今日は午前中は雨で午後曇りの予報。
それで、出発を遅らせて9時15分に宿を出る。
今日は小浜市田烏まで約21kmの旅。
昨日と同じ丹後街道(国道27号)を行く。
美方高校の先、気山と云うところから国道と並行する旧道に入る。
この街道は、子供時代に育った名古屋の桑名街道に似て懐かしい気分に。
町屋の軒下に縁台が置かれているのが目立つ。
それは、通りを行く人に「どうぞ休んでいってください」と呼びかけているようだ。
雨宿りに格好の場所で、ひとつの縁台に腰を下ろす。
とそのとき、家の人が出てきたので、慌てて「休ませて下さい」と声をかける。
すると、「どうぞどうぞ、ゆっくりして行って下さい」と優しいお言葉。
雨のなか、ホンワカした気分でしばし物思いにふける。
JR小浜線三方駅近くで、再び国道27号に出て直ぐの交差点を右に曲がる。
ここからは国道162号になる。
JR小浜線を越えて直ぐのところにスーパーがあり、そこで休憩する。
ここで昼食用に太巻寿司弁当と牛乳を買う。
そこから先へ行くと、三方湖沿いの道になるのに一向にその気配がない。
途中、何度もおかしい気がしたけど、雨の中地図をひろげて確かめる場所が見つからない。
宇波西神社と云うあたりで、ようやく小浜線を挟んで反対の道を気山方面に戻ってしまったことに気づく。
距離にして5km程も突き進んだことになる。
仕方なく、神社の境内で昼食にしようと太巻寿司弁当をひろげる。
道を引き返して分かったのは、交差点が続けて二つあり、手前の方を選んでしまったのだ。
国道162号に戻り、幾つものトンネルを抜けて、三方湖、世久見湾、若狭湾沿いの道を行く。
長いトンネルを抜けて視野が広がると、大きなインターチェンジに出た。
小浜市田烏と云う地で、今日の宿があるところだ。
海側に向かう道を進むと、漁師まちの風情がある集落になる。
集落の中に入って、どこかで宿の場所を尋ねようとキョロキョロする。
すると、偶然にその民宿名の看板が目に入る。
目指す宿の玄関前で、声をかけると若い女将さんが出迎えてくれた。
網元民宿と云うだけあって、夕食の料理は圧巻だった。
サバと間違う程大きなアジを丸ごと1本さばいた刺身、それにカツオ、サザエ、えび、もずく酢等々が並ぶ。
しかもどれも新鮮で生きがよい。
宿泊客は私一人というのに、手を抜くこともなく一品毎にしっかり調理されている。
質量とも二人分と云った感じだ。
一人客の宿泊を敬遠される憂き目にあってきた旅人は、うれしさ、有り難さを通り越して申し訳ない気分に。
次の日、朝起きると天気は晴れていた。
昨日は雨のなか、道に迷って30kmを越える旅になってしまった。
それでも疲れもなく、元気な目覚めだった。
女将さんは子供が中学の入学式だそうで朝からバタバタしている。
それでも旅人への気配りを忘れず、朝食はおいしく量もちょうど良かった。
今日は大飯町(現おおい町)本郷まで30kmの旅。
田烏の集落を写真を撮りながら通り抜ける。
国道162号に出ると、そこからは若狭湾沿いのアップダウンを繰り返す道になる。
どんな小さな入り江にも家がはりついて、民宿の看板が目立つ。
昨年眼にした三陸海岸の風景と重なる。
かつては孤立していた集落も、国道で結ばれ人や物の交流が盛んになった。
いまもどんどんトンネルを通して、新しい道路が整備され続けている。
小浜湾沿いの道になり、甲ヶ崎バス停近くでトイレを借りようと「内外海郵便局」に入る。
局員は「どうぞ、どうぞ」といって案内してくれた。
ありがたかく礼を云って、ついでに自動預払機で旅費を引き出す。
JR小浜駅にはちょうど昼に着いた。
駅前の喫茶と軽食の店でカツ丼を食べる。
デジカメの電池が切れかかっていたので、この店で充電させてもらう。
ここも親切な店で、若狭は人情味のある土地柄なのだ。
JR小浜駅の陸橋を渡って反対側に出ると、すぐに国道27号につながる。
この国道は、歩道がなく路肩も狭い。
絶えず車に注意しなければならないが、元気に歩く。
鯉川というところで、岡津製塩遺跡と云うのがあり寄ってみる。
この遺跡は、古墳時代から奈良時代にかけての製塩遺跡だという。
しかし、遺跡は別にして、ここからの眺めが素晴らしい。
若狭湾と青戸大橋越えに見える、三角形の山が興味をそそる。
後で分かったことだが、この山は若狭富士と呼ばれる「青葉山」だそうだ。
これから先ずーと、この山に向かって歩くことになる。
今日の宿は、青戸大橋のたもとで直ぐ見つかった。
釣り宿と云うことで、備え付きの浴衣はないとのこと。
宿に備え付けの浴衣は当たり前と思っていたので、チョッとばかりまごつく。