日本一周てくてく紀行

No.86 越前・中・後 編(長岡市寺泊~柏崎市笠島)

今日は、長岡市寺泊から柏崎市宮川まで25kmの旅。
天気予報は、昼頃から雨になると云う。
それで、雨が降る前に、できるだけ先に進もうと朝8時に出発。

今日も北陸道と呼ばれる国道402号線を行く。
約45分歩いて15分休むのペース。
このところ、休憩の間隔が短くなった。
そして、休憩の時に真向法体操をしないと足腰がほぐれない。
出雲崎町の市街地のところから旧街道を行く。
冷たい雨が降りだし、静まり返った古い街並みは、昭和の時代にタイムスリップしたようだ。
良寛記念堂というのがあり、そこでしばしの時間を過ごす。
記念堂や良寛さんの銅像を写真に撮ったりして、そこから再び国道402号に出る。

すぐに国道352号との交差点があり、その近くに「妻入りの街並み景観」と書いた大きな看板が立っている。
これを見て、現役の頃、出雲崎の街並み景観づくりに関する論文を読んだことを思い出した。
その時は、この妻入りの街並み景観がどれほどのものか、イマイチ分からなかった。
江戸時代、出雲崎は佐渡の金銀陸揚げ港として、また北前船の寄港地として大いに栄えたという。
そして、北国街道の宿場町としても賑わい、幕府直轄の天領だった。
切妻造りで妻入り総2階の民家は、間口3間前後、奥行き70mもあると云う。
その民家のつながりが約4kmにわたって残り、現在にいたっている。
この景観が放つ「歴史の重み」は、身体に沁み入る。

この交差点から北陸道は、国道352号となり出雲崎漁港前を過ぎる。

とそこに、道の駅「天領の里」が眼に飛び込む。
ちょうど昼時で、そこのレストランに入りビーフカレーを食べる。
食後、休憩所で休もうと探すが見つからない。
仕方なく、建物の階段下のスペースで真向法体操をする。
そこから北陸道を南下し海沿いを進む。
柏崎市に入り長浜海岸あたりで、小雨の中、フト足を止める。
黒瓦屋根に板壁の民家の連なりが、雨に濡れ、北国情緒を醸し出していた。

宮川の高浜海岸の浜辺に、今日の宿があった。
ここは、工事関係の長期宿泊客が多い民宿の様子。
食堂横のテラスは、真近くにあるテトラポット護岸に日本海の荒波が押し寄せ、その波濤と響きが圧巻だった。

次の日の天気予報は、大雨、洪水、雷注意報となった。
少し迷ったけれど、今日の沿道は市街地が多く、雨宿りや休憩場所に困らないと予想し出発。
歩き始めると、こんな天気なのに、海岸にはサーファー達が集まっている。
サーファーの写真を撮ると、雨が降り出しカメラをバッグにしまう。
まもなく北陸道は、柏崎刈羽原子力発電所を遠巻きにするように大きく陸側に迂回する。
沿道は松林ばかりとなり、休憩できる場所が見つからない。
雨が止む間に、道端の土留めコンクリートの上に腰掛けて休むのがやっとだった。
ようやく荒浜の集落に入った時、民家の1階が一部、壁のない駐車スペースになっているのが眼にとまった。
もってこいの休憩場所で、そこにシートを敷いて腰を下ろす。
その時、家の夫婦が買い物に出かけようとしてわたしを見つけ、「家の中でどうぞ休んでて」とおっしゃる。
しかし、この駐車スペースが真向法体操をするのに丁度よいので、丁重にお礼を言ってそこに休ませてもらう。
JR柏崎駅付近で昼時になり、駅前通りの中華店で野菜炒め定食をとる。

昼食後、出発して間もなく雨足が強くなる。
コンビニや国道の横断地下道で雨宿りする。
この後、道の駅「風の丘米山」でゆっくり休憩しようと道を急ぐ。
ところが近くまで行くと、そこは高い丘の上で、歩いて行く元気は出なかった。
あきらめて先へ行くと、JR信越本線をわたる。
その時に撮ったのが、左記の写真である。

この時から約2年後の平成19年7月に、新潟県中越沖地震がこの地を襲った。
JR青海川駅付近が崖崩れに埋まりその様子が、この写真に似た角度で撮られ新聞に載り驚いた。
あらためて我々は、自然災害と隣り合わせて暮らしている事を思い知る。

今日の宿は、JR青海川駅の次、JR笠島駅近くの絶壁の上にあった。
女将さんは気風の良いひとで、テキパキと風呂や洗濯の世話をしてくれる。
前夜泊った高浜の宿とは交流があり、よく知っているという。
その宿とここの両方に泊る旅行者が多いそうだ。
部屋からは、木立とその先に雨にけぶる日本海が見渡せる。
風雪に耐えてきた木立の姿は、ここでの暮らしの厳しさを教えてくれる。