日本一周てくてく紀行

No.182 東海道 編(愛知県蟹江町~岡崎市八帖北町)

昨夜は咳がひどく大汗をかき、体調が心配だった。
しかし、いつもの通り元気に目覚める。
いよいよ、今日は生れ故郷の名古屋入り。
ホテルの朝食は時間が遅いのでキャンセルして、いつもより早めに出発する。
途中、有名になった名古屋の喫茶店の「モーニングセット」をとることに。

ふたたび国道1号に出て、戸田川、つづいて新川を渡る。
そして、懐かしい庄内川に架かる一色大橋に到る。
子供の頃、この一色大橋までは何度か来たことがある。
風景はずいぶん変わってしまったけど、わずかに残る堤防の松林に当時の面影が。

たしか、一色大橋を渡って左斜めに下る道があるはず。
その道が、実家の前を通る旧桑名街道だ。
しかし、当時は田園風景が残る田舎道だったけど、辺りはまるで一変して都会。
カメラの電池が切れかかっていることもあり、喫茶店を探し入る。
ここで「モーニングセット」をオーダーし、カメラの充電をさせてもらう。
店で桑名街道と云っても分からず、母校の小学校と中学校の名前を云って、その道を教えてもらう。

教えられた道を行くと、すぐに同級生F君の家があった。
家は建てかえられていたけど、門札は間違いなくその名前だ。
呼び鈴を押したい気がしたけど、長くご無沙汰していて本人もいないと不審がられるかも、と押しとどめる。

約40年振りの母校の小学校と中学校もまるで様変わりしている。
私達の時代は、1学年4クラスで1クラス約55名の編成だった。
クラス替えはあるものの、同学年生はそのまま小中9年間一緒だった。
小学校と中学校は隣接していて、どちらも木造から鉄筋コンクリート造りの校舎になっている。
しかし、建物配置は余り変わっていないので懐かしさがこみ上げる。
校門等を写真に収め、通学路だった道を探しながら進む。

今や市営地下鉄駅も出来た町は、大都会の様相。
それでも、沿道に懐かしい家並みが、ところどころ残っている。
懐かしさの絶頂は、やはり荒子観音寺だ。
尾張四観音のひとつとして知られる。
境内の二重塔は、多宝塔と呼ばれ国の重要文化財になっている。
また、昭和時代に評価が高まり一躍名を高めた円空の仏像が、多数あることでも有名だ。
「浄海山」の額を掲げる山門の両脇に、円空作の仁王像が据えられている。
子供の頃、そのナタを使った荒削りな像を格子窓から覗いて、「ヘンな仁王さま」と思ったものだ。
寺と隣接する神社を合わせた境内は、「かんのんさま」と云って子供たちの遊び場であり、祭りの場でもあった。
残念なのは、寺の境内は鉄柵で仕切られ夜は閉じられると云う。
何年か前に本堂が焼け、それが放火だったことの処置だそうだ。

荒子観音寺を中心とする荒子町は、加賀百万石初代藩主の前田利家公の生誕地でも名をなす。
観音寺の門前を通り旧街道を進むと、わたしの生まれ育った家があった、はず。
その家は今はなく駐車場になっている。
実家は、高校生の時に街道から離れた別の所に引っ越した。
その実家は今は姉家族が住み、そこに立ち寄る。
この辺りも、鉄道の「あおなみ線」が通り駅も出来ている。
帰省する度に、変貌する故郷を眺めてきた。
「昼食をご馳走になったら直ぐに旅立つ」と云うわたしに、姉は「なんでェー」という。
実家に泊ってホッと気が緩むのを恐れたのだ。
姉はそんな説明に納得する顔でなかったけど、笑顔で送り出してくれた。

実家から南に下って、また国道1号に出る。
名古屋城築造のために開削されたという「堀川」を渡ると、熱田神宮前に。
ここにも立ち寄り、「家内安全「と「日本一周徒歩の旅の成就」を祈願する。
その先の道は、私鉄、JR、高速道路の高架橋等が錯綜して迷うことも。

今日の宿は、名鉄名古屋本線鳴海駅の近くにある。
鳴海駅近くで宿に電話して道順を尋ねる。
教えられたとおり、鳴海駅の横の線路を渡って行くと、坂の上のビルの屋上にその宿名が見えた。
近ずくと、玄関の所はふるい和風旅館の建物。
それに近代的な建物が増築された、大きな旅館だった。

昨夜も咳がひどかった。
タオルを首に巻いたりしたて、夜中1時以降はよく眠れた。

旅館を出て名鉄鳴海駅の横を通り、また国道1号に出る。
名鉄鳴海駅は、巨額を要する高架化と駅施設を新設する工事が真っ最中。
全国で鉄道の衰退ぶりを観てきた眼には、ちょっと驚きだ。
それも先へ進むにつれ納得する。
鳴海、豊明、刈谷、知立、安城の地名は、幼いころから聞き慣れている。
この地域を歩いて、その位置関係がようやく分かった。
どこも住宅開発が進み賑やかなまちになっている。
この地域に隣接して豊田市がある。
いまや日本一の好況企業「トヨタ」の本拠地だ。
名古屋東部地域の活況は、「トヨタ」とその関連企業が好業績をあげている証しにちがいない。

そんなことを想いながら行くと、安城街道と呼ばれる旧街道に出くわす。
安城といえば「日本のデンマークと呼ばれる」の言葉がつづく。
これは社会科の教科書に載っていて、憶えさせられたもの。
多分、日本の近代的な農業先進地と云うことだったと思う。
しかし、そんな言葉は知らないと云う人が多い。
知ってると云う人は、たいてい愛知県人だとか。

それはともかく、旧安城街道には、見事な松並木が残っている。
知立市の衣浦豊田道路の手前で、そんな松並木があり休憩をとる。
辺りを見回すと食事のできる喫茶店の看板が。
ちょうどお昼時で、店に入りコーヒー付きのランチセット(800円)をオーダーする。
店内は混んでいて、食べ終わるまでけっこう時間がかかった。

風邪気味で身体が少しダルイ。
安城市の東栄町交差点のところにあるコンビニに入る。
ノドの張り薬とハンドクリームを買う。

安城市と岡崎市の境界付近でも、松並木の旧街道があり休憩する。
その先で矢作川を渡る。
豊臣秀吉の出世物語「太閤記」では、日吉丸(秀吉の幼名)がこの川の橋の上で盗賊の蜂須賀小六に出会う。
そんな話を思い出しながら矢作橋を渡ると、すぐに国道248号との交差点になる。

八帖交差点の名があり、今日の宿はこの近くのビジネス旅館。
宿に近ずくと、隣接して同じ名前の料理旅館本館とある。
両方合わせると、かなり大きな旅館だ。
コインランドリーがあり、3日分の洗濯をする。
今日も昨日に続き、アルコール抜きの夕食をとる。