日本一周てくてく紀行

No.99 丹後 編(おおい町本郷~京都府宮津市由良)

大飯町(現おおい町)の朝は晴れだった。
しかし、30kmを超える行程が2日続いて、少々身体が気だるい旅立ちだ。

宿を出て小一時間程のところで道の駅「シーサイド高浜」に出会う。
地中海を想わせるオレンジ色の大きな建築物だ。
それもそのはず、イタリアのジェノバをイメージした建物だと云う。
たしかにこの辺りは、日本海には珍しくコバルトブルーの美しい海だ。
近くのパチンコ店の建物も、似たようなイメージだ。
しかし、こうした借り物のイメージは、一時は斬新に見えるけど、時が過ぎる程色あせる。
それに比べて、土地の風土に根差し昔から受け継がれた形態、色彩は、時が経つ程味わいが出てくる。
これは、歩く旅であちこちで眼にしてきた印象だ。

そこから先は、昨日、岡津製塩遺跡で目にした三角形の山「青葉山」をいつも正面に見据える旅となる。

まだ風は冷たいけど、日射しはすっかり春だ。
ピカピカの一年生が、学校帰りに農作業のおじいさんのところへ。
なにやらおじいさんに報告して、うれしそうに一緒に帰っていく。
なんとも微笑ましい光景に、おもわずパチリ。

青葉山は福井と京都の県境にあり、その吉坂峠をトンネルで抜ける。

トンネルを抜けると、風景が一変した。
春霞の谷間をくねくねと道が下って行き、その先に丹後の山々を望む。
民家の庭先には、山桜なのか薄いピンクの花が咲いている。
空気までも変わったかのようで、思わず「うわー、丹後だ」と叫んでしまう。
トンネルから少し進むと、JR小浜線松尾寺駅の前になる。
駅近くのコンビニで太巻弁当を買って、無人駅の待合室で昼食をとる。
青年が一人やって来たので、弁当を前にした写真を撮ってもらう。
松尾寺は、西国33札所の第29札所だという。
青葉山の松尾寺として名高いそうだ。
そんな歴史を感じさせながらも、あくまで長閑な駅周辺をぶらぶらする。

今日の宿は、東舞鶴の大門五条の交差点を右へ海に向かって進んだところにあった。
まだ15時前なので、宿近くの海岸縁の公園を散策する。
宿の部屋に案内してもらった後、明日の宿を探したいので電話帳を貸して下さいと頼む。
すると、女将さんはパソコンを持って来て、これで調べたらと云ってくれた。
明日の目的地宮津市由良の旅館は、休業中とか相変わらず一人客はと敬遠される。
それでも、インターネットを使うことで、ようやく一軒の民宿を探し予約がとれた。
ついでに明後日の宿もと探したら、宮津市日置の民宿が見つかり、電話したら一発でOKだった。
それから洗濯機を借りたいと云うと、宿の方でしてあげると云う。
ちょっぴり気恥ずかしかったけど、お言葉に甘えることに。
夕食時、久し振りにその女将さんと旅の話がはずんだ。

翌日の朝、天気予報は一時雨のちくもり。
宿を出る時、女将さんに隣のコンビニで傘を買う話をした。
すると、女将さんは玄関の傘立てにある傘を持って行っても良いと云ってくれた。
ちょうどコンビニで買うつもりのビニール傘があり、それをいただく。
ホントに何から何までお世話になった旅館だ。

歩き出すと直ぐに、ポツリポツリと雨が降り出す。
舞鶴市役所の前あたりで強い雨になる。
国道の横断地下道で雨宿りし、そこで完全雨装備になって出発する。
ところが、歩き始めると拍子抜けするほど直ぐに止んだ。
それ以降はくもりで肌寒かった。
西舞鶴の大手交差点からは、国道175号に進み道の駅「舞鶴港」で休憩する。

由良川を渡り、そこから川沿いの国道178号を北上する。 この国道は、大雨の時に由良川の水が浸かって交通規制されることがあると云う。
雨が止んで良かったと安堵する。
途中に山間の集落があり寄ってみる。
集落内を歩くと、なぜかホッとする様な落ち着いた空間があった。
その集落を出て石津というところで、国道の脇に「山椒太夫屋敷跡」の看板が立っている。

子供の頃読んだ「安寿と厨子王」の悲しい物語を思い出す。
物語で安寿と厨子王が汐汲みしたという海辺を思い描いたことがある。
物語の舞台となったのは、ここ由良の海辺だという。
物語の海辺のイメージは、実際の由良海岸とはチョッと違っていた。
しかし、由良海岸に立つと、子供の時の悲しい気持ちが蘇ってくるようだ。

今日の宿は、由良の旧道沿いにあった。
夕食は、カニ鍋で最後はカニ雑炊だった。