房総半島は、太平洋側を外房、東京湾側を内房と呼ばれる。
外房は、太平洋の荒波が押し寄せるけれど、黒潮の影響で比較的温暖である。
そんなことから、海や自然の恵みを活かした首都圏のリゾート地帯となっている。
館山市から内房に入ると、様相がかなり違っていた。
もっといえば、その内房も南側と北側では大きな違いがある。
館山市域を抜けて、君津市にかけては、海沿いの道といっても、海からは離れることが多くなる。
海は見えなくなり、トンネルが多い山道といってもよい区間が長くなる。
時折り、海に近付けば漁港やフェリーの港がある。
小さいが東京湾の穏やかな波が打ち寄せる浜辺も数多くある。
外房とは違った、海と山の恵みを活かす生活がある。
ところが、君津市から千葉市にかけては、海や道路沿いの景観は一変する。 まさに重化学工業のコンビナート地帯である。 東京湾の浜辺は埋め立てられて、そこに巨大な火力発電所、石油化学工場、製鉄所等が立ち並ぶ。 その間を抜ける国道16号は、50mほどの広幅員の産業道路となっている。 みどりが多く、平坦な歩道がどこまでも続き歩くのは楽だった。 けれど沿道は、高圧鉄塔や巨大な煙突が林立し、人気もほとんどなく、なんとも味気ないものだ。
そんな内房の旅をして思うのは、時の流れである。
内房の南と北では、時の流れがずいぶん違う気がする。
左記の写真は、JR浜金谷駅前の風景である。
なんとも昭和の時代がそのまま残っている懐かしさが感じられないだろうか。
内房の南半分の旅で目についたのは、醤油醸造所前に並べられた古い大きな木桶だったり、
きれいに刈り込まれた生垣越しに、たわわに実る柿だったりである。
この地で感じられるのは、「時は流れる」である。それも、ゆっくりと。
対照的に象徴的なのは、左記の写真にみられるJR蘇我駅に近い大規模商業地の建設風景である。
日本の高度経済成長を牽引してきた製鉄所の広大な用地の一部を再開発して、地域の活性化を図ろうとするものである。
サッカー場、公園、大型店舗・駐車場等を一体的に建設する地域開発計画である。
定年退職する前に、ほんの少しこの計画に関係したことがあったので、建設現場を興味深く眺めた。
長年にわたって夢と思われた「東京湾横断道路(東京湾アクワライン)」が、完成してすでに久しい。
神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ道路で、これによって内房は経済的にも社会的にも東京圏としての一体感をますます強めている。
内房の北半分は、良くいえばダイナミックに、悪く言えば慌ただしく時が流れている。
館山では再び強い雨に会い、足のマメは絆創膏では処置できなくなった。 館山市内で探し回って、ようやくテイピング用具を手に入れ、それによって一息つけたかに見えた。 しかし、相変わらず痛みは続き、休んだ後の歩き始めのあの痛さは、ずーと変わらなかった。 それをかばって歩くうちに、別の身体のあちらこちらに痛みが走った。 特に千葉市域を歩いているとき、足の裏、腰などにも痛みが出て休み休み進むといった具合だった。