだ。
トンネル以外に、写真の覆道と云うのが幾つもある。
これは、海側が柱間になっていてトンネルより解放感がある。
海が眺められ、場合によっては磯に出られたりもするので、格好の休憩場所になる。
黄金道路のトンネルや覆道は、平坦な歩道がついていて、車の交通量も少ないうえに涼しく、歩くには快適だった。
庶野では、ちょうど岩ノリ漁が解禁になって、盛んに岩場で漁をしていた。
また、海に入って昆布漁をする人もいて、それを写真におさめながら歩く。
時には浜辺に下りると、濃い藍色の海水が砂浜に白波となって打ち寄せてくる。
急峻な山容を背景に、そんな無人の浜に立つと、遠い最果ての地にやってきたような実感が湧く。
晴れていても、海霧のある変化に富んだ風景にも出会う。
また、広野町に近づいたところでは、一人で軽トラのクレーンを使い昆布を引き上げる女性に出会った。
たくましく働く姿に感心し話をして、写真を撮らせてもらう。
今日の行程は、30kmの長い旅で疲れたけれど、いろいろな体験をする一日になった。
広尾町の宿はふるくからある旅館でキチンとした印象だ。
女将さんも優しそうなのでここに連泊することにする。
連泊しても、朝はいつもと同じ6時10分に起きて体操をし、朝食も7時半にとった。
それから宿の洗濯機を借りて日頃は洗濯できないズボン等も洗い、宿の洗濯干し場に干す。
終わって少し眠った後、散歩も兼ねて昼食をとりに外出する。
昼食は、そば屋で味噌ラーメンを食べた。
広尾町から浦幌町までの太平洋側の道は、ナウマン国道と呼ばれる。
近くで15万年前のナウマン象の化石が発見され、その遺跡があることからこう呼ばれるようだ。
しかし、この区間には、宿泊施設がないのか見つからない。
それで、広尾町からは、帯広方面に迂回することにした。
連泊して休養日の今日は、その迂回ルート先の宿に次々と電話して、4日先までの宿泊予約をした。
画像記録用のCDを含む後方支援物資を、4日先の宿に宅急便で届けてくれるように妻に電話する。
夜に妻からまた電話があり、来週末なら北海道に来られるという。
千葉県銚子で見送ってから2カ月半も過ぎ、さすがに気になってきたようだ。
娘と2歳になる孫も連れて3人で来るという。
空港のある釧路のホテルで落ち会うことにする。