室津から先の国道55号は、室戸岬をめぐる。
しかし、室戸岬から先の宿がみつからない。
それで、室戸岬の鼻元を横断して、一気に東洋町まで行くことにする。
行程が30kmを超えるロングな旅になるので、出発を早め気合を入れて出発する。
朝、宿を出る時、女将さんに「お世話になりました」と挨拶する。
すると、「いいえ、こちらこそ仕事をさせてもらって、ありがとうございます」の返事が。
歩く旅で、これまで数百回もの挨拶を宿で交わした。
しかし、こんな言葉を聴いたことはない。
それも、さらりと、やさしく、うれしそうに。
朝の室津のまちや港が輝いて見えるのは、朝日のせいか、女将さんの挨拶のせいか。
そんな朝の風景を写真に収める。
室戸岬の鼻元を横断する道は、3kmほどの県道。
国道55号の交差点名「浮津」と「三津」を結ぶ。
その三津に出て、国道55号を北上して驚く。
室戸岬を挟んで西と東では沿道風景と空気?がまるで違う。
西側の沿道は、低い山並みや平地とおだやかな海。
東側になると、左は高い山裾で右は荒い波が押し寄せる海辺の道になる。
ひとつ幸いなのは、山並に日射しが遮られる日陰の道で身体が楽なこと。
道路の里程標を目印に、休憩間隔が4km以上のピッチで進む。
鹿岡鼻というところに、大きな二つの岩が注連縄で結ばれていた。
夫婦岩だそうで、ここで休憩をとり、歩んできた遥かな海岸沿いの道を振り返る。
室戸の東海岸は人家が少なく、昼食がとれるか心配だった。
さいわい昼時に、佐喜浜と云うところで食事処がみつかる。
力をつけようと、焼肉定食(900円)にする。
佐喜浜を過ぎると、さらに人家が乏しく飲料水の自販機すら見えない。
のどが渇き、日が陰り心ぼそくにもなる。
やがて大小の丸い石が転がる海岸になる。
先日、NHKのお遍路番組で、この「ゴロゴロ海岸」が紹介されたことを思い出す。
波の満ち引きで、浜辺の丸い石がゴロゴロと音をたてて転がることから、この名がついたと云う。
道路が現在ほど安全な整備がなされてない時代、お遍路たちはどんな気持ちでこの海岸を通り抜けて行ったか。
室戸の東海岸は、お遍路にとって難所のひとつだったに違いない。
そんなことを考えながら予約した宿に着いた時は、すでに日は暮れていた。
暗くなった宿の前は、多くの車と若者でごった返していた。
どうやらサーフィンをしにきた若者達で、宿もペンション風の造りだ。
同宿舎は、わたしと夫婦遍路以外は全部サーファー達で、いつまでもドタバタ騒がしかった。
夜、明日行く牟岐町の民宿に予約の電話をすると、日曜日は休みという。
他の民宿等に電話しても同じだった。
仕方なく、ゆきあたりばったりで行ってみることに。
しかし床に入って、これも疲れが溜まっているから休め、と云う天の声かもと思い連泊することに。
今朝起きてすぐに、女将さんに連泊の了解を得る。
牟岐町の民宿に電話すると、明日ならOKだという。
ホッとして宿の外に出てみると、やはりサーファー達とその車でイッパイだ。
昨日は暗くてよく分からなかったけど、あらためてそのにぎやかさに驚く。
この宿は素泊まりで、食事は宿付属のレストラン等で食べるか、近くのコンビニで食糧を買うかである。
それで朝食は、コンビニでパン、牛乳、プリンを買って部屋でとる。
それから、ひと眠りする。
やはり、連泊にして良かった。
この2日間はロング行程で、疲れと忙しさで日記もつけられなかった。
室戸の宿に着いた後方支援物資も、開封しないままだった。
支援物資をひも解くと、前回の旅で出会った甲斐さんと木村さんからの手紙があった。
出会った時の写真を送ったお礼の手紙だ。
当時の感想も添えられて、再びお二人から元気をもらう。
支援物資を整理した後、カメラの画像データーをCDにコピーする。
それやこれやで、これまで溜まっていたことが全部できた。
昼食は、宿のレストランでビーフカレーをたべる。
それから近くの浜辺へ行き、サーファーの波乗りを眺める。
今日は日曜日ということもあって、サーファー達もいろいろだ。
なかには家族連れもあって、小学生の男の子が路上でスケートボードを巧みにあやつる。
親が波乗りの練習に教えたのか、見事で周りの目を引きつけていた。
天気予報で、明日は雨だと云う。
それでコンビニへ行きビニール傘を買う。
店を出ると、バイクのツーリングカップルに出会う。
女性の強い眼の輝きが印象的でカメラを向ける。
すると、こころよくVサインで応じてくれた。
お遍路するもよし、サーフィンするもよし、ツーリングするもよし。
若者がとにかく元気なのはうれしい。
次の日は、久し振りの雨だった。
小雨の天気は身体が楽、のはずだった。
連泊して休養明けなのに身体が少し重い。
歩きだして小一時間程すると、小さな入り江を渡る。
欄干の金網越しに眺めると、山裾に沿って入り江を取り囲むように、家並みがならんでいる。
その家の前の海岸に、同じ様に小さな漁船がならぶ。
まさに「海に生きるまち」の光景だ。
邪魔な金網が目障りだけど写真に収める。
そこからしばらく行って長いトンネルを抜けると、徳島県に入る。
道を下って、また小さな入り江を渡る。
そこでも写真を撮って先に進むと、ビックリする様な建物が目に飛び込む。
南欧風の巨大建物と、それに付随する様な緑のドーム屋根の建物。
それは、道の駅「宍喰温泉」だった。
道の駅も様々で、時々、この様な超デラックスな建築に出会う。
南欧のリゾート地をイメージしたと思われるホテルのデザインは、確かになかなかなものだ。
しかし、周辺との違和感がどうにも落ち着かない。
今日の朝食は、昨日の夕方にコンビニで買ったインスタントラーメンとカップヌードルだった。
そんな慣れないものを食べたせいか、海南町で昼前にお腹が張って来た。
この旅で時々経験する、いやな予兆だ。
急いで辺りを見回し、ラーメン店を見つけトイレに駆け込む。
昨日は、松山以来19日振りの休養日だった。
しかし一日だけの休みは、かえって疲れを呼びさましただけかもしれない。
ならば元気づけようと、このラーメン店で唐揚定食(790円)を食べる。
これが実に美味しく、何が幸いするかわからないものだ、と苦笑。
とはいえ、何となくもう一回あるかも、の予感があった。
阿佐海岸鉄道浅川駅近くで現実となる。
運よく浅川駅前のバス停待合所にトイレがあったので助かった。
お遍路が札所(霊場)を巡拝することを「打つ}という。
札所の第1番から第88番へと番号順に巡拝するのを「順打ち」と云う。
「順打ち」は、四国の地を時計方向に廻り、その逆を「逆打ち」という。
四国を反時計回りで歩く私は、順打ちのお遍路とはすれ違うことになる。
それで、お遍路から「逆打ちですか?」とよくきかれる。
「いえ、お遍路でなく、写真を取りながら歩いて四国一周しています」と答える。
すると、するどく反応する人もいるけど、大半は「へー」と云って無表情で通り過ぎる。
それが何度も続いて、だんだんと面倒臭くなる。
時には、「逆打ちですか」ときかれて、「えー、まー}と曖昧に答える。
すると、「それはすごい」と眼を輝かせ、「頑張ってください」と励ましてくれるのだ。
「逆打ち」は「順打ち」より大変で、3倍相当のご利益、功徳があるそうだ。
お遍路の戒めのひとつに、「うそをついてはいけない」というのがある。
お遍路になれない旅人は、お遍路休憩所では、ちょっと気まずい思いで休む。
牟岐町の民宿は、街中を通り牟岐川の河口沿いにあった。
大きめの民宿で、食事がおいしかった。