日本一周てくてく紀行

No.77 津軽・出羽 編(八峰町滝の間~三種町鹿渡)

旧八森村滝の間の宿を発つと、すぐに小さな漁港に出た。
イカ釣り漁船なのか、船上に沢山の電球を釣るした船が並ぶ。
そんな風景を写真におさめて、八森村の中心市街地を通り抜ける。

再び国道101号線にでると、直ぐに展望台があった。
鹿の浦展望台というそうで、何人かの人が海を眺めている。
私も近くに行ってみると、確かにすばらしい眺めだ。
展望台を中心にして、左右に翼をひろげたような地形だ。
右手は、幾つもの岩肌が海に突き出て、それを越えた先に通り過ぎてきた八森の市街地が見える。
左手は、浜に並べられた小さな漁船とコンクリートの堤防に守られた民家の連なり。
そして正面は、青い海原に潮の流れか、筆で描いたような幾筋もの白い模様が見える。
遠くに小さく、白い船が一つ、二つ、三つ。

昨夜は左腰が重く、今日の旅が心配だった。
それで休憩の度に、いつもの真向法体操に簡単な全身の柔軟体操を加えた。
その効果か、腰の痛みはなくひと安心だ。
能代市境の手前で、大きなタヌキの看板が目に入る。
そこは、道の駅「みねはま」で大きな物産館があって中に入る。
近くにポンポコ山公園あるそうだが、この地とタヌキにどんな謂れがあるのだろうか、とぼんやり思ったりする。

能代市域に入って、米代川に架かる能代大橋を渡る。
そこから大きな市街地になって賑やかな雰囲気が漂っている。
それもそのはずで、今日は「おなごりフェスタ」という能代市のお祭りの日だ。
昨夜はそれを知らず、能代市の旅館やホテルに今日の宿泊予約の電話をすると、どこも満室の返事ばかり。
もうだめかと思った民宿で、やっと予約できた時はホッとするとともにグッタリだった。
この「おなごりフェスタ」は、浅草カーニバル、青森ねぶた、盛岡さんさ踊り、秋田竿灯等、各地の代表的な祭りを一堂に集めると云うものだ。
早く宿について、この祭りを観に行こうと急ぐ。
しかし、宿は祭り会場から3km程先のところにあった。
その距離が、祭りに行くのをためらわせて宿の食堂で夕食をとる。
そのとき、もう一人の同宿者と一緒になる。
なんと同県人の海老原さんという男性で、自転車旅行中だという。
奥尻島まで行った帰りで、日本海沿いを下って、行けるところまで行ってみるつもりだそうだ。
そんな話をして、祭りに行くのをグズグズしている内に、強い雨が降ってきて諦めがつく。

夜9時頃、祭りに行った大勢の宿泊客が戻って来てにぎやかになった。
ところが夜中になっても、どこかの部屋でテレビが点けっ放しでうるさかった。

次の日の朝、食堂で祭りを観に行った人に祭りの様子を聞いた。
強い雨が降り出したのは祭りの最盛期で、出演者達はずぶ濡れになったそうだ。
観客はアーケードの下で救われたという。

夜に雨が降ったお陰で、朝から晴れて気温も25℃位と歩きやすい天気になる。
浅内交差点近くで最初の休憩をとっていると、同宿だった海老原さんが自転車でやってきた。
そこで少し立ち話をし、互いに励まして別れる。
その時、海老原さんは、わたしの歩く速さに驚いたという。
浅内交差点からは、羽州街道と呼ばれる国道7号線をたどる。
しばらくすると、「米どころ秋田」を彷彿させる黄金の大海原になる。
この黄金色した稲穂の海は、旅人の心を励ましパワーを与えてくれる不思議な力があった。

国道7号線に入ると、里程標識が目立つようになる。
ふとその標識を見上げると、新潟まで319kmとある。
新潟までまだまだ遠いと思う反面、その先にあるこの旅の最終目的地金沢が意識の中に浮かんできた。
琴丘町(現三種町)に入り、国道7号線を離れて旧羽州街道をたどることにする。

JR鹿渡駅前を通り過ぎたあたりだと思うが、道路脇の自販機で飲料水を買って休もうとした。
すると、道路の反対側にある工場の様な建物でバーベキューをしている人達が手招きする。
近くに行くと、サザエ、ハマグリそれに酒(高清水)を盛んに勧めてくれる。
今日の宿の名前を云うと、もう、すぐそこだからと云ってさらに酒を注いでくれる。
工場主の近藤さんともう一人の人は、つくばや土浦に行ったことがあるそうだ。
つくばのNTT研究所に1カ月程いたというその人は、茨城の米は本当においしかったとほめてくれた。
酔いが回ってその人は、最初、私をみた時は、NHKのテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」の収録ではないか、と思ったという。
一同大笑いになったが、旅人は不審者にみられなくて良かった、と胸をなで下ろすばかりだった。